木魚歳時記第4870話 

 法然はこの戦跡地を弔おうとするかのように船を捨てて馬に跨(またが)り、馬の口を平家の遺弧(備中守師盛(もろもり)朝臣の子)勢観房源智にとらせ、松帆の浦あたりから吹き通う春風のなかに、ゆるゆると馬をうたせつつ、往時を語り弔い、権勢の空しさを説いて源智を戒めた。
 明石から再び船に乗って、当の泊、林崎(はやしざき)、藤江(ふじえ)、魚住を経て高砂では漁師に法を説いて、渡世のため余生活の殺生を嘆く夫婦に阿弥陀仏の慈悲は念仏によって汝らもゆるすと教え慰めた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)

       ひなげしや与謝野晶子が咲いてゐる

 「ひなげし」は夏季となります。コンプライアンス(規則遵守)が賑やかです! さて、ぼくは「くよくよ」するタイプです! 相棒は、どお~んと肝(きも)っ魂(たま)の据ったタイプです! ですから、万事、相棒にの云う通りにしています(笑)。