木魚歳時記第4864話

 法然は、最初の師観覚房得業の教えを固く守って、平素は輿(こし)や車い乗ることはなく、いつも金剛草履であるいていたが、この日は上人の高齢と長い旅路とを案じた兼実の計らいで特に輿の用意があったのを法然も拒まなかった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)

       ただ灼けてタントラ仏にある渇き

 「ただ灼けて」が夏季に認知されるか? さて「タントラ」とは、シヴァ神のシャクティ(性力)を示す「聖典」のことを指します。お寺にも、昔、歓喜仏と呼ばれた「聖天」さんが祀られていました。うっすら、その記憶が残っています(汗)。