2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記第4621話

というのは九条基通は平相国清盛によって世に出た事や、従って頼朝追討の宣旨に署名した成行き上、どうしても、平家に連携したのに対して、頼朝は平家と関係のない九条兼実にわたりをつけてこれを利用し、自然と兼実は源氏特に頼朝の方人(かたうど)のよう…

木魚歳時記第4620話

このころの摂関家は、法性寺関白忠通の長子基実を始祖とする近衛家の二代基通と、忠通の三子、すなわち月輪関白九条兼実とである。近衛、九条両家はもと同一族であり、基通と兼実とは叔姪の関係でありながら、それが時の勢いに駆られ、後白河法皇を中心とし…

木魚歳時記第4619話

第二十七章 穢土のかたみ(一)頼朝が鎌倉に幕府を開いて武家の世となって以来、時代は全く一変して、さしもの摂関政治もいまは斜陽族のの筆頭であった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1259 蓑虫の身ぬちの栖つくろいぬ 栖(すみか) 「ボクの細道]好きな俳…

木魚歳時記第4618話

鎌倉の聴衆のなかには、後年法然の門に入った大胡(おおこ)ノ太郎、熊谷小次郎や畠山重忠、比企能員(ひきよしかず)、千葉常胤(つねたね)、土肥実平(どひさねひら)、梶原景時、和田義盛、佐々木定綱などが、法然の説戒を正しく聴聞して悟るところがあ…

木魚歳時記第4617話

「これは神仏そのものとは全く相反するものだからである。権力で世に秩序を布(し)こうとするのは大きな誤りである。弥陀の慈悲の下に人各々が身の権威に目覚め世俗の権威から解放された新しい秩序が築かれなくてはならない」 と法然は半時ばかりの説戒をこ…

木魚歳時記第4616話

「今の世の中では既に今までの秩序はすべて破壊され、新しい秩序はまだ建設されていない、が思うに新しい秩序とても旧来のもの同様に神仏を敬うのでなくてはならない。しかし神仏そのもとを崇(あが)め敬い畏れるのと、すべての権威がその利益権勢を守ろう…

木魚歳時記第4615話

「特に近年のような末法の乱世にあっては、人々も殺傷、窃盗の如き非行を心ならずもしなければならない事態も少なくはない。そのうえ落ちついて修行の暇さえのだから念仏称名のように時と場所を選ばず、その信心の動くまにまにいいさえすればよい行(ぎょう…

木魚歳時記第4614話

「何人でも、よしそれがどれほどの悪人であっても、もし弥陀を信じ、一称たりとも念仏すれば、弥陀の本願によって必ず極楽に生まれずには措(お)かない」 という彼の持論を平談俗語で説き、(佐藤春夫『極楽から来た』)1254 おごそかに三度寝したりばった…

木魚歳時記第4613話

その関東勢を見ようと京童たちが群集する。これらの人々の前に現れた法然は、京の民衆への最初の公開的な獅子吼(ししく)と思われるものを試みた、彼は先ず、(佐藤春夫『極楽から来た』)1253 秋灯し役に立たない老眼鏡 「ボクの細道]好きな俳句(2351) …

木魚歳時記第4612話

清水寺は京洛内外の上下が好んで参籠参詣する観音の霊場で、その舞台は当時も今日のように都鄙(とひ)に喧伝(けんでん)されていた。それ故関東の武士は、この地で法然が説戒すると聞いては道を知ろうとする心ある者はもとより、心なき輩もただの物見高さ…

木魚歳時記第4611話

「法然房、御房はすでに南都で、大原で、その道の人々におん身の信念を述べ伝えている。今は弘く教えを世に布(し)くべき時期になっていると思われる。関東から遠来の客たちもついでにお身の顔ぐらい見せて置くのが、関東の人々のみやげ話の種にもなろうか…

木魚歳時記第4610話

法皇はこうして頼朝と誼(よしみ)を結んだ一方でひそかに法然を招いて鎌倉の軍勢のために一場の法話を試みるように誘い命じずるのであった。法皇は法然の思想はよくご存じだから、法然の法話が一種の思想戦として鎌倉勢に作用することを疑わなかったのであ…

木魚歳時記第4609話

(五)頼朝は約一ヶ月の滞京中かねてから政治的に結んでいた兼実と互いに相往復して交情を温め政策を打ち合わせていた。後にして思えば征夷大将軍に任じられたい運動であったらしいが、一日、法皇から髪切丸を賜った話を持ち出し「院はなかなか油断のならぬ…

木魚歳時記第4608話

「そうであったか。よかった」と院はご満足げにうなずき、「巡り巡ってわが手にあるのも何かの因縁であろう。髭切と申して持ち込んだ者があったが真偽は知らず、とにかく確保した。真物とあらば今は、お身に返すまで」 と院はそのままこれを頼朝に賜うた。予…

木魚歳時記第4607話

「忘れもいたしませぬ」頼朝は手に受けて半分までも抜かず、「これこそわが手から失われた家重代の宝刀、髭切丸(ひげきりまる)にございます」(佐藤春夫『極楽から来た』)1247 高齢も大台に乗り今朝の秋 「ボクの細道]好きな俳句(2345) 摂津幸彦さん。…

木魚歳時記第4606話

頼朝はその軍勢とともに十二月中旬まで滞京した。その間、頼朝は院や御所に参って天皇や法皇に謁(えつ)し兼実や丹波の局とも会い、沙金その他の品々を献じたり贈ったりした時、院は一つの箱の中から一振りを取り出して、頼朝に渡しながら、仰せ出された。…

木魚歳時記第4605話

院は頼朝の雄姿を望み、今度自分の立ち向かうべき相手がこれかと、ご内心に武者ぶるいをおぼえた。古今無類の暗君などといわれながらも、法皇にはスポーツマンの運動神経にも似た一種のものがあって、相手に応じ、その出方に従って、自然とこれに対応する身…

木魚歳時記第4604話

頼朝の軍列は凱旋入場式にも似た一種の示威行進であった。先駆三列、百八十余騎、後騎同じく三列、百五十余騎、その中央に、頼朝は折烏帽子に染絹紺青丸打ちの水干袴(すいかんばかま)に紅衣をつけ、染羽野箭(やせん)、夏毛行縢(むかばき)という装いで…

木魚歳時記第4603話

頼朝の奥州道追討中、大仏殿の修復は着々と進捗(しんちょく)して、建久元年(一一九〇)十月三日、頼朝は上洛した。十九日に行われる大仏殿の上棟式に列するためである。頼朝の入京を見る人々の車が、当日、鴨の河原に並んだ中に法皇も密かに御車をもって…

木魚歳時記第4602話

文治元年八月、新たに鋳造成った大仏開眼の供養があり、法皇は臨幸して御手ずから開眼し給うた。供養の卿相以下眼くらみ足わななき、みな辛うじて半階に達したばかりであったが、法皇は幾層の足台をよじ登らせて十六丈の形像を近く仰ぎ見させ給うた。(佐藤…

木魚歳時記第4601話

十二月二十四日全く追討を終り帰る。平氏との抗争中も常に背後を衝かれる懸念に悩まされ、そのため自身出馬せず、義経、行家らをいて平氏を討たせた頼朝であったが、奥州藤原氏の全滅によって、この後は心置きなく京都へも出られるようになった。(佐藤春夫…

木魚歳時記第4600話

泰衡は義経の首級を六月十三日に鎌倉へ進めた。しかし首級はこの時既に腐爛(ふらん)して相貌の弁別もよくできなかったのを口実として、頼朝は怠慢を責め、院宣の下がるのをも待たず、七月十九日泰衡討伐軍を進発した。八月二十一日泰衡は平泉の館を焼いて…

木魚歳時記第4599話

(四)京都から脱出し北陸を経て再び奥州藤原氏をたよった義経を、頼朝を、頼朝は藤原泰衡(やすひら)をして討たせた。義経は文治五年(一一八九)四月三十日、泰衡に攻められ、三十一歳の有為の身を衣川で自殺した。(佐藤春夫『極楽から来た』)1239 午後…

木魚歳時記第4598話

院と法然との胸中には清風の吹き交うこの夏日を、南都では工人たちが大仏殿の完成に、鎌倉武士は奥州藤原氏討伐に汗を流していた。(佐藤春夫『極楽から来た』)1238 やや寒の神山あたり門前町 神山(こうやま) 「ボクの細道]好きな俳句(2336) 摂津幸彦…

木魚歳時記第4597話

「あれはとても源空には澄憲僧都の如きフルナの弁はございません故、とういていその任ではなかったのですが、重源坊から院のたっての仰せと承り、そのかたちを追って真仏の思いをなすわ功徳を得る事と心得、まして天下に道あること顕然と大仏殿の日々旧に復…

木魚歳時記第4596話

「いや事の趣は重源から聞き及んだ」「その時ついうっかりと、この寺は小乗戒、わが山は大乗戒と口をすべらしたのは、大失策でございました。その一瞬、東大寺の僧兵がギッチリ一団となって聞いていた方角が色めき、ズシリと鎧ずれの音がして、今にも何事も…

木魚歳時記第4595話

「あれはとても源空には澄憲僧都の如きフルナの弁はございません故、とういていその任ではなかったのですが、重源坊から院のたっての仰せと承り、そのかたちを追って真仏の思いをなすわ功徳を得る事と心得、まして天下に道あること顕然と大仏殿の日々旧に復…

木魚歳時記第4594話

「時に、この二月、新しい大仏殿の南廂での三部経説法には南都の人々を随喜のるつぼに投じたと申すでないか」(佐藤春夫『極楽から来た』)1235 橙の部屋いっぱいに香りけり 橙(だいだい) 「ボクの細道]好きな俳句(2333) 摂津幸彦さん。「幾千代も散る…

木魚歳時記第4593話

「何事も源空の力ではございませぬ。源空は取次の者にしか過ぎませぬ。力はすべて阿弥陀仏からのもの、日の月光かげさえ阿弥陀仏あってのものと源空は存じ致します」(佐藤春夫『極楽から来た』)1234 化野を徘徊したり暮の秋 化野(あだしの) 「ボクの細道…