2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第3657話

法然房が真理の前には師匠も先輩もないという弟子なら、慈眼房がちょうどそれに匹敵する師匠であったから、子弟というよりは争友のように相親しみ、時々はこういう神聖な衝突もしたが、いつも肝胆相(かんたんあい)照らし、互いに敬愛して、法然房の求道も…

木魚歳時記 第3656話

さて、何時間かの後、わざわざ弟子のところに出向いてきて、「法然房、すまぬ、先刻はわしが悪かった。そなたのいい分が天台大師の主旨にかなっていた」と、あやまる師匠であった。(佐藤春夫『極楽から来た』)357 初しぐれ北山連峰ぼんやりと 「ボクの細道…

木魚歳時記 第3655話

「心(しん)でも色(しき)でもない。起こらずんば止む、起こらばすなわち性無作(しょうむさ)の仮色(けしき)(意識下の生命力に発したビジョンのごときもの)」と、通説に反対して三、四へんもいい争っているうち、師匠叡空は木枕を持ち出して弟子源空…

木魚歳時記 第3654話

「何をこの青二歳、小生意気な」と、怒り出す。「お経文をとくと御覧あらせよ」と、いい捨てて法然房が引きさがる。また円頓戒(えんどんかい)の戒体(かいたい)について師匠は心を戒体とするという通説をいうのに対して、弟子は、(佐藤春夫『極楽から来…

木魚歳時記 第3653話

例えば往生の業(ごう)を語って、叡空が、「観仏が第一」「いや称名(しょうみょう)以外のものはございません」「観仏のすぐれていることは先師良忍上人(りょうにんしょうにん)も申されたとおりだ」「良忍上人とて真理そのものではありません。ただ先に…

木魚歳時記 第3652話

(五)黒谷の地は,谷深くして流れ清く、せせらぎ静かに、径(みち)細くくしてかすかに、世俗の塵に遠ざかって世捨人の居る二に適していた。 何の気取りのない慈眼房叡空は、談論風発の論客で、ともに語るに足ると思ったものか、新入りの法然房との法談が、…

木魚歳時記 第3651話

来る者を拒まぬ叡空は気軽に墨染衣をひるがえして何の気取りもなく客の前に出て来た。先ず少年に出家の由来を、そうして今日ここに来た理由を語らせて一語々々強くうなずき、さて「まこと法爾法然(ほうにほうねん)天然自然(てんねんじねん)の聖衆(しょ…

木魚歳時記 第3650話

天台座主の運動や、僧兵の騒動などには超然として、ひとり黒谷の隠棲に、野の花のごとく美しく林の鳥のごとく自由に楽しんで生きている態度が、叡山にわずかに枯れ残った法の泉とも思えて、かねてわれわれの少年僧のあこがれであったので、彼は師匠皇円の許…

木魚歳時記 第3649話

叡空の妹は近衛天皇の后(きさき)になった呈子(ていし)だから、叡空は門閥の多い叡山の高僧たちの中でも。指折りの第一であり、そのうえやかましい良忍上人の円頓戒(えんどんかい)の正嫡(せいちゃく)という人でありながら、いやそういいう人だけにも…

木魚歳時記 第3648話

と、師匠の皇円はさっそくにそれを許可した。慈眼房叡空(えいくう)は藤原伊通(これみち)の子である。伊通は正直で磊落(らいらく)カッタツな人であった。叡空のかんぺきや怒りっぽいのも親ゆずりかも知れない。(佐藤春夫『極楽から来た』)349 獅子柚…

木魚歳時記 第3647話

「それでは深山幽谷ともいえませんが、しばらくはおいとまをいただいて黒谷の別所へでも」「黒谷を選択か。わしは縁がなくて住まなかったがあそこはよい所だ。では慈眼房(じげんぼう)の上人をたよって行け」(佐藤春夫『極楽から来た』)348 引き始め風邪…

木魚歳時記 第3646話

「最初からその志のあったそなただ。それに『止観』にも深山幽谷を第一の好処として、寺はもと衆人の乱(さわ)がしい場所として好処の下としている。そなたの志はよろしい」(佐藤春夫『極楽から来た』)347 獅子柚や無上甚深微妙法 微妙法(みみようのほう…

木魚歳時記 第3645話

「それよりも野の花のように美しく、林の鳥のように自由にたのしく生きたい望みで、道より他には求めますまい。ひとりで静かに『摩訶止観』の教えるところを行じたい気がいたします。それで黒谷の別所に参るのをお許しいただけますまいか」(佐藤春夫『極楽…

木魚歳時記 第3644話

「お師匠さま、愚鈍なわたくしでございます。それでもお師匠さまがたのお導きでいくらかの観心もできましたものか、わたくしは到底官僧などにはなれない自分に気がつきました。名前も利養も愚か者には害と思います」(佐藤春夫『極楽から来た』)345 夜神楽…

木魚歳時記 第3643話

「そなた、もうそこに気がついたか。わしも永年苦しんでいるぞ、成仏の道の困難は。そなたの若さでそこに気がついたのも智慧だ。かわいそうに、智慧のあるのは無いよりも苦しいぞ。いや、すべて有るということは無いよりも苦しいものらしい。いたずらに苦し…

木魚歳時記 第3642話

しかし戒も定も慧も、どの一つとして満足にそなええることもできそうにないわが身ではないか。これを成就した古人があったのも、むしろ不思議と思うほどの至難事ばかりである。身をこんな愚か者だとは今日の今まで知らなかった。と彼はいたすらに恥じ入りつ…

木魚歳時記 第3641話

(四)少年老い易く、わが身もも早十八になった。そうして三人の師匠のねんごろな指導のおかげで、どうやら三台部も読んだ。そうして仏教修行の大要は戒定慧(かいじょうえ)の三つにあるようなと合点した。(佐藤春夫『極楽から来た』)342 老木にまといつ…

木魚歳時記 第3640話

三大部と取り組むこと三年、三人の師匠はこの若い弟子の理解の早さ深さに驚いて、全山中智慧第一とこれをたたえた。弟子にとっては三人の師匠の称讃は、むしろ嘲笑のように聞きなされた。というのは三年間の学習の結果、彼の身の無能以外は何一つ学び得たと…

木魚歳時記 第3639話

『止観』の説き教えるところはやかましくむつかしかったが、いい方の美しさによってなつかしく柔げられているのが尊かった。それだけに含蓄の多いニュアンスゆたかな文章は少年にとっては底の底までは汲み取れないような不安心のため、彼は読み返し考え直し…

木魚歳時記 第3638話

「多くを読み多く考えよ。読むことと考えることの二本立てが必要だ。読むだけで考えなければ頭は鈍る。考えるだけで読まないでのひとり合点は危っかしいというのが孔子夫の学ぶ者への注意である」 というのが、以前に観覚が幼い弟子たる甥の頭に植えつけた読…

木魚歳時記 第3637話

つまり『摩訶止観』は仏弟子たる者の実践すべき日常生活を、一挙手一投足の末まで説いている。そうした仏教の根本たる定(じょう)と慧(え)の刻々あるべき姿を、すなわち生活に直結した仏教をこの書ほど事細かに条理を尽くして論じたものはないと思われた…

木魚歳時記 第3636話

この書の題になっている止観という語は妄念を断つという意味で、この書の内容は止観を定(じょう・心を集中し静めること)と慧(え・ものの真相を見抜いて迷わず疑わぬ智力)の作用として、観心(かんしん・自分の本性を見定めること)と観法(かんぽう・宇…

木魚歳時記 第3635話

この師匠の勉強のすさまじさと業を授けるに当たってのきびしさとは、言外に少年をはげましむちうつものがあって、少年は師匠の情熱的な性格と強い気魄(きはく)とに打たれ、自然と頭のさがる思いがした。 三大部はみなそれぞれに有益に面白く読まれたが、中…

木魚歳時記 第3634話

燭(しょく)を秉(と)って夜遊ぶのは青春の人のこと、老いて燭を剪(き)って夜も勉めなければならないと、起きればすぐ机に向かう皇円は夜も寸陰を惜しんで筆を執っていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)335 煤払どすんと落つる僧の妻 「ボクの細道]好き…

木魚歳時記 第3633話

皇円はその卒業を早くさせたいというのか、少年をして、『止観』は北琉先達房俊朝に、また『玄義』は今までの師源光に、そうして皇円自身は『文句』を、とこう分担して業を受け学ばせた。少年が他の師から学んでいる間を、皇円自身はいつも、ものにつかれた…

木魚歳時記 第3632話

みなこの道の古典として知られたもの、わけても『摩訶止観』は大師が己証(自ら証明した)法門を弟子潅頂(かんちょう)の録したもので、これにより天台が成り立つという程のものなのである。(佐藤春夫『極楽から来た』)333 「近詠」 野仏に一つ石つむ暮の…

木魚歳時記 第3631話

(三)皇円が新入りの弟子たちに読むことをすすめた三大部というのは、天台大師智者(てんだいだいしちしゃ)ともいわれる智顗(ちぎ)<中国南北朝時代、438-597の人>の著述で、『妙法蓮華経玄義(もうほうれんげきょうげんぎ)』十巻『妙法蓮華経文句』…

木魚歳時記 第3630話

山上の晩秋は、寒冷の気の身にしみる十一月の朝、身も心もひきしまる思いで、少年は西塔北谷から東塔西谷の功徳院に身を寄せた。(佐藤春夫『極楽から来た』)331 秋風やあとかたもなき会葬者 「ボクの細道]好きな俳句(1381) 秋元不死男さん。「白飯に女…

木魚歳時記 第3629話

こうして一たび相見るに及んで、この老人と少年とは宿縁の催すものがあってか、互いに心の相通じるものを感じたらしく、快く愛と敬とを取り交し合った末に少年の入門もかなった。(佐藤春夫『極楽から来た』)330 病葉の己が内なる寂光土 病葉(わくらば) …

木魚歳時記 第3628話

わしも何度も読みかえした。もう一度そなたと一しょに読んでみてもよい。それぐらいなお相手ならまだできようから」「ありがとうございます。どうぞお願い申しあげます」と少年は、長者に心からの一礼をした。(佐藤春夫『極楽から来た』)329 老僧は鐘と撞…