2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記第4398話 

頼政は挙兵に当たってはじめわざと競には知らせなかった。知らせて女子供が泣きわめき大事が洩れてはという用心と、知らせずともいつも用意があり、事を聞けば必ずすぐ駆けつける男と信じ切っていたかであるという。(佐藤春夫『極楽から来た』)1048 短日や…

木魚歳時記第4397話 

ところが、宗盛の方では競を、「王城一の美男也、心剛に弓箭取ってよし、渡辺党の第一」 と惚れ込んで、わが家来にしようと、小糟毛(こかすげ)という馬などを贈って彼の機嫌を取っていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)1047 枕絵の男とをんな冬の夜 「ボク…

木魚歳時記第4396話 

競は渡辺党でも屈指の者で、「大力の剛の者、強弓の精兵、二十四の矢にてまず二十四人をお殺さんず」と評されたが、六波羅の宗盛邸の裏路地に極近くに住んでいた。疑えば頼政の密偵であったかも知れない。(佐藤春夫『極楽から来た』)1046 初場所に底の抜け…

木魚歳時記第4395話 

その組に準じてか、渡辺党はみな一字名で禁中「滝口」の衛士(えいし)が多く、ために「滝口の唱(となう)」だの「滝口の競(きょう)」などと呼ばれていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)1045 寒紅を僧に仕へし僧の妻 「ボクの細道]好きな俳句(2135) 波…

木魚歳時記第4394話 

(三)頼政の手兵は勇猛を以て聞こえ、渡辺党と呼ばれていた。 武蔵源氏の箕田氏の子の綱が,多田の頼光のところに来て、今日の大阪、当時の渡辺に住み、渡辺の綱と名乗って、頼光四天王の一人となったのは人の知る如くである。渡辺党は綱の子孫である。(佐…

木魚歳時記第4393話 

しかし、いよいよ三井寺討伐軍に加えられては、いかなる頼政とても、もはや、平然ととして寝返りも打てない。彼の決心もついに成った。彼は二十二日の宵の口、近衛河原の自宅に火をかけ、兵を従えてその夜半三井寺に至った。(佐藤春夫『極楽から来た』)104…

木魚歳時記第4392話 

清盛としては今まで事毎に自分に味方し、最近では三位まで食らわせておいた頼政ではあるし、彼が落ち着き払っているのを見てはいささかも疑わなかったのかも無理はない。(佐藤春夫『極楽から来た』)1042 比叡おろし深夜のうつつゆめもどき 「ボクの細道]…

木魚歳時記第4391話 

そうして三井寺の衆徒の蹶起(けっき)を待っているというのを王への申しわけに、また自分への口実に、今に至るまで荏苒(じんぜん)、何食わぬ顔をして平然と都にいたのである。事の成り行き如何によっては、罪を以仁王ひとりに背負わせる気で、最後まで傍…

木魚歳時記第4390話 

頼政は次男の兼綱にも全く知らせないで置いた。さればこそ兼綱は三条高倉第へ踏みこんでむごくも王の二児を捕え帰ったのであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1040 春浅し僧に仕へし僧の妻 「ボクの細道]好きな俳句(2130) 波多野爽波さん。「暗幕にぶら…

木魚歳時記第4389話 

頼政がこの征討軍の一部隊長として加えられているのは皮肉にも痛快なような事実であるが、清盛はこの事変の張本人が頼政であるとは、この時までついぞ知らなかったのである。頼政がどれほど慎重に事を謀っていたかがこれでわかる。(佐藤春夫『極楽から来た…

木魚歳時記第4388話 

二十一日、清盛は三井寺攻撃の武者を指名した。前大将宗盛以下、頼盛、敦盛、知盛、維盛、資盛、清経、重衡、そうして頼政の十名であった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1038 なにごとか雀群たり雪が降る 「ボクの細道]好きな俳句(2128) 波多野爽波さん。…

木魚歳時記第4387話

衆徒のなかから甲冑(かっちゅう)をつけた悪僧が数人進み出で、八条院使者を取り押え、 「これをみやげにせよ」 と彼らの髻(もとどり)を切って投げ与え、嘲(あざけり)り罵(ののし)りながら山門から突き出した。(佐藤春夫『極楽から来た』)1037 薄氷…

木魚歳時記第4386話

強いても連れ帰ろうとするので、王は憤然として、「我はたとえ衆徒が我を捨てるとも、決して人手には渡らない。ここに一命を終る覚悟である」 と宣言して衆徒らを感激させた。(佐藤春夫『極楽から来た』)1036 綿虫のここにあつまる狐坂 「ボクの細道]好き…

木魚歳時記第4385話

直ちに王の後を追う手て来るはずの頼政は、待てど暮らせど姿を見せない。いささか心細いところへ、頼政ではなく、かえって八条院からの使者が来て、即刻の帰京を促すのであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1035 そのあとはへろりへろへろ恋の猫 「ボクの…

木魚歳時記第4384話

頼政は三井寺の衆徒は直ちに蹶起(けっき)して都に来るものと甘い観測をして、これを待ち、自分は手兵を従えて宗徒に合流して六波羅に夜襲をする予定で、王は三井寺の蹶起を促すために先発したのである。 上皇の厳島詣でなどで反平家熱は平素より一段と高か…

木魚歳時記第4383話

しかし王はその前夜、頼政の献策により、月光に乗じて女装して第を脱出して、三井寺に入っていた。三井寺は延暦寺が常に清盛と相結んでいる関係上反平家であり、法皇との関係が篤かったから、王を迎えて王を援(たす)けた。しか頼政が希望したように容易に…

木魚歳時記第4382話

(二)以仁王に源姓を賜うて庶民に落し、仁お字は彼にもったいないと名を以光(もちてる)と改めさせたうえで土佐に流す手順にして置いて、清盛は検非違使を高倉第に向かわせたものであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1032 山眠るふもとに小さき狐塚 「…

木魚歳時記第4381話

五月十五日、検非違使兼綱(頼政の次男)らが三条高倉宮に向かった時、門は堅く閉されて敲(たた)けども応対もない。裏門を押し破って屋内に入ると、暮れなずむうすら明りの座敷に幼い二児が組打ちして戯れるのをその母が見守っているばかりで、宮の姿はど…

木魚歳時記第4380話

五月十日、清盛はまた三百騎ばかりを従えて都に入り都民たちを騒がせが、数日後には三条高倉宮は配流になるという 取沙汰が都内に広まった。 (佐藤春夫『極楽から来た』)1030 もうすこしあと五分だけ竈猫 「ボクの細道]好きな俳句(2120) 波多野爽波さん…

木魚歳時記第4379話

新宮の大衆はすぐにこれに応じて起(た)ったが、本宮の大江法眼という者は平家に属した祈祷師であったから、直ちに川を下がって新宮を攻めた。新宮、那智の大衆が大挙して大江法眼を迎え撃ってこれを破った。法源の甥の佐野法眼という者が事を福原に報じた…

木魚歳時記第4378話

恐らく、彼は八条院の蔵人になり、この大使命を帯びて、はじめて世に出た思いがしたのであろう。そうして新宮に帰ると大得意であった。新宮の大衆を信じて、性急にも事を明かした。(佐藤春夫『極楽から来た』)1028 山裾を仄かに浮かせ山眠る 「ボクの細道…

木魚歳時記第4377話

行家は東奔西走して、摂津、河内、大和、近江の同族へ、遠くは甲斐の武田信義、信州の木曽義仲、陸奥の義経ん、四月二十七日には伊豆の頼朝に連絡して、よくその使命を果たしたが、ちょっとした間違いをしでかしてしまった。 行家は多田行綱のようなすれっか…

木魚歳時記第4376話

頼政が以仁王の令旨を奉じたころ、行家はあたかも都に出ていた。彼が熊野に居住して修験者たちの風俗行事に熟し、また旅に慣れていたのを利用して、この任務を与えられると同時に、八条院蔵人にも補せられたものであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1026 …

木魚歳時記第4375話

これを諸国に伝達した十郎行家は、為義の末子で、はじめは義盛と名乗り陸奥十郎と称してした。末子であったため遠国に置かれていたのが幸いして、保元の乱にもかかわりなく生き残っていた。その後、彼は行家と名を改め、熊野別当が縁故であったのをたよって…

木魚歳時記第4374話

この宮の平氏に対する日ごろの鬱憤(うっぷん)が、父法皇の鳥羽殿幽閉によって一段と昂(たか)まっているのを見た頼政は、事成就の暁は王を天皇として推戴し奉ると誘うて、平氏討伐の事を王に謀(はか)った。皇族を戴いて大儀名分を立てたのである。令旨…

木魚歳時記第4373話

第二十二章 埋れ木の実(一)以仁王は藤原成子の生むところで、出自は必ずしも賤しくははない。しかし当時、平氏に圧倒されていた藤原氏の末流の出で、法皇の第二子でありながら、即位はもとより、親王にもなれないで、富裕な叔母君八条院の猶子とはいえ、女…

木魚歳時記第4372話

彼は既に七十七歳になっている。今にして起たずば終世その機もあるまい。 彼は上皇の第二皇子で不遇な地位に甘んじて八条院の猶子となって居られた以仁王(もちひとおう)を捧じ、八条院の二百ヶ所にわたる広大な所領を背景に、八条院の蔵人源行家(義朝の末…

木魚歳時記第4371話

平素相争う法師どもが一団となっての抗議を尻目に、ただ数日延期したばかりで、新院のご案内をして清盛が安芸に向かった留守に、平氏に対する満天下の反感を見落とさなかったのが、余人ならぬ頼政であった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1021 猪日はや風呂・…

木魚歳時記第4370話

あたかもそのころ御譲位あらせられた高倉天皇は譲位後最初の社参先を、興福寺の末社加茂や延暦寺の末社石清水という先例を破って、厳島社と仰せ出された。これも清盛のきげんを取って、おん父上皇と清盛との間が少しでも円滑にというお心づかいであった。(…

木魚歳時記第4369話

妻栄子は夫亡き後は院の女房として丹後局と呼ばれたが、今選ばれて鳥羽殿で君側に奉仕中、三年目には法皇との間に一女覲子(きんし・後の宣陽門院)を生んだ。これもまた容易ならぬ才女で稀有(けう)の女政治家であった。法皇の晩年まで奉仕して摂政や関白…