2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧
それでも山には学侶がますます少なくなり、今では大衆の山になってしまったばかりか、法然の見つけた道は山の人々とは少し行き方の違うところもあり、法然は町の人々の間に住んで、釈迦堂あたりに集まる一般の人々と道を語りたいのだと説明するとやっとわか…
彼は法然の久しぶりの訪問を喜び、道を見つけたと聞いてわが事のように喜んだ。しかし、それだのに山を下ってこのあたりに来て住みたいという法然のいい分は、はじめはよほど腑(ふ)に落ちないらしかった。。(佐藤春夫『極楽から来た』)826 モナリザの外…
(三)これもまた二十年ぶりに見る秦氏の主人は、初老のような血色を見せながら、頭はすっかりはげて一毛もなうい変わりようであった。しかしむかし、田舎からポット出の一族の少年に寄せた一方ならぬ好意は、今も依然として持ちつづけていた。従妹はあたり…
と法然はさも愉快げに短く笑った。彼は本来そういう気さくな性分なのである。今日は最初の布教に好成績をあげてうれしいのであろう。 清涼寺からの帰路を最初から考えていたとおり太秦(うずまさ)の秦氏(はたうじ)へ立ち寄った。(佐藤春夫『極楽から来た…
おばあさんはさっそくつぶやくようにいう。「南無阿弥陀仏」「そうです、そのとおり十ぺん申すだけでよいのです。もうすこし声が大きければ阿弥陀さまになおよく聞こえます。内緒ごとではないのだから」(佐藤春夫『極楽から来た』)823 石一つ泥鰌いつぴき…
「そんなわけのないことですか。あまりあっさりしていて、たよりないようでございますけれど」「そのあっさりしているところをありがたいとは思いませんか。でも阿弥陀さまが、ここへ来たい者はどんな不埒(ふらち)な者でも、わが名を呼んでほしい、わが国…
「おばあさん、往生の話は、ついわけもないことでした。行儀も作法もいりません。いつどこででも思い立った時、十ぺんほど阿弥陀さまのお名をお呼び申しさえすればよろしいとお経文に書いていますし、むかしのジナの御上人さまもいっておられました」(佐藤…
「おやおや、それはごきんとうさまに、ありがとうございます」 と老女は少し笑いをふくんで、「こう老いぼれましたので、往生のお話は、その時より今の方がもっと重宝になりましたよ」(佐藤春夫『極楽から来た』)822 たちまちに巨きな「ぎぎ」の釣れにけり…
「忘れるのはあたりまえですよ。二十年も前に、それもたった一度だけ、ここでやっぱりこうしてお茶を汲んでもらったことのあった若い坊主ですよ。その時、おばあさんから往生の道をきかされて何の返事もできず、勉強して今によくわかったらまたお話に来まし…
「おばあさんお幾つにおなりですか」「さ、わたしおととし本卦還(おんけがえ)りでしたろうか」(佐藤春夫『極楽から来た』)820 熊蜂の尻のあたりに花粉症 「ボクの細道]好きな俳句(1903) 鈴木六林男さん。「月の出や死んだ者らと死者を待つ」(六林男…
「わたしはほかに行きどころがありません。お釈迦さまのおかげで、ここに飼い殺していただいておりますよ。時にあなたさまはどなたでございましたろうか。年を取りました、とんともう半ばぼけに、何もかも忘れておりましたすみません」(佐藤春夫『極楽から…
「おばさん、やっぱりここにいたんですね」 と話かけると、相手はけげんな顔をしながらも、(佐藤春夫『極楽から来た』)819 まんさくやはじめはグーよじゃんけんぽん 「ボクの細道]好きな俳句(1901) 野見山朱鳥さん。「秋風や書かねば言葉消えやすし」(…
むかし見て、母を思い出させて老女、今もなおいて、むかしと同じようにお茶をすすめてくれたが、白髪あたまでめっきり年を取りやつれてしまい、もし母が生きていても、こうまでは老いこんでいないだろうが、と思われるようにまでなっていた。そうでも法然に…
(二)お盆が過ぎて、すぐに、法然は嵯峨に行き清涼寺(せいりょうじ)の釈迦堂に詣でて、二十年前、そこで見たおばあさんが今もまだいるであろうか、宿坊に立ち寄ってみた。(佐藤春夫『極楽から来た』)817 茎立や小西昭夫といふ俳人 「ボクの細道]好きな…
「そなたの好きな従妹も近くにいるか」「もとは居りました。何しろ二十年前の話、今はどこに居りますやら」法然は若い日に見た少女の面影が浮かぶ・・今は白髪の媼(おうな)と知りながら、「行けばそれも聞いてみましょう」(佐藤春夫『極楽から来た』)816…
「まだしかとは決めて居りませんが、いささか知るべきもあり、行って相談してみて、西山のほとりをどこか捜してみましょう」「嵯峨野の秋は聞くからにたのしいの」「それに時々釈迦堂へお参りもできます」(佐藤春夫『極楽から来た』)815 さへづりの遠い神…
そうしていよいよ決心を固めて、二十余年住み慣れた叡山黒谷の青龍寺を去ろうと、師の叡空を寺内の慈源房に訪(おとな)うて決意のほどをうちあけた。(佐藤春夫『極楽から来た』)814 蜜まみれ尻から逃げる熊ん蜂 「ボクの細道]好きな俳句(1895) 野見山…
往生とは死ぬることではない。行って生きるのである。浄土の聖衆のようにたのしく生きる方法なのである。そのところを篤と会得させて念仏の方法を教えたい。法然はもうじっとしていられないのを感じた。(佐藤春夫『極楽から来た』)813 囀りの中で接吻して…
法然はこの日ごろ常にこう思いつづけていたが、今年のお盆の十五日にも、今度は焼身ならぬ入水往生の人が桂川に多かったという風聞を聞いて、多分去年のお盆の船岡の上人にならったのでもあろうが、人々はこのように穢土(えど)を厭離(おんり)し浄土を欣…
この喜びを衆生のすべてに分けなくてはならない。衆生は貴賤老若を問わず、何人もこのように喜んで生きなければならないものだから、わが身ひとりだけ、このように生きるのでは、あまりに果報が過ぎる。(佐藤春夫『極楽から来た』)811 蜷の道ここに集まる…
こうして命のある限りは、念仏を申しつづけてたのしく、やがて命終る日は浄土の聖衆(しょうじゅう)のお迎えを受けて浄土の荘厳(しょうごん)を見、そこに生きることをわが身かと思えば、今までは事のすべてを厭(いと)わしいものと思った穢土(えど)さ…
と彼は行住坐臥、思いのまま気楽に就眠前にまた起床の前に、時には厠(かわや)上でも、弥陀のみ名を口称(くしょう)し、阿弥陀仏がこれを喜んで受け給う有様まで眼に浮かぶような気がしているのであった。今は六時礼賛を廃して時々刻々の礼讃をしているの…
念仏を申すには時も処も選ばない。別に形式はない。申したいと思うときに申せばよいと知って今は、道場の結界(けっかい)のなかで立ってみたり坐ってみたり、行ったり来たりする世話もない、(佐藤春夫『極楽から来た』)808 恋猫の二つの耳と二つの目 京鹿…
第十八章 西山のほとり(一)永年の悩みから解放されて千行の涙を惜しまず流した法然の眼には天地が光明に満ちて見えた。それもただの日光や月光ではなく、弥陀の無量光が遠く西方から来てさすもののように思えて、有難さと喜びとは限りもなかった。(佐藤春…
その年の盆の十五日、船岡野には法に捧げて身を焼いた上人を讃嘆して、上下群衆を成して見たと評判が高い、衆生はこのとおり道を求めて焦心している。(佐藤春夫『極楽から来た』)806 母さんの尻につかまり草団子 「ボクの細道]好きな俳句(1888) 野見山…
善導の答えは聞けな かったが、法然は念仏者の往生はもはや疑わない。今は専ら衆生のために一日も早くこれを弘通(ぐずう)する方法を思いめぐらしていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)805 ヘリオトロープ英語話せる日本人 「ボクの細道]好きな俳句(1888…
後に重源(ちょうげん)の将来した浄土五祖像の善導が善導が夢に見た高僧と同じであったのを法然は奇異とした。(佐藤春夫『極楽から来た』)804 陽炎の中よりぬつと僧の出る 「ボクの細道]好きな俳句(1887) 野見山朱鳥さん。「いちまいの皮の包める熟柿…
そこで専修念仏の人はみな往生ができますかと問うたが、まだその答えの聞かれないうちに、夢はさめてしまった。彼は後でもまた善導の夢を見たが、これが最初の夢であった。(佐藤春夫『極楽から来た』)803 冴返る菩薩にもある泣き黒子 黒子(ほくろ) 「ボ…
我は唐の善導(ぜんどう)であるとの答え、昔のお方が何でここにお見え遊ばしたかと重ねて問うと汝の専修(せんじゅ)念仏の道をひろめることを殊勝として、その修行の正しいことを証明しに来たと答える。(佐藤春夫『極楽から来た』)802 コンビニのレジの…
雲の中から一人の高僧が出て来てわが前に立たれのを、見れば腰から下は金色の仏相で上半身は普通の僧の姿である。合掌し頭を下げて、どなた様で居らせられるかと問うと、(佐藤春夫『極楽から来た』)801 桃の日の男いつぴき打って出る 「ボクの細道]好きな…