2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第3716話 

ところが、こいういかがわしいことを伝えた『古事談』という古書は、事件後六十年ばかりほんの一時代おくれでできたと思われるものではあるが、この書は奇事異聞を集めることに急ぐあまり、ちょうど今日の新聞や週刊誌なみにあまり信用のならないことを書き…

木魚歳時記 第3715話 

しかし、天皇がこの取沙汰に思いあたる節でもあったものか、この第一皇子を叔父子と称して疎んじていたのは事実らしく、このおん父子は平素のおん仲あまりむつまじくなかったのを、保元の乱の遠因と見ようとする説もある。(佐藤春夫『極楽から来た』)411 …

木魚歳時記 第3714話 

先ず第一が、この乱の主動的人物ともいうべき新院崇徳(すとく)上皇は、待賢門院(たいけんもんいん)藤原璋子(しょうし)をご生母とした鳥羽天皇の第一皇子であるが、おん父は天皇ではなくて実は天皇のおん祖父白川法皇だという説が、当時行われていた。 …

木魚歳時記 第3713話 

しかし時代相を観、人間性もしくは天皇の神性を識(し)ろうとする我々にとって、これは少々深入りする必要のありそうなことである。決して好んで裏面史を語るのではない。 大義のためではなく、権勢欲のために、父子兄弟、みな親を滅ぼして、牆(かき)に相…

木魚歳時記 第3712話 

この兵乱は決して一朝一夕にかもし出されたものではなく、その根ざすところは深く、またはなはだ複雑である。 しかし事が九重の雲の上に関するものだけに、今までは専門家以外にはあまり明らかにされず、専門の学者とてもあまり深入りして研究せず、たとえ研…

木魚歳時記 第3711話 

こんな戦況よりも、その後、敗軍の公家はすべて流罪ですんだのに武者は誰彼の容赦もなくすべて死刑となった。この刑罰の区別や死刑を主張した信西の態度の方が興味があるが、それよりももっと注目すべきことは、この戦争の原因の方であろう。(佐藤春夫『極…

木魚歳時記 第3710話 

第八章 雲上の醜聞 (一)保元元年七月に勃発した保元の乱は、貴族政権を武家政権に移す転機となったものとして、歴史上重要な意義のあるものとされている。 しかし戦争そのものは、鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)が強弓をもって武勇を発揮したほ…

木魚歳時記 第3709話 

その後、三十三までの十年がほど、法然は遊行癖でも生じたかのように山を上り下りして、ある時は醍醐の寛雅(かんが)に、ある時は仁和寺の慶雅(きょうが)に、さては仁和寺や宇治に、他宗の先達に学んだり法蔵をさぐったり寧日(ねいじつ)もなかったが目…

木魚歳時記 第3708話 

法然は求道の焦燥と時代の不安とに堪えずこの間はわずかに一夕の参籠ですました釈迦堂に今一度おちついて、すくなくとも十七日の参籠をしようと再び山を下った。そうして今度はそのまま南都ではなく宇治の法蔵に行き、帰るさいには仁和寺(にんなじ)の法蔵…

木魚歳時記 第3707話 

法然は先師の死が身に迫るのをおぼえてひとり四明岳(しめいがだけ)の頂上の岩によじ登り、彼は将門とは全く別種の感懐を抱いてここに立った。もと山中に人となって自然を愛する人であったが、今は白雲も紅葉も彼を慰めなかった。彼はこの時この笹原の斜面…

木魚歳時記 第3706話 

もっともこの行法結果やがて一身は蛇体に転身するとともに人間の一形(いちぎょう)は自然に滅するわけである。秘法は神秘でよくわからないが、おそらくは加持(かじ)の後絶食でもした一種の厭世自殺であったろうか。 今生の成道の絶望に蛇身を受けて弥勒を…

木魚歳時記 第3705話 

池に身を沈めるといっても別に直接に入水自殺したわけではない。領家の加茂神社から荘園の桜ヶ池の水を請(もら)い受けて、掌中のくぼみに掬(きく)したものに対して池の主の蛇体になることを念じる天台秘密の加持(かじ)を行じてそのなかに身を投入した…

木魚歳時記 第3704話 

さて山に帰ってみると、第三の師匠皇円が永年苦心して推敲(すいこう)した『扶桑略記』(ふそうりゃっき)の完稿を残して、乱後、成道の困難に絶望した結果、五十七億七千万年後に下降(げこう)するという弥勒菩薩(みろくぼさつ)を待つために蛇身を受け…

木魚歳時記 第3703話 

いよいよ末世(まっせ)が現出した、と法然は歩きながら考えつづける。いわゆる闘諍堅固(とうじょうけんこ)、暴力の時代に入ろうというのであろう。次いで必ずまた何事かが起り、その何事かが必ずまた何事かを呼び起さずにはおくまい。 彼は時代の不安をし…

木魚歳時記 第3702話 

この時敗軍中の大立者であった左大臣頼長は逃げる馬上で流れ矢に当たって死んだが、この藤原長者たる大旦那を失った南都の蔵俊は『唯識比量抄』(ゆいしきひりょうしょう)を八月十四日に浄書し終わって「筆ヲ執ッテ書カントスル二文字モ紅涙ニ染マル」と奥…

木魚歳時記 第3701話 

(五)保元(ほげん)元年の晩秋、法然は十五年前に自分の目の前で起こって今もまだありありと眼底に残るほどの忌まわしいでき事が、いまやもっと大仕掛けに、場所もあろうものを、都でもち上り、御所の一部が焼き打ちされたばかりか、その結果は三百四十年…

木魚歳時記 第3700話 

昔ながらの寺々や仏たちを巡って法然は十一月までこの古都にいた。その間に都では七月十一日、天皇家と摂関家の父子、兄弟が牆(かき)に相せめぎ、源平の武者たちも父子、兄弟、叔姪ら相分れての兵乱があったと伝わってきた。 今や古い寺々での仏典あさりど…

木魚歳時記 第3699話 

つまり、学的伝統のない、そんな独創的な鋭い説をはばからず述べるのは、仏、菩薩ならではの大胆不敵さ、敬服だからわが一生、貴僧に奨学の資を進上したいというのである。また蔵俊の後進を愛する一念である。 しかし法然は、望みもせぬ称賛の辞は得たが、人…

木魚歳時記 第3698話 

蔵俊がつぶさに説く?舎(ぐしゃ)七十五法や百法に対して若い法然は、人間の千差万別の心理をわずかに七十五法や百法で割り切って解決し得たとするのは承服しがたいというと、耳を傾けていた蔵俊は容を改めて、「しかし貴説は相伝の義を超えている。貴僧は、…

木魚歳時記 第3697話 

当時は常に召されていた左大臣藤原頼長の命によって『唯識比量抄』二巻を執筆中だと得意であった。法然はこれほどの学匠が、なおこんな名聞を誇るのかと思いながらも、叡山で学んでいた場違いの法相宗の疑義をただし、つづいて法相の教学そのものに対する率…

木魚歳時記 第3696話 

南都に入った法然は、先ず第一に因明(いんみょう)(物事の正邪真偽を考察論証する一種の論理学)の大成者として名高い蔵俊(ぞうしゅん)を訪うた。 蔵俊は安元(あんげん)二年(一一七六)権律師(ごんりっし)に任じられ、三年後には権少都(ごんしょう…

木魚歳時記 第3695話 

山野には藤つつじがもう終わって、林の梢(こずえ)には、栗の花、林下には百合の花が咲き出しているなかを、若い出家は墨染衣を青嵐に吹かれひるがえして、大きな黒揚羽か何かのように行くのであった。目ざす奈良には古き仏たち、すぐれた学匠もあり、法蔵…

木魚歳時記 第3694話 

そのころから『往生要集』によって往生に注目しはじめていた彼は、空也(くうや)、恵心(えしん)、良忍(りょうにん)などの平安の仏教のほかに、南都には行基(ぎょうき)その他の平安とは別系統の一派のあるのを知って、折あらば、それついても学びたい…

木魚歳時記 第3693話 

わけても叡山よりは一時代古く、徐災致福(じょうさいちふく)、広学多門(こうがくたもん)、戒律堅固(かいりつけんご)をモットーとする南都の仏教は、素朴で生活に即したものであっただけに、その退廃前にはきっと学ぶべきものがありそうに思っていたも…

木魚歳時記 第3692話 

(四)叡山で天台の大要はほぼ知ったが、自分の機根には不似合いなような気がしていた法然は、もっと広く諸宗のことを知りたい、もしかすると自分の所信を裏書きする経文もあるかも知れないとかねがね思っていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)389 裸木のご…

木魚歳時記 第3691話 

明け方になってやっと一刻ばかり熟睡したさめ際の夢に、母に似た宿坊のおばさん、いやおばさんに似た母が現われて、やさしく、「南都へ行ってごらん。得業のおじさんのように」といったまま姿を消した。 目が覚めた法然はこれを霊夢と考え、山に帰る足をその…

木魚歳時記 第3690話 

「ごらん下さい、如来さま。源空は大の愚か者でございます。しかし、今夜おん足もとに伏して帰依し奉る人々とても決してみながみな、源空以上の利根の人ばかりとは限りませぬ。衆生のため抜苦与楽(ばっくよらく)の如来は源空やそれに類する下根(げこん)…

木魚歳時記 第3689話 

法然は板の間の片隅にひじ枕して周囲の状況を見つつ、この混乱の末世にもここにこれだけの秩序のあるのも瑞像の前なればこそと有難く思い、彼は人の寝静まったなかで眠りもせずそぞろに僧奝然の生涯と子の志を励ましたその母とを思い、またひとり心中に瑞像…