2022-01-01から1年間の記事一覧

木魚歳時記第4872話 

(三)高砂からは海路わずか六里ばかりで室の津(むろのつ)である。この港は男鹿島(だんがじま)、家島、西島など多くの島々のかげに風波を避けて、ささやかな入江ながら、湾口のほかは三方みな小山に抱かれて昔ながらのよい泊まりであるが、ことに近年は…

木魚歳時記第4871話 

五十八歳のころの兼実の上人に対する帰依は、異常ななほどに達していて、上人が兼実を訪ねて退出を見送った兼実は、頭に後光(ごこう)を現じ、蓮華を踏みながら庭の橋を渡られた奇瑞(きずい)をまのあたりに見たとも伝えられているほどである。(佐藤春夫…

木魚歳時記第4870話 

法然はこの戦跡地を弔おうとするかのように船を捨てて馬に跨(またが)り、馬の口を平家の遺弧(備中守師盛(もろもり)朝臣の子)勢観房源智にとらせ、松帆の浦あたりから吹き通う春風のなかに、ゆるゆると馬をうたせつつ、往時を語り弔い、権勢の空しさを…

木魚歳時記第4869話 

鳥羽の南の門に用意されていた川船に乗り移って、鵜殿(うどの)、渚院(なぎさのいん)、三島江(みしまえ)、鳥飼(とりかい)、江口(えぐち)など両岸の春色をながめながら、この紳聖な流人は愁いのない人のように淀川を下った。 有為転変をまのあ たり…

木魚歳時記第4868話

謙虚な上人もさすがに凱旋将軍の万歳を聞くような気持ちを禁じ得ないうちにも、ふと、六十年前、美作(みまさか)の故山を出ではじめて都にちょうどこのあたりで、法性寺前(さきの)関白忠通公の牛車の盛大な行列に出会った懐かしい思い出をも、その同じ道…

木魚歳時記第4867話

未明の都門を朝霞にまぎらせて追放しようという企てにもかかわらず、上人遠流の日を聞き知った道俗の老若男女が輿を迎えて上人を見送る人垣が、造り道の左右に群れていた。その気配に気づいた法然は自身で輿の帳(とばり)をはね上げて、にこやかに顔を群集…

木魚歳時記第4866話

輿には自らその任務を買って出た門弟、角張(かくばり)の入道成阿弥陀仏(じょうあみだぶつ)が力者を従えてこれを宰領しつつ、輿は静かに法性寺門を出ると、造り道を鳥羽の草津に向かった。あとには師の上人を護衛するかのように門弟が六十人ばかりつきそ…

木魚歳時記第4865話

法然はこの日かって人々の心配を案じたか、平素よりも元気よくてきぱきと振る舞い、老人らしいところは少しも見えなかった。 別れを惜しむ兼実に対してもtだ一語を残して庭に下り立ち、さすがに後ろ髪を引かれる思いはあるらしく、合掌して伏し拝み見送って…

木魚歳時記第4864話

法然は、最初の師観覚房得業の教えを固く守って、平素は輿(こし)や車い乗ることはなく、いつも金剛草履であるいていたが、この日は上人の高齢と長い旅路とを案じた兼実の計らいで特に輿の用意があったのを法然も拒まなかった。(佐藤春夫『極楽から来た』…

木魚歳時記第4863話

(二)承元元年(1207)三月十六日、いつも早起きの法然は、前夜来招かれて泊まっいた九条兼実の法性寺第、小御堂の未明に目ざめた。今日がいよいよ流刑の日で、特に早朝人々の目のつかないうちに、都門から出るようにとその筋の達しがあったからである。(…

木魚歳時記第4862話

「都に居れば大丈夫、辺土では必ず危ないと決まった人の命でもありますまい。漢土では白楽天、わが朝では道真公など流謫(るたく)は聖賢の行くところです。わが身には過分な朝恩ととも思います。永年志してまだ折もなかった辺鄙(へんぴ)の地の人々に法を…

木魚歳時記第4861話

上人がいよいよ流罪と決まって、都を立たれる前夜を、兼実は、当時小松谷の房にいた法然を、法性寺のわが邸に招いて語り明かしたのも、ただ名残を惜しむばかりでなく、さびしい小松谷の御房では、この夜を最後の機会と狙う暴漢が、愛児良経にしたような凶行…

木魚歳時記第4860話

この生き仏さながらの現象は、兼実のほかその場に居合わせた何人も見なかったというのだから、これは兼実の上人に対する深い信仰が発露しこの奇瑞となったものに相違ない。 それほどに帰依し参らす上人を遠くに送らねばならない兼実の心事はどれほど切なかっ…

木魚歳時記第4859話

五十八歳のころの兼実の上人に対する帰依は、異常ななほどに達していて、上人が兼実を訪ねて退出を見送った兼実は、頭に後光(ごこう)を現じ、蓮華を踏みながら庭の橋を渡られた奇瑞(きずい)をまのあたりに見たとも伝えられているほどである。(佐藤春夫…

木魚歳時記第4858話

むこの綽空(親鸞)を死罪から流刑に軽減することは慈円も賛成したが、法然は元兇(げんきょう)だからといって慈円はその減刑には協力しなかった。すでに八宗共通の法敵とされた以上、慈円大僧正の力でも、どうにもならなかったのかも知れない。(佐藤春夫…

木魚歳時記第4857話

また才気に富む弟慈円が、専ら家門のために謀った画策は、はしなくも犠牲として、彼の最愛の次男良経を暴死に導く結果となった。 のみならず慈円大僧正が宗教界のイニシャティ-ブを保持せんがために策したところは、愛児の死からまだ一年も経たない落莫たる…

木魚歳時記第4856話

第三十三章 室津の旅びと(中略) (一)気の毒なのは九条兼実であった。摂関家の嫡流(ちゃくりゅう)にすさわしいこの温厚な長者の晩年は、さながらに最高の斜陽貴族の蕭条(しょうじょう)たる姿であった。 彼が盟友頼朝のために文治(ぶんじ)以来朝廷へ…

木魚歳時記第4855話

(五)念仏の聖徒を死ねばよしかに扱っている、だれが死んでやるものか。これこのとおり念仏申し申し、こうして生き貫いてやるぞと、綽空は強い。 彼は流刑と聞いた時から、法規に従い農耕の覚悟ができていた。だから郡司年景にその決意を申し出た。始め都人…

木魚歳時記第4854話

やっと辿り着いた配所は頸城郡国府の竹内に近い五智如来景の(ごちにょらい)を祀った国分寺迂津梁院の門前三、四町を過ぎた大湯村という寒酸たる在所であった。 領送使の手から郡司萩原年景に引き渡された綽空が、年景の下司に導かれた住居は、八畳の屋根の…

木魚歳時記第4853話

やっと辿り着いた配所は頸城郡国府の竹内に近い五智如来景の(ごちにょらい)を祀った国分寺迂津梁院の門前三、四町を過ぎた大湯村という寒酸たる在所であった。 領送使の手から郡司萩原年景に引き渡された綽空が、年景の下司に導かれた住居は、八畳の屋根の…

木魚歳時記第4852話

「坊主ではないか。おらが寝る邪魔するんでないぞ」 と叫ぶなり板戸をぴしゃっと閉めた。 流人と役人と三人は、風下の荷車を置いた低い差しかけ屋根を求めて、雨具を荷から引き出し頭からすtっぽり引きかぶり、三人は獣のように一かたまりになってうずくま…

木魚歳時記第4851話

近江路から越前を過ぎて越後に入ると雪はいよいよ深く、風物もものさびて、細長くのび、幹に凍てついた雪の白い松。赤茶の土肌も見えない屋敷地のもり上り。都人には見慣れず踏み慣れぬ雪路が幾日つづいたであろうか。今は配所も近いと追い立て役人から聞か…

木魚歳時記第4850話

奉行使が罪科を宣して帰り、人々も散じての後、法然はただひとり残った綽空に云った。「怠りなく念仏せよ。念仏せぬ人は、たとえ膝を交え肩を組むとも法然には疎しと思え。念仏せん人は源空に親し。源空も南無阿弥陀仏と称え奉るが故ぞ。同法最も親しいと思…

木魚歳時記第4849話

と。引用文の初めに「主上臣下」ととあるは至尊朝臣のことであるが、至尊に対し奉って憤りをかくまで書いたものは史上他に見られない。 彼は憤りながらもそこに仏意を見ようと努めた。門徒一同の狼狽の間にも、師はひとり平然といつものように輝き、顔貌には…

木魚歳時記第4848話

(四)後年、親鸞(綽空)はその時の事を『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)の後序に次のように記した・・主上臣下、法ニ背キ、義ニ違イ、忿ヲ成シ、怨ヲ結ブ。コレニヨリテ真宗興隆ノ大祖源空法師ナラビニ門徒数輩、罪科ヲ考エズ、ミダリニ死罪ニ坐ス…

木魚歳時記第4847話

法然はどの人に集う人々の間にこの暗流底流のあるのを見て綽空は熊谷のようにすなおには、吉水の僧庵を浄土の光の射すところとは思えず、ここもまた娑婆(しゃば)であり、穢土(えど)であるという思いがした。蓮生にくらべて綽空は現実家であったからであ…

木魚歳時記第4846話

元久前後から、叡山が専修念仏へ重圧を加えはじめて、女人の帰依者の多くを持った行幸とか西空とか、安楽、住蓮などの非行を声を大にして数え上げるに当たって、師の風を学ばない放従無慚(むざん)の徒として綽空を目(もく)したのも、同門のひそかにささ…

木魚歳時記第4845話

自己の全人を法界に捧げ尽くして独生の命を終えた法然師と妻と共棲して妻子を通じて法界に己をさ捧る弟子綽空の道とは、それぞれ明らかに異った二つの道であった。 吉水僧団の人々はむしろ師の道を尊び、綽空の道を多くは忌避(きひ)し理解せず、かえって法…

木魚歳時記第4844話

かえって人々が、彼の成婚から、世俗一般の在家人も往生を得られる確証が与えられて安堵の思いがしたと伝えられるのを、当年の人心の実情に近かったろうと見たい。法然もだから、これを承認した。 善信は今や九条家の一族であり、慈円大僧正義甥に当たるのだ…

木魚歳時記第4843話

他の妻妾や処女などを犯したり、妻妾をかくし持つをこそ女犯とも称すれ、家を成して子女を持ち、その子に明遍、聖覚、貞慶など多くの名僧を家から出した父澄憲の如きは、かえって、世の誉(ほまれ)とも身の誇(ほこり)とも世上一般から認められた当時に、…