2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第3870話

院庁の大手腕家たる信西を除かない限りは院政を廃することができない。院政を廃しない限りは、天皇のご親政は到底望めない。こう考えた経宗、惟方二人の曲者どもは、おっちょこちょいの信頼と人のいい義朝とを先ず籠絡(ろうらく)して信西を殺させ、信西が…

木魚歳時記 第3869話

そこでこの二人の曲者たちは、天皇の側近の臣となったのを幸いに、心を併せて天皇親政が朝家永年の理想であることをこの少年の天皇に吹き込み奉り、彼ら自身更に一層の権勢をふるわんための野望から、天皇のご親政を希望し、もったいなくも後白河上皇を目の…

木魚歳時記 第3868話

信頼も義朝も実はふたりとも操り人形なので、これを巧みににも残酷に操った者は、はじめは信頼方に、後には清盛の方人(かたうど)としてご潜幸につとめた天皇の側近で大納言藤原経宗と検非違使別当藤原惟方という大の曲者どもである。 そもそも二条天皇のお…

木魚歳時記 第3867話

平治の乱は普通、信頼と義朝が相謀って少納言入道信西を排斥するために起こったものようにいわれ、表面は全くその通りに違いないが、さらに深くこれを探ってみると、真実はまことに思いがけないところに見出される。(佐藤春夫『極楽から来た』)551 青鷺が…

木魚歳時記 第3866話

第十二章 後白河院(一)平治の乱の経緯はおよそ前に記したごとくである。保元の乱は武家を社会の上流に押し上げたが、平治の乱は年久しく対立していた武家、源氏の二氏のうち源氏を一挙に滅ばして、武家はを代表とする平氏の独壇場となった。 しかし、これ…

木魚歳時記 第3865話

下野はきのかみとこそ成りにけりよしともと見えぬかけつかさかな という落首を書きつけた者があった。きのかみは紀の守と木の上とをかけたのはいうまでもない。かけつかさ(掛司)な任官の意である。こんな歌としてはまことにそつのないでき栄えと評判が高く…

木魚歳時記 第3864話

途中、十三歳の頼朝は朝からの合戦の疲れに馬上で居眠りが出て一行に遅れること二度、はじめは捜し出したが二度目はついに見つからない。 義平を飛騨に、朝長を信濃にやって甲斐信濃の一族に連絡させたが、途中の雪に朝長の傷は悪化した。義朝はこれを自刃せ…

木魚歳時記 第3863話

経宗、惟方は信頼から清盛にかわり、主上潜幸の功によって罪は許された。 義朝は主従、わずかに三十騎ほどになり、馬にも乗らずに叡山を越え、再起を期して東国へ急ぐ。叡山では落ち武者の物の具をねらって強盗化した僧兵の叔父を討たれ、次男朝長は太腿に矢…

木魚歳時記 第3862話

源氏の軍は鴨川河原を西に退いたままついえ去り、二十六日朝からの合戦も夕刻に終わった。 日本第一の不覚人は、上皇にすがって清盛に一蹴され、更に重盛にすがったが河原に斬られ、兄弟も子もみな解官断罪された。 一味の成親は捕らわれたが、妹が重盛の妻…

木魚歳時記 第3861話

「御辺(ごへん)は兵庫守か、源氏勝なば一門なれば内裏に参らん。平家勝なば主上おわせば六波羅へ参らんずと、戦いの勝負を疑うと見るは如何。およそ武士は二心あるを恥とす。ことに源氏の習いはそうず。寄れや、組んで勝負せん」 とののしり挑んで、その場…

木魚歳時記 第3860話

勇将の下に弱卒の無い源氏の軍の必死の攻撃も戦い疲れてたじろぐ折から、味方の旗悪しと見た一族の頼政、光保、光基らの変心を見て、足元から砂のくずれる不安に、義平は軍を六波羅の門から鴨川河原に退かせ、馳せわたして西に落ちる。裏切った頼政は義朝に…

木魚歳時記 第3859話

(五)義平は重盛を見つけて、御所の階前(きざはしまえ)、左近の桜、右近の橘をめぐって追い廻し、追い廻し、追いつめて今一息のところを取り逃がした。大将を討たれそこなって平家の軍はひと先ず、六波羅へ退くのを義平の追撃は急であった。 その奮戦ぶり…

木魚歳時記 第3858話

義朝父子がくつわをそろえて門前に出て見た時、平家の大軍はすでにひしひしと御所を幾重にも取り巻き、平家はここでも一歩を先んじて、平治の合戦は平家の先制攻撃からはじまった。敵軍をぐっと見渡した義平は、「かく申すは清和天皇九代の後胤、左馬守(さ…

木魚歳時記 第3857話

義朝は一刻も早くと、よろいを取って着け、かぶとの緒(お)をしめつつ庭に出る間ももどかしく、馬を呼んでまたがり、家の子郎党をかえりみて、「このうえは六波羅へ押し寄せ、屍(しかばね)をさらすばかり」 と、馬に一むちくれて出ようとする所で、義平は…

木魚歳時記 第3856話

六波羅では早くも朝敵勦討(そうとう)軍出撃の用意も成った。近畿北陸にかけての家人どものほか、家の地盤たる西国は東国と違って、水陸便利に、十七日から二十五日まで一週間に集めた兵力は三千余騎、源氏は二千余と『平治物語』にあるが、その差はそんな…

木魚歳時記 第3855話

そのころ六波羅には上皇主上おそろいのうえ、関白以下の公卿みな集まってさながら御所で、朝敵討伐の勅が邸の主清盛に下っていた。 ものの見事に出し抜かれて「内裏ニハ信頼、義朝、師仲、南殿ニ虻(あぶ)ガ目ヲ抜カレタ」ような間抜けな面をしていた。この…

木魚歳時記 第3854話

その夜、信頼はそんなことは夢にも知らず、いい気もちで眠りほうけているところを、駆けつけてたたき起こした者を、ねぼけた眼で見れば、余人ならぬ藤原成親(なりちか)であった。成親なら、中納言源師仲とともに、かねて抱き込んで置いた院の側近たる近衛…

木魚歳時記 第3853話

火事場に近くうろうろする女房車を怪しみ、み車のみすをすかしてうかがった者もあったが、平素主上を拝したこともなし、おん年十七歳で美しくましました天皇を、まことの女人と思い誤って見逃したのは無理もなかった。 同時に上皇も同じく女房車に美福門院や…

木魚歳時記 第3852話

(四) 火事は平家のいぬの放火であった。清盛の策はいよいよ火蓋(ひぶた)が切られた。「それッ火事だぞ。風上だ、火もとは近い!」 と御所を警護の武士たちが口々にののしる騒ぎにまぎれて、清盛に誘われて寝返っていた、経宗(つねむね)、惟方(これか…

木魚歳時記 第3851話

これに反して清盛は入京後、従者から主人に奉る名簿(みょうぶ)というものを信頼に渡して恭順の意を表し油断をさせて置き、上皇や天皇が信頼方にまします間は、これに弓を引くことを不利と清盛は考えてこの方面に工作を着々と進めていた。 さて十二月二十五…

木魚歳時記 第3850話

清盛の熊野詣ではまことにタイムリーなわなであった。信頼や義朝は憎い信西を思う存分にかたずけて、クデターの一応の成功にいい気になり、十二月九日から十七日まで天下を取った気で、当然次に起こるはずの事態に備えるだけの用意もないうつけかたであった…

木魚歳時記 第3849話

きない頼政の率いる多田源氏を恨んでいた。それがすなわち清盛をして信頼や義朝を促して蜂起の隙を与えさせた理由でもある。 もしもこの乱が、いま二、三ヶ月もおくれて、東国の兵を集めてから、また頼政と義朝らとの間がしっくり結ばれて後に起こっていたと…

木魚歳時記 第3848話

義朝の長子、十五歳の悪源太義平は東国にいたが、折から都に来ていて、清盛の帰途を、阿倍野に要撃しようという謀(はかりごと)を持っていたが、父義朝がはこの謀を許さなかったため、清盛は無事に都に帰ることもできたのである。 もっとも義平の手兵や、義…

木魚歳時記 第3847話

「こちらにも」 と、別の櫃(ひつ)を次々と開けさせると、それには弓五十張とそれひ相応するだけの矢やら物の具一式があったのを取り出した。一同の士気は大いにあがる。清盛も大満悦で、この周到な用意を賞すると、家貞は、「みなおん曹司さま(重盛のこと…

木魚歳時記 第3846話

やっと力を得ていよいよ都へという段になって、同行していた家司(けいし)(一門の大番頭)筑後守家貞が、長櫃(ながびつ)を多数重そうに持ち出させた。開けさせてみると思いがけなくも五十領のよろいが出て来た。清盛は喜びながらにも、「よろいばかりで…

木魚歳時記 第3845話

いっそ一度筑紫へ落ちのびて兵を募ってから改めて攻め上ろうという者もあり、いや、それではその間に義朝も東国から兵を集めるであろう。などと、一行がとつおいつしているところへ、地方の豪族、湯浅宗重が三十七騎を従えて馳せ参じ、早く都へといっている…

木魚歳時記 第3844話

(三) 清盛の一行がやっと口熊野の田辺(たなべ)の宿に落ちついたところで、脚力(りき・飛脚)が追いついて信頼(のぶより)、義朝らのクーデターを知らせた。かねて覚悟はあったようなものの、いざとなるとさすがに狼狽(ろうばい)して、僅(わず)か二…

木魚歳時記 第3843話

(佐藤春夫『極楽から来た』) 欠番 短夜の少し濃いめのカプチーノ 「ボクの細道]好きな俳句(1593) 佐藤鬼房さん。「頸捩る白鳥に畏怖ダリ嫌ひ」(鬼房) 「頸捩る」(すねねじる)とは、白鳥のあの動きでありましょう。また、作者自身の持つクセの比喩で…

木魚歳時記 第3842話

さすがの傑物も時代の迷信からは免れず、なまなかに陰陽道や占星を学び信じていた。信西の落ちのび先は、固く禁じておいた輿(こし)かきの口から義朝の部下に洩(も)れて信西が穴から発見された時、腰刀で胸板を突いて自殺していた。その首は討たれて、十…

木魚歳時記 第3841話

四人の従者のうち師光というのは有名な西光法師で、やがて後白河院の寵臣のひとりとなり、平家覆滅陰謀の首謀者となった人物であるが、さすがわず太い男であったから、「思い切ってシナへ高飛びなさいませ」と信西にいった。「それがしもお共申しあげます」…