2022-01-01から1年間の記事一覧

木魚歳時記第4932話 

前扁(13)二行得失(にぎょうとくしゅつ) 念仏すれば すべての人が往生するのに 他の修行では 稀にしか往生できないのは 弥陀・釈迦の御心に 随わないからである。 (中国の善導大師さまは、往生を得るための修行の方法を「念仏」つまり「ナムアミダブツ…

木魚歳時記第4931話 

前扁(12)正雑二行(しょうぞうにぎょう) 速やかに苦しみの境涯を超えるに 浄土門に入って念仏を専念せよ。 阿弥陀仏の本願によって 必ず往生できる。 正雑二行の教えの中で、速やかに迷いの境涯を離れたいと願うならば、まずは聖道門をさしおいて、選ん…

木魚歳時記第4930話 

前扁(11)深心(じんしん) 深心とは「いかなる 自分んであろうとも、 念仏すれば阿弥陀仏の本願の力で 往生できる」という確信である。 心に往生したいと願って、口に「南無阿弥陀仏」と称えて、声にあわせて必ず往生できる」という思いを抱きなさい。往…

木魚歳時記第4929話 

前扁(10)小消息(こしょうそく) 末法の世では、わが身の善悪を顧みず、 教えを信じ、往生を求めて 念仏を多く称え、 罪を犯さないように努めよ。 末法の時代の衆生を、極楽に往生できるかできないかの能力に当てはめて考えるとき、修行が少なくても疑っ…

木魚歳時記第4928話 

前扁(9)安心(あんじん) 念仏者の心がまえは、往生を願い、 念仏すれば阿弥陀仏がお迎え下さると 信じる以外にない。 それが自然三心となる。 「阿弥陀仏」(あみだぶつ)が迎え下さると信じて、念仏、すなわち「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)を称(…

木魚歳時記第4927話 

前扁(8)万機普益(ばんきふやく) 浄土宗が他の宗に勝り、 念仏が他の宗により優れているのは、 万民を救済する点にある。 浄土一宗が他の諸宗に勝り、「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)の実践が、他の様々な修行より優れているということは、末法の時…

木魚歳時記第4926話 

前扁(7)諸仏証誠(しょぶつしょうじょう) 六方 の諸仏が教えの正しさを証言しておられるから、 念仏して弥陀の本願、釈尊の付属、諸仏の守護を、 一身に受けよ。 衆生の往生は、弥勒菩薩(後のアミダ仏)の「四十八願」により導かれます。しかし、「四十…

木魚歳時記第4925話 

前扁(6)五劫思惟(ごこうしゆい) 法蔵菩薩は、 「一切衆生を平等に浄土に迎えるため、 「私の修行の功徳を 南無阿弥陀仏の六字にこめて 人々に考えさせよう」 と決意された。 法蔵菩薩(後のアミダ仏)は、衆生が浄土往生する筋道についてお考えになりま…

木魚歳時記第4924話 

前扁(5)選択本願(せんちゃくほんがん) 凡夫が念仏で往生でき るという教えは、阿弥陀仏が法蔵菩薩のときに立てられた本願に基づく。 『無量寿経』(むりょうじゅきょう)に、もし「私(法蔵菩薩)が、仏(アミダ仏)の位を得たとしても、十方の衆生が「…

木魚歳時記第4923話 

前扁(4)出世本懐(しゅっせほんかい) 仏往生の本願は、 阿弥陀仏が一切衆生を 平等に救おうとする慈悲に基づく、 釈迦が出現されたのは、 この教えを説くためである。 『観無量寿経』に「仏の心とは大慈悲に他(ほか)ならない」と説かれます。 善導大師…

木魚歳時記第4922話 

前扁(3)聖浄二門(しょうじょうにもん) 念仏の修行は、 智慧を極めて覚る道ではなく、 愚痴に立ち戻って、極楽に生まれる道である。 「聖浄」は、「智慧を極めて極楽に往生する浄土門」と、「愚痴(ぐち)に還(かえ)って極楽に往生する往生する」。つま…

木魚歳時記第4921話 

立教開宗(りっきょうかいしゅう) 仏教の覚りは三学にあるが、 それに堪えられないと思った私は、 三学よらない道を、 善導の大師の教えの中に見出した。 前扁(2) 「立教開宗」(りっきょうかいしゅう)とあります。三学とは「戒定智」(かいじょうえ)…

木魚歳時記第4920話 

はじめに。このたび、不思議なご縁を頂戴し、総本山知恩院布教師会(TEL075・531・2157)より初版(平成22年4月25日刊)の 法然上人のお言葉ー元祖大師御法語ー の冊子を知りました。そこで、転載認可を頂戴し、冊子の一部をアップ(月曜…

木魚歳時記第4919話 

全く無思想なただ温和に容易な修行とだけ見えた教えの底に、この畏怖すべき法力が秘められていたとは、その初め、法然以外誰が知っていただろうか。 徳川家康がこれを借りて国内統一を企てたのは、法の真意を知らない全くの逆用で、ために法の真意はいささか…

木魚歳時記第4918話 

法然はとどまり給わず」わずか半世紀の間に早くも、都鄙(とひ)に伝播し、衆生の心奥に浸透して血肉化し、今や衆生の生活指針とも実行能力ともなって、あらゆる人為的な統制力や権威をも、おもむろにしかし確実に崩壊せしむるきざいを現わし、庶民のすべて…

木魚歳時記第4917話 

その三十年ばかり以前にも鎌倉幕府が念仏僧を途にに要して捕え、その黒衣や袈裟を奪って焼いた。また叡山抱きは己が黒谷の僧、法然の著書『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)の版木を、山上大講堂前で焼いたこともあった。(佐藤春夫 付…

木魚歳時記第4916話 

上野国の学僧で、叡山並榎(なみえ)の堅者(りつしゃ)定照(じょうしょう)は、上野の叡山領を管していたが、荘園内の念仏興隆に抗し切れず、えせ忠義立に本山の僧兵を扇動して迫害に乗り出し、「すべからく専修念仏を停廃せしめべし、但しその根本により…

木魚歳時記第4915話 

滅後十五年、嘉禄(かろく)三年六月、叡山の僧兵らが無残にも、法然の廟を破り墓をあばいて屍を鴨川に遺棄しようとした事があった。遺弟信空らが集まってこれを防ぎ、その夜遺骸を西山に移し、翌年粟生野(あおうの)に荼毘(だび)した。(佐藤春夫 付録章…

木魚歳時記第4914話 

住房の上方に地を相して埋葬し、墳墓に廟(びょう)を設けた。地は狭く廟はささやかだが、参詣の人々は日夜あとを絶たない。法然は死しても、法は止まらず、念仏の教えはいよいよ盛んであった。(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』) 月天心月に焦れし求道僧 「…

木魚歳時記第4913話 

正月二日から食欲不振になったが、両三年来衰えていた目と耳はとは、逆に以前の聡と明とにかえり、念仏もいつもより盛んになっていた。十一日には極楽の聖衆の来迎(らいこう)、二十日には阿弥陀仏の顕現(けんげん)があったらしい。二十四日の宵から二十…

木魚歳時記第4912話   

(三)要はただ、つべこべ申さず理屈なしに信じさえすればよい、というのだとわたくしは「一枚起請文」(いちまいきしょうもん)を読む。理屈は信を築かず、かえって迷いを生じ人を不幸にするからであろう。(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』) フェレ肉に濃い…

木魚歳時記第4911話 

「但し、三心四修(さんじんししゅう)など申す事の候は決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う中(うち)に籠(こもり)り候なり、此外(このほか)に奥深き事と存ぜば二尊のあわれみにはずれ本願に洩れ候うべし、念仏を信ぜん人はたて一…

木魚歳時記第4910話 

頭をもたげ、力のない手に筆を執り先ず・・・「もろこし我朝(わがちょう)にもろもろの」 と書き起こしつづいて一気に書き流した・・・「智者たちの沙汰し申さるる観念の念にもあらず、又学問をして念仏の心を悟りなどして申す念仏にもあらず、ただ往生極楽…

木魚歳時記第4909話 

「もったいない父とも母とも慕い参らす師を、極楽へお送り申すのは心もとのうございますが。せめてはお教えの奥義をお書き残しいただいてお形見、生涯の身の守りとも致しとうございます」 げに寄るべもない彼である。父師盛も他からは実子かとまで疑われなが…

木魚歳時記第4908話 

建暦元年十一月二十日,五年振りで都に還り入京の日よりももっと盛んな人垣の念仏で迎えられた法然は「されどここの法は人止めんとすれども法はとどまり給わず」と喜んだが、その翌年の新春早々から病床に就いた。五年間にさらされた潮風や谷の嵐が老躯にし…

木魚歳時記第4907話  

建暦元年十一月二十日,五年振りで都に還り入京の日よりももっと盛んな人垣の念仏で迎えられた法然は「されどここの法は人止めんとすれども法はとどまり給わず」と喜んだが、その翌年の新春早々から病床に就いた。五年間にさらされた潮風や谷の嵐が老躯にし…

木魚歳時記第4906話  

こ の策を知るや知らずや、高足鎮西(ちんぜい)の聖光(しょうこう)、西山の証空(しょうくう)さえ各自の伽藍(がらん)を興して寺を号して出身の天台に自ら還宗し勢い叡山の配下に接収されてされてしまうなかで、断乎、敢然とこれに抵抗し関東平野の農民…

木魚歳時記第4905話  

流謫(りゅうちゃく)五年の無住に吉水の僧坊は見るかげもなく荒廃したのを奇貨(きか)として、慈円はその伝領していた青蓮院内の大谷を修復して再び法然を迎い入れた。彼を天台の管する寺内に入れて天台僧として遇するのは親切に似た奸策(かんさく)で、…

木魚歳時記第4904話 

察するに、上皇は先年一時の逆鱗から若年の二僧を斬らせたのみか、累(るい)を老師に及ぼしたのを、年を経てさすがに御後悔あらせてこのおん夢に十一月七日、中納言光親を奉行として、源空の入京の御聴許の宣旨となった。(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』) …

木魚歳時記第4903話 

(二)法然は荒廃した勝尾寺の僧侶たちのために一同に法服を、また一切経なくなった寺のためにには自身のものを、京から取り寄せて寄進した。 建暦(けんにゃく)元年の夏、後鳥羽上皇は石清水への行幸で一人の巫女(みこ)から法然房赦免の宣託があったとお…