2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第3748話 

歌えば地上の憤りも悲しみもみな歓喜と化して魂は天外に天駆ける。歌菩薩という菩薩もある道理である。彼は歌で成仏しようと修行しているので、決してただの道楽ではない。しかし歌うところが今様(いまよう)という当年の流行歌謡であるから人々がご身分に…

木魚歳時記 第3747話 

これが世間で四の宮を道楽者と評判する理由であるが、四の宮自身は決してただの道楽者とは思っていない。はじめ結縁灌頂(けちえんかんじょう)で敷き曼荼羅(まんだら)に花を投げたら、歌菩薩(ぼさつ)の上に落ちてそれが生涯の本尊仏となったのを喜び、…

木魚歳時記 第3746話 

ひとり居に閉じこめられていた時と同様に、毎晩歌いつづけた。鳥羽殿に在った時は五十日ばかり歌い明かし、同好集まって東三条で船に乗り、人々を召し集めて四十日あまり、毎晩日の出るまで徹夜で歌い明かした」はじめは師匠もなく友達などと歌っていたのが…

木魚歳時記 第3745話 

ところで問題の四の宮はおん母待賢門院に死別の安久元年には、まだ十八歳の少年であった、当時の回想をおん自ら記すところでは、「灯の消えた闇のなかにしょんぼりといるような心細さにしおれ切っているのを見て、中陰明けとともに崇徳院が新院と呼ばれて時…

木魚歳時記 第3744話 

しかも美福が四の宮の支持者になって俄然有力である。美福は生さぬ仲の皇子とはいえ、四の宮の見どころを見、また愛児を呪い殺した新院の直系よりは四の宮を推す。いや別にもっと理由もあった。新院がたとい躍起になり、世間がそれをどれほど支持しようとも…

木魚歳時記 第3743話 

(五)四の宮。法皇の第四皇子雅仁(まさひと)親王は待賢門院のお子、新院とは同腹の兄弟で、現に今も同棲している程の仲だから、この点は中立的候補で好都合である。これが法皇がうなずいたわけ。 ところが、四の宮は「文にも非ず、武にも非ず」賢愚を超越…

木魚歳時記 第3742話 

「み位のことはお上の御意一つ、奉答はお許しを」「いやそうではない。今は非常の場合、そちの言葉を大神宮のお告げとも聞こう。是非に思いのままをはばからずに申せ」と、退っ引きならぬ、勿体ない仰せにに忠通も今は辞退もならず、奉答した。「四の宮はい…

木魚歳時記 第3741話 

本院は忠実と頼長のとを新院の方人、近衛天皇の呪詛者と見て、今は彼らには一言の相談もなく、かえって彼らの裏をかいて専ら忠通を重んじて諮問した。事実、忠実と頼長とは新院の不満を察してこれの擁立を企て、敵忠通を陥れようとしたので、法皇のお眼は鋭…

木魚歳時記 第3740話 

しかし新院では今度こそ是非重仁親王をと、そのためには新院自身再び位に即いてでもという強い態度が見えている。 これには法皇も全く処置なしで再三忠通に詰問していた。法皇はご自身で決定の責任を避けたいのであろう。(佐藤春夫『極楽から来た』)434 春…

木魚歳時記 第3739話 

呪詛事件よりも差し迫った問題は、皇子もなく夭折(ようせつ)された近衛天皇の後継者の決定であった。皇位継承の候補者なら同じく美福門院の姫宮八条院暉子(しょうし)を一時女帝にでも、さては仁和寺の若宮すなわち第五皇子覚性法新王を還俗させてなど、…

木魚歳時記 第3738話 

当時世上にこういう迷信のあるのを奇貨として巫女や神官堂守などを抱き込み、呪詛や神託によって政敵を陥れる工作がよくあった。例えば和気清麻呂の事件などがその好適例である。 この場合何人が何人を傷つけようとしたかは知らないが、このために本院と新院…

木魚歳時記 第3737話 

待賢門院の命というのはその威光のかげにかくれようとしたので、実は美福門院の勢いの盛んなるのが苦々しくて、待賢門院の従徒らが浅はかなえせ忠義から出たもので、全く待賢門院の知らない事であったが、その翌年待賢門院が仁和寺で出家遊ばしたのも、この…

木魚歳時記 第3736話 

人をして愛宕の天公像を調べさせると、果たして目に釘が打ち込まれていた。それで近衛天皇は何者かの呪いで早世したということになった。果たして何者の呪いであったか。 当時そんな迷信が横行していて、天皇の事の前にも、散位(さんに)源盛行とその妻津守…

木魚歳時記 第3735話 

(四)こういう無理をしてみ位に即けた近衛天皇であたが、御在位わずか十四年、 虫の音のよわるのみかは過ぐる秋を惜しむわが身ぞ先ず消えぬべき と、十七歳の若さでおかくれになった。おん目の病からはじまって次第に衰えてなくなられたのであったが、さる…

木魚歳時記 第3734話 

かくて体仁親王は近衛天皇となられ、鳥羽法皇を本院、崇徳上皇を新院と申し、得子は天皇の即位とともに皇后美福門院となった。 崇徳天皇皇太弟にはこのころ既に重仁親王があり、皇太子というのも天皇のお心では重仁親王のつもりであるが、法皇は体仁親王を皇…

木魚歳時記 第3733話 

その時の御譲位の詔書には天皇のおん意志では皇太子に譲位の趣を記載のはずであったものを、法皇が詔書を草する者を諭してか、皇太子を皇太弟と書かせていたから、天皇は大に驚き給い、その復原を鳥羽法皇に交渉されたが、法皇はお聴き入れがなく、天皇はそ…

木魚歳時記 第3732話 

待賢門院も翌年二月二十六日に出家したから、美福門院(びふくもんいん)得子が鳥羽天皇後宮に最後の勝利者として寵を専らにし、ここに禍根を張った。 いたいけない親王を位に即(つ)けたのも、勿論その母后への寵愛のためではあるが、これについては現代の…

木魚歳時記 第3731話 

この永治元年は、鳥羽上皇ご一身にとっては多事な年で、三月十日にはご剃髪(ていはつ)の事があって法号を空覚と申し、やがておん祖父白川法皇にならい院政を始められる。五月五日には上皇につづいて皇后高陽院泰子も出家し、十二月に入って体仁新王のご即…

木魚歳時記 第3730話 

保安四年、天皇はみ位を顕仁親王に譲って崇徳天皇とし、ご自身は上皇となってが、白河法皇が御在世で、政治には一切関与されない。 保延五年、女御に昇格した得子は、それまでは皇女ばかりであったのに、今度は五月十八日にはじめて皇子体仁(なりひと)を生…

木魚歳時記 第3729話 

その時、泰子を册立(さつりつ)して皇后とし、高陽院の号を授けた。泰子としてはこの地位を確立しておかなければ不安であったに違いない。 この時得子は二十三歳、そうして泰子はもはや四十を過ぎていたが、まだ皇子も皇女も降誕がなかった。これに反して得…

木魚歳時記 第3728話 

十余年おとなしく待って居られた天皇の情熱も大したものであるが、あたら、佳人もその間に老いた。 泰子の入内後、一たび思いを遂げれば御意は満ち足りたかのように、その五年目に天皇はまた、藤原長実の女得子(とくし)を召し入れて、おん寵愛を加え、保元…

木魚歳時記 第3727話 

(三)泰子の入内によって再び天皇のおん覚えを取りもどした忠実は、この機会に愛する次男頼長の重用を天皇にに請い奉って、憎い長男忠通と対抗させた。頼長は年少ながら天下第一の学者と呼ばれ、兄に劣らぬ利け者である。かくて忠実、頼長のコンビが忠実と…

木魚歳時記 第3726話 

翌年やっと忠実はもとの如く内覧を許されたが、それもほんのしばらくで辞した。内覧を旧に復されたのも忠通を関白にするための段取りとして忠実の感情をあらかじめやわらげて置くものと知って忠実は直ぐ身を退いたものである。果たして忠通は次いで関白とな…

木魚歳時記 第3725話 

ところが好事魔多く、法皇は還幸あらせ事を知って震怒あそばし、忠実を責めて内覧を差し停め、その長子忠通をして父に代わる関白を仰せつけようとされた。 しかし忠通は父の罪の赦(ゆる)されることを請うて職に就かない。忠実はまた宇治に引退し、門を閉じ…

木魚歳時記 第3724話 

関白忠実は閑院家の栄達を見、また天皇が、必ずしも軽はずみなお方でもなかったのを知って、後年は白河法皇の仰せに従って泰子を進めなかったのを悔いていた。天皇の方でも璋子にあきてか泰子を入内せしめたい思召しがあった。 そこで保元元年、法皇が熊野へ…

木魚歳時記 第3723話 

こんな事情もあり、また自家の女(むすめ)たちの入内を心ひそかに期待していた貴族連が、思いがけなく璋子の入内に、とびに油あげをさらわれたような失望とねたみとから、叔父子説のような怪聞をまき散らしてケチをつけた人物もあったのであろう。(佐藤春…

木魚歳時記 第3722話 

璋子は、入内以前早くから法皇の猶子(ゆうし)として法皇の寵妃祇園女御の手もとに養わせてお置きなった方で、その幼時には法皇がおん懐に入れて愛せられだんだん大きくなってからも、日中抱き寝をして居られることなどもよくあって、伺候した重臣や側近も…

木魚歳時記 第3721話 

木魚歳時記 第3720話 

璋子は天皇にも法皇にもおんおぼえめでたく、女御(にょうご)から中宮になり、崇徳、後白河両天皇以下皇子や皇女を生み立て奉って、後に待賢門院と称せられた。その父公実は、中宮のおかげでその家閑院は、摂家に次ぐ格式の清華家(せいがけ)の列につらな…

木魚歳時記 第3719話 

ところが忠実は天皇のおん挙動が軽はずみであるといううわさを心もとないとものと思ったため、法皇がせっかくのご推薦をご辞退申しあげた。法皇はご不満ながらながらも是非なく、藤原公実(きみざね)の女璋子(しょうし)を入内せしめた。このとき璋子は十…