2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第2108話

(苦行者に説く)「諸々の友人に対して、実行がともなわないのに、ことばだけ気に入ることを言う人は、言うだけで実行しない人であると、賢者たちは知りぬいている。」(スッタニパータ) こうした「神」や「天」は大乗仏教の中にも取り込まれ、その多くは、…

木魚歳時記 第2107話

(苦行者に説く)「恥じることを忘れ、また嫌って、われは(汝の)友である。といいながら、しかも為し得る仕事を引き受けない人、かれを<この人は(我が)友に非ず>と知るべきである。」(スッタニパータ) ヴェーダ聖典、大乗仏教経典に、しばしば登場す…

木魚歳時記 第2106話

(ブログ筆者より) 以上で(なまぐさ)の項を終わります。ところで「仏教経典」は、もとより、ゴータマ・ブッダ(釈尊)の残された<説法の記録>であります。ただし、釈尊の説法を<登場人物>に語らせる形式をとるため、教典には、「仏」「菩薩」「弟子」…

木魚歳時記 第2105話

(『スッタニパータ』編者のことば)「目ざめた人(ブッダ)は見事に説きたもうた。(なまなぐさ)を離れ一切の苦しみを除き去る、その説法を聞いて、(そのバラモンは)謙虚なこころで、全(まったき)人(ブッダ)を礼拝し、即座に(ブッダの弟子として)…

木魚歳時記 第2104話

(『スッタニパータ』編者のことば)「以上のことがらを尊き師(ブッダ)は繰り返し説き給うた。ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)はそれ(ブッダの説法)を知った。(なまぐさ)を離れ、何ものにもこだわることのない聖者(ブッダ)は、(カッサバのこ…

木魚歳時記 第2103話

(カッサバ仏は答える)「通路(六つの器官)を守り、器官に打ち勝って行動せよ。理法のうちに安立し、まっすぐで柔軟なことを楽しみ、執着を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は、見聞したことに汚されない。」(スッタニパータ) 「六つの器官」とは、眼・…

木魚歳時記 第2102話

(カッサバ仏は答える)「魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪(ていはつ)も、結髪も、塵垢(ちりあか)にまみれることも、火神への供養に努めることも、あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、(ヴェーダ)の呪…

木魚歳時記 第2101話

(カッサバ仏は答える)「これら(生けるものども)に対して貪(むさぼ)りを求め、敵対して殺し、常に(害を)なすことに努める人々は、死んでからは暗黒に入り、頭を逆さまにして地獄に落ちる、これらが(なまぐさ)である。肉食することが(なまぐさ)な…

木魚歳時記 第2100話

(カッサバ仏は答える)「この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえってかれらを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々、これらが(なまぐさ)である。肉食することが(なまぐさ)なのではない。」(スッタニパータ) …

木魚歳時記 第2099話

(カッサバ仏は答える)「この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し、密告をし、法廷で偽証し、正義を装(よそお)い、邪悪を犯す最も劣等な人々、これらが(なまぐさ)である。肉食することが(なまぐさ)なのではない。」(スッタニパータ) さて、ブッダ=「…

木魚歳時記 第2098話

(カッサバ仏は答える)「怒り、驕(おご)り、強情、反抗心、偽り、嫉妬(しっと)、ほらを吹くこと、極端の高慢、不良の徒(やから)と交わること、これらが(なまぐさ)である。肉食することが(なまぐさ)いのではない。」(スッタニパータ) さて、まず…

木魚歳時記 第2097話

(カッサバ仏は答える)「粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性(たち)で、なんびとにも与えない人々、これらが(なまぐさ)である。肉食することが(なまぐさい)のではない。」(スッタニパータ) …

木魚歳時記 第2096話

(カッサバ仏は答える)「この世において欲望を制することなく、美味を貪(むさ)り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ、虚無論をいだき、不正をいだき、不正の行いをなし、頑迷(がんめい)な人々、これらが(なまぐさ)である。肉食することが(なまぐさい)…

木魚歳時記 第2095話

(カッサバ仏は答える)「生きものを殺すこと、打ち、切断し、縛(しば)ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺(さぎ)、だますこと、邪曲を学習する(無益な書物に毒される)こと、他人の妻に親近すること、これらが(なまぐさ)である。肉食することが(…

木魚歳時記 第2094話

(ティッサはいう)「梵天(ぼんてん)の親族(バラモン)であるあなたは、おいしく料理された鳥肉とともに米飯を味わって食べながら、しかも、わたくしは(なまぐさ)を許さないと称している。カッサバよ、わたくし(ティッサ)はあなた(カッサバ)にこの…

木魚歳時記 第2093話

(ティッサはいう)「よく炊(かし)がれ、よく調理されて、他人から与えられた純粋で美味な米飯の食物を舌鼓(したづつみ)うって食べる人は<なまぐさ>を食うのである。カッサバ(カッサバ仏が求道者であったときの呼び名)よ。」(スッタニパータ) さて…

木魚歳時記 第2092話

(ティッサはいう)「稷(きび)・チーアカ豆・野菜・球根・蔓(つる)の実を善(よき)人から正しいしかたで得て食べながら、欲を貪(むさぼ)らず、偽(いつわ)りを語らない。」(スッタニパータ) 釈尊滅後おおよそ100年(BC4~3世紀頃)を経て、例え…

木魚歳時記 第2091話

(ブロブ筆者より)(勝利の教え)「この世に生きとし生きるものはこの世の宝である。」は終わりました。次に(なまぐさ)の項に移ります。この項は、カッサバ仏(迦葉仏)が、ティッサというバラモン僧に説かれ教えです。最初の三つがティッサのことば。中…

木魚歳時記 第2090話

(ブログ筆者より) 2月以降、性懲りもなく(連日無欠勤)『スッタニパータ』を連載しています。性懲りもなく(連日?)訪問される<隠れ読者>が数名おられます(と推察します)。性懲りもなく発作的に一気読みされる読者も数名おられます(と推察します)…

木魚歳時記 第2089話

(勝れた宝)「われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように完成した(つどい)を礼拝しよう。 幸せであれ。」(スッタニパータ) このようにして、『般若経』『般若心経』を始め、『浄土三…

木魚歳時記 第2088話

(勝れた宝)「われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように完成した(教え)を礼拝しよう。幸せであれ。」(スッタニパータ) さて、二人の弟子と釈尊の問答の形をとりながら、『般若心経』…

木魚歳時記 第2087話

(勝れた宝)「われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように(原文どうり)完成した(目ざめた)ブッダを礼拝しよう。幸せであれ。」(スッタニパータ) さて、『般若心経』の登場人物につい…

木魚歳時記 第2086話

(勝れた宝)「古い(業・ごう)はすでに尽き、新しい(業・ごう)はもはや生じない。その心は未来の生存に執着することなく、種子をほろぼし、それが成長することを欲しないそれらの賢者は、灯火のように滅びる。この勝れた宝が(つどい)にうちにある。こ…

木魚歳時記 第2085話

(勝れた宝)「勝れたものを知り、勝れたものを与え、勝れたものをもたらす、無上の人が妙なる教えを説きたもうた。この勝れた宝が(目ざめた人)ブッダのうちに存する。この真理によって幸せあれ。」(スッタニパータ) さて、おなじみの『般若心経』(はん…

木魚歳時記 第2084話

(勝れた宝)「夏の月の初めの暑さには、林の茂みでは枝が花を咲かせるように、それに譬(たと)うべき、安らぎに赴(おもむ)ための妙なる教えを(目ざめた人)ブッダが説きたもうた。ためになる最高のことがらのために、この勝れた宝が(目ざめた人)ブッ…

木魚歳時記 第2083話

(勝れた宝)「またかれが身体によって、ことばによって、またはこころの中で、たとい僅(わず)かなりとも悪い行為をなすならば、かれはそれを隠すことができない。隠すことができないということを、究極の境地と見た人は説きたもうた。この勝れた宝が(つ…

木魚歳時記 第2082話

(勝れた宝)「自身を実在とみなす見解と、疑いと、外面的な戒律・誓いと、この三つのことが少しでも存在するならば、かれが知見を成就(じょうじゅ)することがなく、それらから捨てられてしまう。かれは四つの悪い場所から離れるものとはなり得ない。この…

木魚歳時記 第2081話

(勝れた宝)「深い智慧ある人(ブッダ)がみごとに説きたまう諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々は、たとい大いなるなおざりに陥(おちい)ることがあろうとも第八の生存を受けることはない。この勝れた宝は集いの内にある。この真理によって幸せであれ…