2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第3597話

何しろ驚いたのは当の少年僧よりも、見えがくれにそのあとをつけていた例のスリであった。行列はまさしく関白忠通公のものと見た。関白さえ礼をする僧には手出しもならぬと、かえって親切に少年僧に道を教えたのち、市中の混雑に紛れいずれかえ去った。(佐…

木魚歳時記 第3596話

それのみか、すだれをあげてのぞき出た貴人が路傍の少年に対して合掌の礼をほどこして去った。 三宝(さんぼう)を敬う当時の貴人のならいか、それとも少年僧の面魂にそれだけのものがあったのか。(佐藤春夫『極楽から来た』)298 黒雲の来て満月を犯しけり…

木魚歳時記 第3595話

船は無事に鳥羽造道の終点に着き、少年はかの見知らぬ男や人々とともに船を下りて、かの男の教えたとおりに市中へ出た。 少年が市中に行きかかる折から、よほどの貴人のものらしい行列の通過を道ばたに避けていると、牛車(ぎっしゃ)はそこでハタと止まり、…

木魚歳時記 第3594話

田舎者らしいこの小さな僧が秦氏に縁故があろうとは、と、見知らぬ男は怪しみ不気味にさえなった。彼はこの船中に網を張って、江口や神崎の君につぎ込む金をかせいでいるスリであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)296 猪肉と卵を五つ持つて来た 「ボクの細…

木魚歳時記 第3593話

太秦の秦氏を知らぬ者もないのは道理で、これは今いう第三国人で、華僑の大成功者であり、大地主として一大財閥をなして都を京都に移し定めさせたのも、当時の秦氏が朝廷の重臣たちと相謀(あいはか)っての仕事とか、今は世の表面から離れて昔日の勢いも示…

木魚歳時記 第3592話

「太秦の秦氏の屋敷なら京で知らぬものもございますまい」少年は先ず太秦へ行こうと決心した。彼は母から託された手紙を預かっていたからである。少年の母方、美作の秦氏は、太秦の秦氏の分れで、本家とはどれほど近いか知らないが、当時も時おりの消息は交…

木魚歳時記 第3591話

「さあ、持法坊とはあまり聞かないお名だが、行って見ればおわかりになりましょうが、北谷も広うござますよ」「では、太秦(うずまさ)の秦(はた)は?」と聞かれて見知らぬ男は少々腑に落ちぬげな様子で、(佐藤春夫『極楽から来た』)293 あざやかな夕焼…

木魚歳時記 第3590話

「これはこれは、小さなお上人さま。お共もなく、お山へお上がりですか」「西塔の北谷へ行く者だ」「北谷はどちらへ」「北谷の持法房源光さまをたよって行きます。行けばすぐわかりましょうか」(佐藤春夫『極楽から来た』)292 夕焼の中に父母おはしけり 「…

木魚歳時記 第3589話

神崎からであったか、江口からであったか、何でもそのあたりから乗り込んで来た若い男は、田舎では見なれない華麗な風俗で、少年はこれがはじめて見る都人と思われたが、彼はなれなれしく少年に近づき少年に言葉をかけた。(佐藤春夫『極楽から来た』)291 …

木魚歳時記 第3588話

かの少年の僧を乗せた船は兵庫の港を出ると、大物(だいもの・今の尼崎)、神崎、江口を経て淀から京都は鳥羽の造り道に向かうのであった。海の波も川浪も、空の雲とともに昨日も今日も日ねもすしずかであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)291 蟻地獄なむ…

木魚歳時記 第3587話

(四)漆氏の少年を兵庫まで送った菩提寺の僧兵頭は、その小さな主人を兵庫から鳥羽に通う船に乗り込ませ、その出船を見送るとそのまま主人の乗り捨てた駒によって美作(みまさか)の山へ馳せ帰った。(佐藤春夫『極楽から来た』)290 さつきから蚊に愛され…

木魚歳時記 第3586話

「そんなものぐさもゆるし、そんな戯(たわむ)れにも真意をよくくみ取ってもらえるだけのごく親しい友だちで、名門の出ではないようですが、それにもまさる高い人がらで、親切でほんとうに出家らしい出家ですからこの人ならば、末々まで、何かとよくはから…

木魚歳時記 第3585話

進 上 大聖文殊像一体(だいしょうもんじゅぞういったい) 天養二年乙丑月日 観覚上 西塔北谷法持房禅下源光 と、だけ書いておきました。(佐藤春夫『極楽から来た』)288 天辺をこはさぬやうにかき氷 「ボクの細道]好きな俳句(1335) 山口誓子さん。「ス…

木魚歳時記 第3584話

「お山の落ちつく先は?」「それはまだよく決まっておりませんから、取りあえず、わたくしのごく親しい旧友で、西塔にいる持法房源光(じほうぼうげんこう)というのに頼んでやりましたよ。さっき立つ時、馬の上に手渡したのはその手紙ですが、久しぶりでく…

木魚歳時記 第3583話

「姫路、三木、と兵庫まではわけありません。兵庫から先は都に近いだけで水路も物騒ではありませんから、たしかな舟を見つけて水路にすればよいと、よくいいふくめておきました。あの者にまかしておけば、大丈夫ですよ。もしも心配なら、わたし自身で出かけ…

木魚歳時記 第3582話

「そなたがそう見込んでつけてくれたのは安心だけれども、何しろ道は遠いしね」出雲街道はひらけているし何の苦労もありません。わたくしも幾たびか歩いてよく知っています、いちばんやっかいなのはこのあたりだけで、(佐藤春夫『極楽から来た』)285 雲助…

木魚歳時記 第3581話

と、うす霞むなかへ進み入る馬を遠く見送りながら、「あの者は、山に三十人あまりの僧兵のうちの頭立つもので、勇気もあり、心利いて、それに九州から来たのだから旅慣れてもいる」(佐藤春夫『極楽から来た』)284 いつかまたもとのかたちにあめんばう 「ボ…

木魚歳時記 第3580話

「乗りも習わぬ馬で都まで・・」と、いわせも果てず、観覚は、「大丈夫ですよ。はじめてのようでもない。もうしっかり馬に乗っています。それに、あの者をつけてさえおけば」(佐藤春夫『極楽から来た』)283 しばらくは流れのままにあめんばう 「ボクの細道…

木魚歳時記 第3579話

塵(ちり)を蹴って勇む駒のひづめの音も次第に聞こえなくなり、馬上の姿は一度見返って笑顔を見せたようであったが、刻々に遠ざかって行く。それをじっと見送りながら、「この大きくなったすがたをせめて人目、父親にも見せたかった」と、その子の母は目が…

木魚歳時記 第3578話

観覚は懐中にしていた書状を馬上の少年に、「しかと持てよ」と、手渡した。「シー」と、いわれて駒は動き出す。うららかな日射しを右肩から浴びて進み行く少年はうしろ姿をたくましく馬上ゆたかに見えた。(佐藤春夫『極楽から来た』)281 雪豹の三毛猫とな…

木魚歳時記 第3577話

(三)従者はころあいを見はからい、ていねいな一礼をしてから、「では、間違いなくお共致して参ります。馬の鞍も津山あたりで手にいれましょう。どうぞ何事もご心配なく」(佐藤春夫『極楽から来た』)280 汗だくの鴉ごろごろ鳴いてゐる 「ボクの細道]好き…

木魚歳時記 第3576話

用意万端はできていたからただちに出発となり、従者は右手に馬の口を取り、左手に騎者を抱き上げて馬の背に押しやる。馬上の少年と見送る母や師匠、里人たちと見上げ見下ろしつつ、尽きぬ別れを口々に短く交わしている。(佐藤春夫『極楽から来た』)279 い…

木魚歳時記 第3575話

「わけをいって探していると、もとは漆家の家人でお世話になったからという者が、これをはなむけに差し上げたいと申し出たのを無理に金を取らせて、曳いて来たのです。試に乗ってみましたが大した駒です。これなら長の道中も大丈夫。わたくしも安心致しまし…

木魚歳時記 第3574話

屋敷の馬場場にはもう昔の肥馬は無かったから、観覚は、山から旅人のためにつれて来た従者に命じ、早朝から二本平の牧に駒を探しに出していた。 辰(たつ)の刻ばかりに待ちかねた駒が来た。見るからにみごとなものであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)27…

木魚歳時記 第3573話

領主の奥方と若君とが来ているのが一夜のうちに庄内に知れ渡って、人々が引きもきらず挨拶に来たのは、実のところ少し有難迷惑であったが、馬を待つ間をそれに費やした。(佐藤春夫『極楽から来た』)276 牛蛙もう出るころや会ひに行く 「ボクの細道]好きな…

木魚歳時記 第3572話

母子、姉弟、叔姪の三人で、なつかしくいまわしいこの座敷に、来し方行く末をそぞろに語りつづけた。亡き人が遺愛の八重ざくらはまさに満開でくれなずむ夕影にあやしく、あでやかに、夜に入っては雪解けの山水が屋をめぐって昔を語りがおに鳴りひびいた。(…

木魚歳時記 第3571話

しばらく無住で荒れた稲岡の屋敷は、あらかじめ特に命じて掃除させてあった。一泊して互いに惜しむ別れを、この家にもわかちたかったためである。(佐藤春夫『極楽から来た』)274 春風にぴんと立ちたる馬の耳 「ボクの細道]好きな俳句(1321) 山口誓子さ…

木魚歳時記 第3570話

そこで卜(ぼく)し得た春うららかな吉日を観覚は童子を率いて山を下り、先ず倭文錦織(しどりにしごり)の家に姉を誘って稲岡へ出た。稲岡では父時国の墓前に勢至丸の上京修行の報告をして、一同しばらく尽きせぬ涙をたむけた。(佐藤春夫『極楽から来た』…

木魚歳時記 第3569話

観覚としても決して甥の道中に不安がないわけではないが、ぐずぐずして時機を失したくない。暑からず寒からず、はやり病のない春のうちに旅立たせたい。この思いは誰もが同じであつた。(佐藤春夫『極楽から来た』)272 昔から朧のころが好きでした 朧(おぼ…

木魚歳時記 第3568話

こういう道中だから、当時、南都や北嶺を領家とする荘園の若者たちが寺内の事務管理者を志して入山するするに当たって、この大衆がわが荘園の武士どもを伴奴として上らせてのが、そのまま山に住みついて堂衆といわれ、この堂衆と大衆とがついに僧兵の大群と…