2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記第4861話

上人がいよいよ流罪と決まって、都を立たれる前夜を、兼実は、当時小松谷の房にいた法然を、法性寺のわが邸に招いて語り明かしたのも、ただ名残を惜しむばかりでなく、さびしい小松谷の御房では、この夜を最後の機会と狙う暴漢が、愛児良経にしたような凶行…

木魚歳時記第4860話

この生き仏さながらの現象は、兼実のほかその場に居合わせた何人も見なかったというのだから、これは兼実の上人に対する深い信仰が発露しこの奇瑞となったものに相違ない。 それほどに帰依し参らす上人を遠くに送らねばならない兼実の心事はどれほど切なかっ…

木魚歳時記第4859話

五十八歳のころの兼実の上人に対する帰依は、異常ななほどに達していて、上人が兼実を訪ねて退出を見送った兼実は、頭に後光(ごこう)を現じ、蓮華を踏みながら庭の橋を渡られた奇瑞(きずい)をまのあたりに見たとも伝えられているほどである。(佐藤春夫…

木魚歳時記第4858話

むこの綽空(親鸞)を死罪から流刑に軽減することは慈円も賛成したが、法然は元兇(げんきょう)だからといって慈円はその減刑には協力しなかった。すでに八宗共通の法敵とされた以上、慈円大僧正の力でも、どうにもならなかったのかも知れない。(佐藤春夫…

木魚歳時記第4857話

また才気に富む弟慈円が、専ら家門のために謀った画策は、はしなくも犠牲として、彼の最愛の次男良経を暴死に導く結果となった。 のみならず慈円大僧正が宗教界のイニシャティ-ブを保持せんがために策したところは、愛児の死からまだ一年も経たない落莫たる…

木魚歳時記第4856話

第三十三章 室津の旅びと(中略) (一)気の毒なのは九条兼実であった。摂関家の嫡流(ちゃくりゅう)にすさわしいこの温厚な長者の晩年は、さながらに最高の斜陽貴族の蕭条(しょうじょう)たる姿であった。 彼が盟友頼朝のために文治(ぶんじ)以来朝廷へ…

木魚歳時記第4855話

(五)念仏の聖徒を死ねばよしかに扱っている、だれが死んでやるものか。これこのとおり念仏申し申し、こうして生き貫いてやるぞと、綽空は強い。 彼は流刑と聞いた時から、法規に従い農耕の覚悟ができていた。だから郡司年景にその決意を申し出た。始め都人…

木魚歳時記第4854話

やっと辿り着いた配所は頸城郡国府の竹内に近い五智如来景の(ごちにょらい)を祀った国分寺迂津梁院の門前三、四町を過ぎた大湯村という寒酸たる在所であった。 領送使の手から郡司萩原年景に引き渡された綽空が、年景の下司に導かれた住居は、八畳の屋根の…

木魚歳時記第4853話

やっと辿り着いた配所は頸城郡国府の竹内に近い五智如来景の(ごちにょらい)を祀った国分寺迂津梁院の門前三、四町を過ぎた大湯村という寒酸たる在所であった。 領送使の手から郡司萩原年景に引き渡された綽空が、年景の下司に導かれた住居は、八畳の屋根の…

木魚歳時記第4852話

「坊主ではないか。おらが寝る邪魔するんでないぞ」 と叫ぶなり板戸をぴしゃっと閉めた。 流人と役人と三人は、風下の荷車を置いた低い差しかけ屋根を求めて、雨具を荷から引き出し頭からすtっぽり引きかぶり、三人は獣のように一かたまりになってうずくま…

木魚歳時記第4851話

近江路から越前を過ぎて越後に入ると雪はいよいよ深く、風物もものさびて、細長くのび、幹に凍てついた雪の白い松。赤茶の土肌も見えない屋敷地のもり上り。都人には見慣れず踏み慣れぬ雪路が幾日つづいたであろうか。今は配所も近いと追い立て役人から聞か…

木魚歳時記第4850話

奉行使が罪科を宣して帰り、人々も散じての後、法然はただひとり残った綽空に云った。「怠りなく念仏せよ。念仏せぬ人は、たとえ膝を交え肩を組むとも法然には疎しと思え。念仏せん人は源空に親し。源空も南無阿弥陀仏と称え奉るが故ぞ。同法最も親しいと思…

木魚歳時記第4849話

と。引用文の初めに「主上臣下」ととあるは至尊朝臣のことであるが、至尊に対し奉って憤りをかくまで書いたものは史上他に見られない。 彼は憤りながらもそこに仏意を見ようと努めた。門徒一同の狼狽の間にも、師はひとり平然といつものように輝き、顔貌には…

木魚歳時記第4848話

(四)後年、親鸞(綽空)はその時の事を『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)の後序に次のように記した・・主上臣下、法ニ背キ、義ニ違イ、忿ヲ成シ、怨ヲ結ブ。コレニヨリテ真宗興隆ノ大祖源空法師ナラビニ門徒数輩、罪科ヲ考エズ、ミダリニ死罪ニ坐ス…

木魚歳時記第4847話

法然はどの人に集う人々の間にこの暗流底流のあるのを見て綽空は熊谷のようにすなおには、吉水の僧庵を浄土の光の射すところとは思えず、ここもまた娑婆(しゃば)であり、穢土(えど)であるという思いがした。蓮生にくらべて綽空は現実家であったからであ…

木魚歳時記第4846話

元久前後から、叡山が専修念仏へ重圧を加えはじめて、女人の帰依者の多くを持った行幸とか西空とか、安楽、住蓮などの非行を声を大にして数え上げるに当たって、師の風を学ばない放従無慚(むざん)の徒として綽空を目(もく)したのも、同門のひそかにささ…

木魚歳時記第4845話

自己の全人を法界に捧げ尽くして独生の命を終えた法然師と妻と共棲して妻子を通じて法界に己をさ捧る弟子綽空の道とは、それぞれ明らかに異った二つの道であった。 吉水僧団の人々はむしろ師の道を尊び、綽空の道を多くは忌避(きひ)し理解せず、かえって法…

木魚歳時記第4844話

かえって人々が、彼の成婚から、世俗一般の在家人も往生を得られる確証が与えられて安堵の思いがしたと伝えられるのを、当年の人心の実情に近かったろうと見たい。法然もだから、これを承認した。 善信は今や九条家の一族であり、慈円大僧正義甥に当たるのだ…

木魚歳時記第4843話

他の妻妾や処女などを犯したり、妻妾をかくし持つをこそ女犯とも称すれ、家を成して子女を持ち、その子に明遍、聖覚、貞慶など多くの名僧を家から出した父澄憲の如きは、かえって、世の誉(ほまれ)とも身の誇(ほこり)とも世上一般から認められた当時に、…

木魚歳時記第4842話

ひとり玉日姫だけでなく、九条家では、藤原氏一支流たる日野氏の出で係累のないこの僧を好個の婿とみて、この婚姻の成立に八方手を尽くしたものであった。 また善信はこの至純の女性を通じ、聖徳太子のごとく庭を足場として法界の摂化(せっけ)を志したので…

木魚歳時記第4841話

(三)げに宿業の報いでもあったろうか、その身には炎々たる情火が燃えて、善信は戒律堅固に生涯の純潔を全うする自信もなく、また真実追求と実感尊重との激しい性格は、玉姫が父の希望に従い、前途望み多しと叔父慈円のいう青年僧を一目見て以来、婚姻を切…

木魚歳時記第4840話

要するに慈円は名門に出て大僧正となり、天台座主という権力を握った僧形の大政治家にか過ぎないと目ざとく見抜いた善信が純粋な僧法然とその教義に赴(おもむ)こうとしているのであった。 彼が慈円に対する進退をばかりに苦慮している間に、法然の承認、聖…

木魚歳時記第4839話

さて滅後はその廟所を青蓮院領として管し、専修念仏を停止してその徒を天台宗に還さんことを巧みに策し、専修念仏の徒をして法然廟を占有せしめず、浄土の一宗を永く天台に寄寓化していわゆる寓宗の状態に置き、遺跡大谷寺知恩院を足利末期に至るまでも、な…

木魚歳時記第4838話

慈円とて、弥陀信仰にいささかの異論ある道理はもとより無い。ただ、摂関家を媒体とする政治と庶民仏教とが撞着するのをひたすら憎むのが故の反対なのである。 慈円が教学的に法然と争って勝つ根拠も能力も無いのは慈円自身がだれよりもよう知ろう。さればこ…

木魚歳時記第4837話

偶然にも、慈円の門に育った彼は、その修敏な資質のため時代の歩みに従って裏切り者にならざるを得ない運命なのである。 空(くう)、仏教の無我のの思想に立つブッダ(釈尊)の大乗仏教の見地から実践生活の戒律を考えれば、どうしても円頓大戒のに行きつく…

木魚歳時記第4836話

叡山で、聖覚から得て読んだ未完の『愚管抄』は師の大僧正が自ら書いたとも、口述を人をして代って記さしめてその志を述べたものといわれるが、今にして思えば聖覚が師慈円の思いをくんで彼に読ませたとも考えられる。慈円が兄兼実はじめ己が方人(かたうど…

木魚歳時記第4835話

慈円大僧正の仏教は当然に国家本意に戒律を重んじる旧時代の貴族仏教なのに対して、法然上人のものは個人解放の自由な新しい庶民仏教である。 理屈っぽい頭の彼は、縦からも横からもあらゆる角度から、大僧正の教えと上人のものを比較して考えてみた。到底両…

木魚歳時記第4834話 

(二)善信は妄想の徒になりたくないと心がけている。妄想の徒にはなりたくないが死んだ教えを奉ずる者には、なおなりたくない。彼が慈円を去って法然に赴こうというのは慈円の恩をわすれたからではない。慈円の仏教がも早や死んだもので、法然のものには生…

木魚歳時記第4833話 

聖覚から聞けば、師の高足聖光は『摩訶止観』を捨て、『往生要集』をさし開いて、わが釈尊は吉水の師のみと、決然、専修念仏に帰し、源平の戦乱をも知らなかった山第一の学匠、澄真の随一の弟子で、そのあとつぎと目される身でありながら、道のためには先師…

木魚歳時記第4832話 

この日以来、程近く吉田あたりに仮寓して日夕、吉田の庵に通いはじめた親鸞は、これを八歳から育てられた得度以来の師に背くような行為に当たるものとつらい思いを打ち消すすべもない心でありながら、新しい師に接すればその罪も消えるかに思えた。(佐藤春…