2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第3474話

枕する首すじから肩にかけて、またふとんのなじまない足の寒さに、童子さえもすぐに寝つかれない夜が多かった。心の野を横ぎる雲の影のようなものが、夜な夜な睡(ねむ)りにくい童子の小さな心を苦しめた。(佐藤春夫『極楽から来た』)176 仏塔を鋭角に切…

木魚歳時記 第3473話

(五)寺の冬は山頂のように寒くはなかった。南東にひらけた地勢は寒風もかよわず日中は暖かかったが、それでも七百メートルの高地の朝晩は、平地にくらべればもちろん寒かった。(佐藤春夫『極楽から来た』)175 初髪や日本最古のをんな神 「ボクの細道]好…

木魚歳時記 第3472話 

それこそ道を求め仏にすがる因縁(いんねん)ともなる大切な心である。せっかく思い潜め、これを浄(きよ)め高めて、軽々しくは慰め忘れようとすべきでないと、この小さな弟子を教え戒めた。(佐藤春夫『極楽から来た』)174 天と地を結ぶ鳥居や初茜 「ボク…

木魚歳時記 第3471話

途すがら童子の答えによって近ごろ時々悄然と見える理由を聞き知った観覚は、そういうやるせなく寄るべのない気持ちはひとり童子だけでなく人間だれしも折ふしくはあるもので、(佐藤春夫『極楽から来た』)173 欲ぼけによく効く薬からつ風 「ボクの細道]好…

木魚歳時記 第3470話

夕風ひややかに、ねぐらに帰る鳥を見て、山の夜道を危ぶみ、一同はなごりを惜しみつつ山頂を立ち去った。(佐藤春夫『極楽から来た』)172 大仏の鼻の穴まで煤はらひ 「ボクの細道]好きな俳句(1220) 石田波郷さん。「紫陽花や帰るさの目の通ひ妻」(波郷…

木魚歳時記 第3469話

日本海には近いのである。経文にいう西方浄土(さいほうじょうど)大地の美しさもかうやと観覚は見とれた。もしまた明石定明(あかしのさだあき)がこれを見たとすれば、満帆の風を受けた父の船の映像をここに見出したかも知れない。(佐藤春夫『極楽から来…

木魚歳時記 第3468話

脚下には下の谷に生い茂った木々の紅葉したこずえの上にわき起こる雲海のなかに大山(だいせん)などの連峰が頂きを見せ、峰と峰との中間のくぼみに雲煙の晴れたあたりは日本海の紺碧を水平線までのぞき得た。(佐藤春夫『極楽から来た』)170 百僧の右繞礼…

木魚歳時記 第3467話

一同は思わず歓声を上げたほど、山頂の眺望はすばらしかった。峰の肩越の下界は瀬戸内一帯から四国にかけてばく然と煙っていた。そりよりももっとすばらしいのは西北の側で、(佐藤春夫『極楽から来た』)169 墓一つ更地となりて暮の秋 「ボクの細道]好きな…

木魚歳時記 第3466話

今まで、芝原の肌の骨のように包まれ横たわり伏していたものが、不意に立ち上がったかのように突兀(とつこつ)とそそり立つ天狗岩の傍らに出た。目を見張り見上げつつささ原をかき分け、かき分け、登ればやがて山頂も芝生であった。(佐藤春夫『極楽から来…

木魚歳時記 第3465話

高く懸るものでなく低く幅の広いものが三段に落ちて、いわば川のきれっぱしが立っているような姿で、水かさは多く勢いはすさまじい。芝原の前で渡った細流の源でもあろう。(佐藤春夫『極楽から来た』)167 花野原みんなどこかに消えてゆく 「ボクの細道]好…

木魚歳時記 第3464話

この芝生を通り過ぎて、ところどころに岩かどの現われ出ていたのが追々と岩の多く現われ積み重なった場所にさしかかって波旬の滝というのが秋空に水音高く鳴りひびかせていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)166 ぎんなんの一つ転んでミイラ仏 「ボクの細道]…

木魚歳時記 第3463話

ここには樹木らしいものは何一つなく、あるのはただ、あちらこちらの低い灌木(かんぼく)の叢(しげみ)ばかり、一面の緑あせて黄ばんだ枯芝の行く先々にりんどう、ききよう、なでしこ、おみなえしがいたましくやせた茎にゆかしい花の色を見せていた。(佐…

木魚歳時記 第3462話

那岐(なぎ)の主峰は寺の支峰を南にめぐるだらだら坂をしばらく下り、西に出るとそのすその支峰と支峰との境目にある谷あいの細流が、水もせせらぎもさわやかであった。足もとの小岩を二つ三つ踏みしめて飛び渡ると、流れの前面一たいはひろびろと盛り上っ…

木魚歳時記 第3461話

更に一段と高く主峰に登って、童子の目を楽しませるかとか、彼自身をはじめ多くの若い学侶たちが夏中蓄積した精力を登高によって発散させようという念慮から出た企てであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)163 おしまひのページめくりてやや寒し 「ボクの細…

木魚歳時記 第3460話

(四)九月半ば、秋晴れのさわやかにつづいた一日を、観覚は学侶一同にむかって、主峰の山頂へ登ってみようといいだした。 彼は童子がこのごろ、時々悄然(しょうぜん)としている姿をも、また好んで墓域の東側の樹下に眺望を楽しんで立っているのも知ってい…

木魚歳時記 第3459話

童子は彼の心を襲う何とも知れないものは、母を慕い亡き父をなつかしく一念で、やがて寄るべのないおのれの孤独感であるということを、この大きな風景を前にして弓削や稲岡の黄ばんだ田の面を刻々にうすれ行く夕日かげを見ているうちに追々と気づいた。(佐…

木魚歳時記 第3458話

津山盆地の西部山際にあるのだが、あいにくとあまりに近く山かげになってここからは見えないのか、それともあまりに遠く見えながら見定めにくいのか、西の方ははるかに母の家秦氏の氏神錦織神社の森とおぼしきものを黒く見つけはしたがそれもおぼつかない。…

木魚歳時記 第3457話

つるべ落としの秋の夕日ざしの間に童子が黄色な瞳をかがやかし見張ってあちらこちらさがし求めているのは倭文錦織(しどうにしごり)の母の家であった。それは稲岡の背後の山を縦に北へ超えた里で、(佐藤春夫『極楽から来た』)159 わき道にまがりたくなる…

木魚歳時記 第3456話

そうして近い山野の表をすべりかすめて雲の影が通りすぎる。この清明な天地のなかにさえ、時々わが心をかすめる何ものとも知れないないものがあるのを童子は見た。(佐藤春夫『極楽から来た』)158 月明に来て仙洞の客となる 「ボクの細道]好きな俳句(1206…

木魚歳時記 第3455話

山々のところどころが赤らみまたは黄ばんだ底に銀色にかがやく旭川の川すじや、空色の空よりももっと濃いものをたたえた瀬戸内の海光の一線があざやかに見られた。(佐藤春夫『極楽から来た』)157 仙洞の魚青ざめて旱雲 旱雲(ひでりぐも) 「ボクの細道]…

木魚歳時記 第3454話

秋ともなるとこの木立ちの下はまた格別によかった。 菩提樹の手のひらのような葉がひからびてかすかな音を立てて落ち散り、地を走り、いちょうの葉は黄ばみ、(佐藤春夫『極楽から来た』)156 片かげり唇ひらきたる骨董店 唇(くち) 「ボクの細道]好きな俳…

木魚歳時記 第3453話

朝霧が山なみのすそにひろがる盆地を埋めつくした時、それはさながら海面のようにただよい光り、山なみは島や岬と見誤られて、童子のまだ見も知らぬ海というものに似ているということであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)156 虎猫も蠅虎も飼ふてゐる 蠅虎…

木魚歳時記 第3452話

東美作(みまさか)一帯を見おろして、脚下を縦横に走る山なみが美しく、明石定国(あかしのさだくに)が都から帰った当座は、好んでその山頂に立って笛を吹き暮らしていたと伝えられる笛吹き山の峰などが低く指呼(しこ)の間にあった。(佐藤春夫『極楽か…

木魚歳時記 第3451話

眼前に展開する大きな風景が楽しく、咲きはじめた菩提樹の花の香がなんともなくなつかしかったからである。 眺望はひとり津山盆地や岡山街道の山峡だけでなく、(佐藤春夫『極楽から来た』)154 大唐を出で天竺へ蟻の道 「ボクの細道]好きな俳句(1201) 小…

木魚歳時記 第3450話

童子はここに来た第一日に春の夕もやのなかに暮れなずむ風景に見とれて以来、何となくここが気に入って、あの広い墓域(ぼいき)の東側に立ち並ぶ菩提樹や、いちょう木立の間に出て来て、よく立った。(佐藤春夫『極楽から来た』)153 西方によき話あり蟻の…

木魚歳時記 第3449話

春が過ぎて夏が来るとともに山上の寺のありがたさはいよいよよくわかって来た。ここは父の家から稲岡やまた母の家の倭文(しどり)よりずっと清涼で、蚊やはえのようないやなものは一つだって住んでいなかった。ただ衆僧の読経の声に和して蝉も一日中経文(…

木魚歳時記 第3448話

それが血や肉のなかまでしみ込んで行くのを感じた。わけても師匠と朝の散歩など心身を日々、すこやかに育てているのを感じた。彼はここに居て健康なのである。そうして日々にもの心がつきはじめていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)151 虹描きて手品師街を…

木魚歳時記 第3447話

(三)不意に心が日蝕(にっしょく)のようになる現象は、童子が山の上の寺に来てはじめて知ったところである。 しかし山の上の空気はすがすがしく甘かった。少年は少年はそのはつらつたる内臓にけがれのない山上の気を心ゆくまで吸い込んで、(佐藤春夫『極…

木魚歳時記 第3446話

師匠はこの弟子の学びぶりをつくづくと見て、孔子さまのものに似ているだけに、このでこぼこ頭の中味はなかなか充実していると頼もしがった、いまにここから円光が射すものとまでは知らなかったが。(佐藤春夫『極楽から来た』)149 剃刀の喉もとあたり鱧の…

木魚歳時記 第3445話

それは文字の論議ではなく、文字を媒介として分析や総合や推理などいろいろと文(もん)を立体的に考察する方法を少年の柔らかな頭脳にたたき込むのであった。この基礎的な訓練が後年どれほど役に立ったかは我々も今に見るときが来るであろう。(佐藤春夫『…