(二)承元元年(1207)三月十六日、いつも早起きの法然は、前夜来招かれて泊まっいた九条兼実の法性寺第、小御堂の未明に目ざめた。今日がいよいよ流刑の日で、特に早朝人々の目のつかないうちに、都門から出るようにとその筋の達しがあったからである。(…
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