2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記第4136話

不思議なと見入っているうちに、雲は北に去って大きくひろがり、山河一帯を包みかくした。山の東に往生人がいてこれを迎えに行ったのだと思っていると、しばらくして雲は帰ってきてわが頭上で動かなくなり、だんだんひろがって大地すべてを包みかくしてしま…

木魚歳時記第4135話

仰ぎ見ると孔雀(くじゃく)や鸚鵡(おうむ)などの多くの鳥が雲の中から飛び出して河原に遊び戯(たわむ)れているのが、目もあやかにきららかであったが、しばらくして衆鳥は翔り去って、もとの紫雲のなかに入った。(佐藤春夫『極楽から来た』)800 春め…

木魚歳時記第4134話

空には一片の紫雲が地上から五尺ばかりのところに浮かんでいる。どこかに往生の人がいるらしいと見ていると、その雲がすぐ、頭上に飛んで来た。(佐藤春夫『極楽から来た』)799 音のしてやがて現はる春の水 「ボクの細道]好きな俳句(1881) 永田耕衣さん…

木魚歳時記第4133話

河原は広々としてはてしも知れず、木立ちは生い茂って木は無数にあった。わが身は天翔(あまか)って山の中腹に行き、はるかに西の峰を見渡した。(佐藤春夫『極楽から来た』)798 雪の道つるんつるんや天地無用 「ボクの細道]好きな俳句(1880) 永田耕衣…

木魚歳時記第4132話

ある夜の法然の色彩のある夢は不思議であった。 一つの大山があって、その峰は非常に高く南北に遠くつづいている。山の西ふもとに一つの大河があり、ふか緑の水が北から流れ出て波立ちながら南に流れる。(佐藤春夫『極楽から来た』)797 風ひかる知恩教院大…

木魚歳時記第4131話

ココニ貧道(ひんどう)昔、コノ典(てん)(『観経疏』のこと)ヲ接見して、粗(ほぼ)素意ヲ識(し)り、立チドコロニ余行(よぎょう)ヲ捨テココニ念仏ニ帰ス。コレヨリ巳来(このかた)、今日ニ至ルマデ、自行(じぎょう)化他(けた)タダ念仏ヲ事トス…

木魚歳時記第4130話

経文に乃至(ないし)十念ともあるから、十声くらいが最も適当なのであろうか。その後彼はさまざまな修行はやめて、専念に念仏だけを修行するようになった。そうして後年『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)を書いた時、次のように記し…

木魚歳時記第4129話

道場も不要である。非行非坐、行住坐臥何の法式にも拘(こだわ)らず、数の多い少ないも問題ではない。ただ申しさえすればよい念仏であった。(佐藤春夫『極楽から来た』)794 陽炎や買いそびれたるDVD 「ボクの細道]好きな俳句(1876) 永田耕衣さん。…

木魚歳時記第4128話

そうして、『止観』のなかにさまざまな念仏や禅定(ぜんじょう)の行法説いた最後にあって聖道門ではこれを道場の行法に用いなかった非行非坐(ひぎょうひざ)の一法のあったのを思い合わせた。(佐藤春夫『極楽から来た』)793 冬の川底まで澄んで冷たさう …

木魚歳時記第4127話

(五)『観経疏』とて、何も今はじめて読んだわけでもないのに、こんな大切な有りがたい文字をただ読み過ごしてしまっていた。食えどもその味を知らず、読めどもその意を悟らずであったか。至らぬことばかりと、法然はその書を経机の上に置き直すと、つと立…

木魚歳時記第4126話

善導の『観経疏』(かんぎょうのしょ)に「一心ニ弥陀ノ称号ヲ専念シ、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)次節ノ久遠(くおん)ヲ問ワズ、念々ニ捨テザル者、コレヲ正定(しょうじょう)ノ業(ごう)ト名ヅク、彼ノ仏願ニ順ズルガ故ニ」とある。原文三十四字を見…

木魚歳時記第4125話

以上は永の年月の間に法然が感じ考え、また学んだ宗教的体験の蓄積たる聖教量から割り出した結論をおぼつかなくたどり、要約したものである。 往年智慧第一と称されたその人が、一文不知の尼入道の無智のともがらに身を落とし智者のふるまいをせず、初めて道…

木魚歳時記第4124話

五逆(ごぎゃく・父母や道の先達を殺したり仏の血を流したり僧の和を破る罪)や真理を誹謗(ひぼう)する者を除くとあるが、これは罪を未然に防ぐ戒であって、犯してしまった者の場合はこれも許されよう。それでこそ弥陀の慈悲は無量である。(佐藤春夫『極…

木魚歳時記第4123話

幼な児が父よ母よと呼ぼう時、必ず父母は来て彼を助ける。父母よりももっといみじき慈悲をもつ阿弥陀仏は衆生がその名を呼ぶ時、必ず助けてわが国に住まわせようと約束された。この誓いを力にみ仏のみ名をお呼び申すばから、往生なら何人にもできよう。ここ…

木魚歳時記第4122話

聖道門は凡夫には永久に閉ざされた道である。すべての無智無能無財の衆生に開かれるべき別の法門がなければならない。衆生の智慧を知る仏にその門の設けがないはずはない、これを求めて経た二十余年である。(佐藤春夫『極楽から来た』)787 ホットレモン今…

木魚歳時記第4121話

無智だから、どんな思考をめぐらしてみても正覚(しょうがく)の域に達しにくい。無智を、どうしぼってみても智慧が出る道理もない。ただ苦しいだけである。これはわが身源空がよく知っている。結局、成仏の道は無智の凡夫にはかなわぬ道である。(佐藤春夫…

木魚歳時記第4120話

そうして情感は人間には普通に平等である。また智慧のように先入観にけがされることも少ないから、出た釈尊の仰せられる「自灯明」(じとうみょう・わが身におぼえのある真実だけを真実とすること)の教えにも情感は智慧よりも適切であろう。理屈で築いたも…

木魚歳時記第4119話

だから人間は詩歌をも能くする。他の動物に比して極度に情緒のゆたかにこまやかなのが人間という動物の特質なのである。そうして幼な児も母を恋い父を慕う情感を持っている。幼な児の父母を愛慕する心を心としてみな仏を慕い、さすらい人がふるさとをあこが…

木魚歳時記第4118話

それならば、一度、その無智の立場に立って彼岸の世界を考えてみよう。 無智で果たして何を考えることができようか。人間は無智ではあるが、すべて情緒はゆたかに恵まれた動物である。(佐藤春夫『極楽から来た』)783 ジャケットの下はうす着よお父さん 「…

木魚歳時記第4117話

(四)仏(ほとけ)の教えというのは、詮ずるところ小さな自我を否定し、これを滅却して大きな宇宙の法則の流れのなかへ自我を投げ入れることのように思われる。もし仏の教えをこう受け取ってよいならば、小さな自我の大部分を占めている人間各自の智慧とと…

木魚歳時記第4116話

「せめては似絵を蓮華王院にかかげたい。隆信にそなたを写させるぞ」 とお言葉を残して御退出の後、隆信は黄に光る瞳や右の目じりの黒子(ほくろ)、額の皺(しわ)まで見のがさずに、洋々たる春の海のような面ざしを手ばやく写し取った。(佐藤春夫『極楽か…

木魚歳時記第4115話

上皇は法然とそんなお話を楽しまれた後、別室に待たしてあったらしい右京権太夫藤原隆信を召し寄せてこれは歌びとで、また当代似絵(にせえ)・肖像画)描きの名人と法然に隆信を引き合わせたのち、常に会いたいが、その時間もなく、刻々と召せば法然房もさ…

木魚歳時記第4114話

「さてそなたの道はいつ開けるのか」と上皇は話題を変えた。「ずいぶん久しいものではないか」「恐れ入ります。近ごろ身の愚かさを悟りましたおかげで、やっとめどだけはついた気がいたします」「それは珍重、早く見つけてくれ。頼みたいこともある」(佐藤…

木魚歳時記第4113話

「さればでございます。あれは山の下風が山の上に吹き込んで参ったのでございますから、山だけではどうにもなりますまい。ただよいご政道がお開けになれば自然と解体いたします。彼らもすぐに打ち物を捨てて山を去り、故郷の野に寄せた鍬(くわ)を揮(ふる…

木魚歳時記第4112話

後刻、上皇は一同とともに、法然のために出家にふさわしい賜餐(しさん)があった。 人々が雑談的に天下のことを語るのを法然は終始笑いをたたえて黙々と聞いていると、上皇は法然に向かって問いかけた。「打ち物をもてあそぶ山法師どもは、どうにもならない…

木魚歳時記第4111話

誰かは、いとしい人の名を呼びつづけながらその面影を思い浮かべない人がありましょうか」 と思いがけない情愛生活の一端を洩らして人々を驚かせた時、上皇はやさしきことを申す法師かなと一しお随喜あらせられた。(佐藤春夫『極楽から来た』)776 昼ごはん…

木魚歳時記第4110話

座に観仏(かんぶつ)と称名(しょうみょう)との優劣を論じ問う者があった時、法然は、「その点は経の本文を篤とごらになれば称名のすぐれていることは明らかですが、観も称も結局は同じものと考えてもよろしいでしょう。(佐藤春夫『極楽から来た』)776 …

木魚歳時記第4109話

法然はまず『往生要集』から「それ往生極楽ノ教行(きょうぎょう)ハ濁世末代(じゃくせまつだい)ノ目足(もくそく)ナリ、道俗(どうぞく)貴賤(きせん)ノ帰セザランモノ・・・・」 の一節を読み、つづいて所見を述べると、(佐藤春夫『極楽から来た』)…

木魚歳時記第4108話

上皇はお取り巻きの寵臣や西光法師、それに蓮華王院の執行、静賢法印などと蓮華王院の内の一室で法然をお待ち受けあった。(佐藤春夫『極楽から来た』)774 父さんと母さん老いぬ小六月 「ボクの細道]好きな俳句(1855) 今井千鶴子さん。「何もかも何故と…