2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第2080話

(勝れた宝)「城門の外に立つ柱が地の中に打ち込まれていると、四方からの風にも揺るがないように、諸々の聖なる真理を観察して見る人は、これに譬(たと)えられる。この勝れた宝は集(つど)いのに内にある。この真理によって幸せであれ。」(スッタニパ…

木魚歳時記 第2079話

(勝れた宝)「ゴータマ(ブッダ)の教えにもとづいて、堅固な心をもってよく努力をし、欲望がなく、不死に投入して、達すべき境地に達し、代償なくして得て、平安の楽しみを享(う)けている。この勝れた宝は(つどい)にうちにある。この真理によって幸せ…

木魚歳時記 第2078話

(勝れた宝)「善人の褒めたたえる四双(しそう)の人は、また八輩(はっぱい)の人である。かれらは幸せな人(ブッダ)の弟子であり、施与(せよ)を受けるべきである。かれらに施(ほどこ)したならば、大いなる果報をもたらす。この勝れた宝は集(つど)…

木魚歳時記 第2077話

(勝れた宝)「最も勝れた仏が讃嘆(さんたん)したまう清らかな安定を、ひとびとは(さとりに向けての)「心の安定」と呼ぶ。この<心の安定>と等しいものは他には存在しない。このすぐれた宝は理法の(教え)うちにのみ存する。この真理によって幸せであ…

木魚歳時記 第2076話

(勝れた宝)「心を統一したシキャムニは、(煩悩)の消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された、その理法と等しいものは何も存在しない。このすぐれた宝は理法のうちに存する。この真理によって幸せであれ。」(スッタニパータ) サンスクリット語の「シャ…

木魚歳時記 第2075話

(勝れた宝)「この世また来世におけるいかなる富であろうとも、天界における勝(すぐ)れた富であろうとも、われらの全(まった)き人(如来)に等しいものは存在しない。この勝(すぐ)れた宝は、目ざめた人(仏)のうちに存在する。この真理において幸せ…

木魚歳時記 第2074話

(勝れた宝)「それ故に、すべての生きもの(神霊・鬼神)よ、耳を傾けよ、昼夜に供物(くぶつ)をささげる人類に、慈しみを垂れよ。それ故に、なおざりにせずに、かれらを守れ。」(スッタニパータ) さて『スッタニパータ』は、最古の原始仏教経典(BC3~…

木魚歳時記 第2073話

(勝れた宝)「ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、すべて歓喜せよ。そうして心を留めてわが(ゴータマ)説くところを聞け。」(スッタニパータ) 「諸々の生きもの」とは、一連の詩句が護呪(ごじゅ)として用いられる場合は…

木魚歳時記 第2072話

(ブログ筆者より) 「聖者とは」の記述を終わります。次に「この全世界は、虚空(こくう)も地上も、諸々の<生きもの>により満たされている。それらの生きものはこの世の<勝れた宝>である。」とあります。つぎはこの世の「勝れた宝」の項に移ります。 …

木魚歳時記 第2071話

(聖者とは)「「たとえば青頸(あおくび)の孔雀(くじゃく)が、空を飛ぶときは、どうしても白鳥の速さに及ばないように、在家者は、世に遠ざかって林の中で瞑想する聖者・修行者に及ばない。」(スッタニパータ) 「青頸(あおくび)の孔雀(くじゃく)」…

木魚歳時記 第2070話

(聖者とは)「両者(出家者と在家者)は住所も生活も隔(へだ)たっていて、等しくない。在家者は妻を養うが、善(よ)く誓戒(せいかい)を守る者(出家者)は何ものをもわがものと見なす執着がない。在家者は、他のもの(生きもの)の生命を害(そこな)…

木魚歳時記 第2069話

(聖者とは)「世間をよく理解して、最高の真理を見、激流を超え海をわたったこのような人、束縛を破って、依存することなく、煩悩の汚れのない人、諸々の賢者は、かれを聖者であると知る。」(スッタニパータ) そして、『スッタニパータ』などは、南伝系の…

木魚歳時記 第2068話

(聖者とは)「淫欲(いんよく)の交わり断ち、いかなるうら若き女人にも心をとどめず、驕(おご)りまた怠(おこた)りを離れ、束縛から解脱している聖者、諸々の賢者は、かれを聖者であると知る。」(スッタニパータ) ところで、前述した「結集」(けつじ…

木魚歳時記 第2067話

(聖者とは)「他人から与えられたもので生活し、(容器の)上の部分からの食物、中ほどからの食物、残りの食物を得ても(食を与えてくれた人を)ほめることもなく、またおとしめて罵(ののし)ることもないならば、諸々の賢者は、かれを聖者であると知る。…

木魚歳時記 第2066話

(聖者とは)「自己を制して悪をなさず、若いときでも、中年でも、聖者は自己を制している。かれは他人に悩まされることなく、また何びとをも悩まさない。諸々の賢者は、かれを聖者であると知る。」(スッタニパータ) さて<経典>の話に戻りましょう。ゴー…

木魚歳時記 第2065話

(聖者とは)「梭(ひ)のように真直ぐにみずから安立(あんりゅう)し、諸々の悪い行為を嫌い、正と不正とをつまびらかに考察している人、諸々の賢者は、かれ(釈尊)を聖者であると知る。」(スッタニパータ) 「正」と「不正」との比較が示されます。すべ…

木魚歳時記 第2064話

(聖者とは)「他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人、諸々の賢者は、かれ(釈尊)を聖者であると知る。」(スッタニパータ) 「水浴場における柱」とは、沐…

木魚歳時記 第2063話

(聖者とは)「独り歩み、怠(おこた)ることのない聖者、非難と称賛とに心を動かさず、音声(おんじょう)に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、他人を導く人、諸々の賢者は、かれ(…

木魚歳時記 第2062話

(聖者とは)「智慧の力あり、戒と誓いをよく守り、心がよく統一し、瞑想(禅定)を楽しみ、落ち着いて気をつけていて、執着から脱して、荒れたところがなく、煩悩の汚れがない人、諸々の賢者は、かれを聖者であると知る。」(スッタニパータ) 経典は「如是…

木魚歳時記 第2061話

(聖者とは)「あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく、あらゆるものを捨て、妄執(もうしゅう)が滅びて解脱(げだつ)した人、諸々の賢者はかれ(釈尊)を聖者であると知る。」(スッタニパータ) 「…

木魚歳時記 第2060話

(聖者とは)「あらゆる執着の場所を知りおわって、そのいずれをも欲することなく、貪(むさぼ)りを離れ、欲のない聖者は、作為によって求めることがない。かれは彼岸に達しているからである。」(スッタニパータ) 「作為によって求めることがない」とは、…

木魚歳時記 第2059話

(聖者とは)「平安の境地(煩悩の起こる)基礎を考究して、そのたねを弁(わきま)え知って、それを愛執する心を長ぜしめないならば、かれは、実に生を滅ぼしつくした終極を見る聖者であり、妄想を捨てて(迷える者の)部類に赴(おもむ)かない。」(スッ…

木魚歳時記 第2058話

(聖者とは)「すでに生じた(煩悩の芽を)断ち切って、新たに植えることなく、現に生じる(煩悩)を長ぜしめることがないならば、この独り歩む人を(智者)と名づける。かの大仙人は平安の境地を見たのである。」(スッタニパータ) 「見た」とある。「見た」…

木魚歳時記 第2057話

(聖者とは)「親しみに慣(な)れることから恐れが生じ、家の生活から、汚れと塵(ちり)が生ずる。親しみに慣れることもなく家の生活もないならば、これが実に聖者のさとりである。」(スッタニパータ) ゴータマ・ブッダ(釈尊)は、29歳のとき真理に目覚…

木魚歳時記 第2056話

(ブログ筆者より) 多少は<生々しい>表現となりましたが、ゴータマの「身体を厭(いと)うことの教え」すなわち「愛欲に対する勝利の教え」について触れてきました。次は、古代インドの「聖者」について述べてみましょう。「聖者」については宗教によりさ…

木魚歳時記 第2055話

(勝利の教え)「このような(汚れた)身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何であろうか。」(スッタニパータ) さて、ゴータマ・ブッダ(釈尊)の「真実のことば」のさらなる展開、…

木魚歳時記 第2054話

(勝利の教え)「人間のこの身体は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。」(スッタニパータ) 「(花や香を以て)まもられている」について。現在、我々が墓前に「花」(しきび)、「香…

木魚歳時記 第2053話

(勝利の教え)「この世において愛欲を離れ、智慧ある修行者は、不死、平安、不滅なるニルヴァーナの境地に達した。」(スッタニパータ) 「ニルヴァーナ」とは、煩悩の焔を消し去った悟りの境地のことです。さて「部派仏教」とは、戒律を尊重し、釈尊の<真…

木魚歳時記 第2052話

(勝利の教え)「かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるのであろう。内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきであろう。」(スッタニパータ) ゴータマ・シッダルタ王子の出家を決意された動機…

木魚歳時記 第2051話

(勝利の教え)「この世において智慧ある修行者は、覚(さと)った人(ブッダ)のことばを聞いて、このことを完全に了解する。何となればかれ(ブッダ)は、あるがままに見るからである。」(スッタニパータ) 「このことを完全に了解する」とは、後期仏教(…