2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記第4426話   

四国では伊予に河野四郎通清(みちきよ)、土佐には頼朝の弟希義(まれよし)が蜂起して、これに呼応する者が少なくない。 奥州には義経(よしつね)が手ぐすね引いて飛び出す機会をねらっている。(佐藤春夫『極楽から来た』)1075 あ。で始まりそしてたち…

木魚歳時記第4425話   

義仲は木曽から北陸に出て以仁王の遺孤(いこ)で一旦出家させられていたのを後に還俗(げんぞく)して還俗の宮と呼ばれ、この頃は北陸に在した方を擁して風雲の至るのを待っていた。 還俗の宮、後に北陸宮と呼ばれるのは、頼政挙兵の前に兼綱が三条高倉第に…

木魚歳時記第4424話   

八月、伊豆の頼朝が挙兵して、兵力が日に日に肥えているという風聞が都に伝わった。同時に熊野の湛増も三山の神人を挙げて謀反したという風聞があった。湛増は為義の実子の一人が院のはからいで熊野別当湛快の養子になっていたのだから、この機を逸せずの起…

木魚歳時記第4423話   

平家はこの時諸山衆徒の動きを見て、京都の地に安閑たるを得ない天下の情勢を察して、悪あがきに福原の海村に遷都の軽挙妄動を六月二日に敢えて断行し、かえって諸山衆徒の怨みと憤りとを買 そればかりか以仁王の令旨を拝した諸国の源氏は以仁王の敗戦にもか…

木魚歳時記第4422話 

頼政の挙兵は一身、終世の隠忍(おんにん)を一朝で空しくし、二児と忠勇な手兵の目ぼしい者を悉く犠牲ととし、高倉宮以仁王を失い奉ったかのかのように見えたが、この埋もれ木の結んだ実が容易ならぬものであったことは、日を経るに従って明らかになった。…

木魚歳時記第4421話 

奈良衆徒たちは、援軍もしくはお迎えのために出向いて、先陣が木津に着いた時、時すでに遅く、軍は宇治で破れて、宮も頼政もあえなくなくなられたと聞き知って一同は切歯(せっし)した。(佐藤春夫『極楽から来た』)1070 あ。吹雪の中のあゝ鯖街道 「ボク…

木魚歳時記第4420話 

それにしても埋れ木というのは林間で諸木の影になって人目につかず埋もれた木という意味である。実のなる果は、果実の意と一身の結末と両様を意味するのは説くまでもないことであろう。(佐藤春夫『極楽から来た』)1069 あ。どこまでも半分青い竜の玉 「ボ…

木魚歳時記第4419話 

(五)埋れ木の花さくこともなかりしにみのなる果ぞかなしかりける という一首が頼政の辞世だと伝えられる。しかし、あんな戦況のなかで歌は必ずしも詠めないのではないか、それをどうして世に伝えることができたのだろうか。これは別人が頼政の辞世に真似て…

木魚歳時記第4418話 

その首は渡辺唱が敵の手に渡さじと斬り取って直垂に包み大きな石をくくりつけて宇治川の淵に沈めたと『平家物語』は伝える。 最後まで陣頭指揮をしてきた仲綱も平等院の堂に入って屠腹(とふく)し戦闘は午前中にすんだ。(佐藤春夫『極楽から来た』)1067 …

木魚歳時記第4417話 

しばらくして平等院執行良俊が使者を以て検非違使に報告せしめた。「殿上廊内に自殺の者三人残りあり。中に首なき一人は高倉宮でもあろうか」 自殺者は兼綱と頼政で、首のないのが頼政であった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1066 あ。この読点どこかで見た…

木魚歳時記第4416話 

都から駆けつけた検非違使の別動隊十七騎が先ず討ち入り、討伐軍はこれに励まされ、川の水の深くなったのを利用して馬筏(うまいかだ)を組んで敵前渡河に成功した。渡辺党の五十余騎はこの時、主将に殉(じゅん)じてみな玉砕した。(佐藤春夫『極楽から来…

木魚歳時記第4415話 

しかし、一騎当千 の渡辺党がこの時は一所懸命の決死隊であった。とはいえ、討伐の全軍三百余騎は五十余騎によく対峙した。(佐藤春夫『極楽から来た』)1064 冴返る山城ノ国加茂大社 「ボクの細道]好きな俳句(2155) 波多野爽波さん。「青あらし電流強く…

木魚歳時記第4414話 

頼政、三百騎を従えてと伝えるものもあるが、これは明らかに誇大である。頼政は三百騎やそこらの兵を持ってはいたし、この時全軍を従えるべきではあるが、事実、宇治川では五十余騎しか居なかった。途中多くを失ったとも思えないし、最初から五十騎余りであ…

木魚歳時記第4413話 

この時、頼政勢はわずかに五十騎あまりにしか過ぎなかった。元来が極秘の挙兵のはずで、連絡は競にさえさしひかえていたほどであった。討伐軍に加えられたのは全く意想外のでき事で、兵を集めるいとまもなかったから、この寡兵(かへい)であったのであろう…

木魚歳時記第4412話 

頼政父子、仲綱も兼綱も弓を引くには邪魔だと兜もつけないで出陣して奮戦した。わけても兼綱の矢は百発百中、八幡太郎のの如しと敵を怖れさせた。(佐藤春夫『極楽から来た』)1062 冬の夜は河原のむせび響きたり 「ボクの細道]好きな俳句(2152) 波多野爽…

木魚歳時記第4411話 

敵の軍馬のいななきに目ざめた頼政は兵を督励して宇治橋の橋桁(けた)をはがさせた。その作業がまだ三分の一にも達せず、わずかに真中の部分を少しはがしたころには、敵は早くも対岸に陣地を固めていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)1061 しばらくはマスク…

木魚歳時記第4410話 

脱出の途上で、頼政は宇治の平等院に立ち寄った。平等院は興福寺の系統であったから一行を鄭重(ていちょう)に迎えた。これに気をよくした一行は前夜来のの疲労と心痛を休めて英気を養おうと一夜をここに明かした。しかしその間に追撃軍は思いのほかに早く…

木魚歳時記第4409話 

思うに頼政は最初から南都に向かうべきであった。それを三井寺に高倉宮の弟宮の法親王が長吏(ちょうり)をしているのを力にしたの焼が、彼の失敗の第一であった。そうしてその第二歩は南都を信じて一刻も早く南都に向かわなかったことであった。(佐藤春夫…

木魚歳時記第4408話 

ここの大衆は平氏の専横に対して、またこれに屈服している藤原氏の意気地なしに対して二重に憤慨していたのである。(佐藤春夫『極楽から来た』)1058 断崖にもう水仙が咲き出すぞ 「ボクの細道]好きな俳句(2148) 波多野爽波さん。「こつぽりの高さや地虫…

木魚歳時記第4407話 

南都の興福寺は既に三井寺に応じていた。これを知って関白基通が使者を遣わして衆徒どもを諭したが、彼らは聞かばこそ、かえって激昂(げきこう)した大引きはがして衆は使者の衣装を引きはがし追い出し、同行の院の雑色(ぞうしき)二人の髻(もとどり)を…

木魚歳時記第4406話 

(四)今までとかく挙動不審に思われてあ頼政が知らぬ間に居なくなり、同時に高倉宮も姿を消していたので、さてはと気がつき重衡、惟盛らが急にそれを追撃した。(佐藤春夫『極楽から来た』)1056 北海の流氷いまだをさまらぬ 「ボクの細道]好きな俳句(214…

木魚歳時記第4405話 

夜半にやっと連絡のとれた高倉宮の謀(はか)り誘うて今はこの頼みにならぬ三井寺から逃れ出て、これまた頼みの程は知れないが、少なくともここよりはよさそう思える南都へ出ようと、頼政は宮を擁して、有明月をたよりに討伐軍を寝返って脱出した。(佐藤春…

木魚歳時記第4404話 

六波羅の軍は今大部分は高倉宮討伐のためここに集まっている。今こそ夜襲の好機会である。と思いながらも頼政は踏ん切り悪くぐずぐずしているうちに鶏鳴(けいめい)に達し機を失ってしまった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1054 マンダラの仏ぞ笑ふ四温晴 …

木魚歳時記第4403話 

なるほど山門には今も反清盛熱がきざし、不平分子も少なくはなかった。そうしてこの仲間は、清盛の今度の処置に対しては、なお一段の反感をそそられ明雲を罵(ののし)りながらも、今頃は寺門にいるはずの高倉宮や頼政のところへかけつけるほどの熱情も勇気…

木魚歳時記第4402話 

絹の方は、谷々坊々、各戸に四、五匹から十匹ぐらいを投げ込んで分配し、こういふ方法で山門はすtっかり買収されていたのである。頼政は山門の不平分子はをもっと硬骨なものと買いかぶり信頼していたのに。(佐藤春夫『極楽から来た』)1052 しんがりの僧や…

木魚歳時記第4401話 

頼政こそ知らね山門へは清盛が早くも十分に手を打っていた。それもただ座主明雲の権限で押さえただけでは足りない情勢を察したものか、近江米一万石を山全体に、また仏前の敷物用にと美濃絹三千匹を添えて奥ってあった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1051 鬼…

木魚歳時記第4400話 

夜半三井寺に着いた頼政は、ここの形勢頼もしくないのを看て取った。なお山門の不平分子にも手を打って置いたのであったが、それすらも今に何の動きも見せないのは頼みにならない。すべてが期待外れであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1050 しばらくは見…

木魚歳時記第4399話 

果然、主人の大将が近衛河原の家を焼いたと聞いた競は、一刻を争って小糟毛をひき出し跨(またが)り、「競こそ只今、御前をまかり通り侍れ」 と大音声を上げて、宗盛邸の門前を蹄(ひずめ)の音せわしく馳せ通り、出軍のしんがりに追付いた。いかにも颯爽た…