2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記第4047話

「それでははじめて山に落ちつく気になったのか」「いや、山上の清風がそろそろ恋しくなりました」「今の山でも、まだ下界よりはいくらか清風が残っているのか」「お山でも、やっと、このあたり、お師匠さまの周囲うつらいは、まだ清風の気が残っているとい…

木魚歳時記第4046話

「堅持して居ります。これからは、じっくりと山に落ちつきます。わたくしもいつの間にやら彷徨(ほうこう)十年になります」「十年は一弾指だ」「わたくしも、そう思って居りましたが、人間の生涯の五分の一だったと、やっと気がつきましたから」(佐藤春夫…

木魚歳時記第4045話

今までにはなかったことであった。今度はいつもよりやや久しく山に帰らなかった法然房であったし、彼も二、三年前にもう三十に達していたのだから、いつまでもぐずぐずしている気がという意味もあったのである。それらの意味を師の一句にすぐ汲み取った源空…

木魚歳時記第4044話

第十六章 山上の清風(一)崇徳院が白峰で崩じた翌年、久しぶりに黒谷に帰った法然房を見ると、師匠の叡空は別に父の死をも告げず、いつもの慈眼をかがやかしながらも、言葉の調子を鋭くいきなり、「一得永不失は如何」と問いかけた。円頓戒の精神はどうした…

木魚歳時記第4043話

こうなってしまった平家がその大黒柱の清盛と、その支えともいうべき重盛とを相いついで失うや、頼もしいはずの知盛は神経衰弱気味になり、頼盛は謀反を企てているように疑われる内部崩壊の一歩手前にあって、北方の蛮族ならぬ東国の源氏に、わけもなく滅ぼ…

木魚歳時記第4042話

これはその場に居合わせた中宮の侍女で重盛の次男資盛の愛人であった右京太夫がありのままを記したものであるが、平家の公達の生活というものは、さながら全盛期の藤原氏の日常生活をそっくりそのままのように見える。(佐藤春夫『極楽から来た』)710 裸木…

木魚歳時記第4041話

「自分だけ特別になつかしく思い出されるだろうといい気になっている」などと人々にからかわれて、「いつそんなことを申しましたか」と真顔に弁解しているのもおかしかった。(佐藤春夫『極楽から来た』)709 大蜆そいつはじつに美味しくて 蜆(しじみ) 「…

木魚歳時記第4040話

そこで経正の朝臣が、 うれしくもこよひの友の数に入りてしのばれしのぶつまとなるべき といったのを、(佐藤春夫『極楽から来た』)708 美しきものゝかたちに落葉かな 「ボクの細道]好きな俳句(1786) 有馬朗人さん。「水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も」(…

木魚歳時記第4039話

権亮維盛は、「自分みたいに歌も詠めないやつはどうすればよいのか」 といったが責めたてられて、 心とむな思ひ出でそといはむだに今宵はいかがやすくわすれむ(佐藤春夫『極楽から来た』)707 小六月ついに悪漢往生す 「ボクの細道]好きな俳句(1785) 有…

木魚歳時記第4038話

「この座にいる人は何でもいいからみな歌を書きなさい」 と、まず自分の肩につぎのように書いた かたがたに忘らるまじき今宵をば誰も心にとどめて思へ(佐藤春夫『極楽から来た』)706 破蓮どこが始めで終りやら 破蓮(やぶれはす) 「ボクの細道]好きな俳…

木魚歳時記第4037話

隆房が中宮のお返事をいただいて急に退出するというので、このまま帰すのも興がないことだと思い、扇のはしを折り取って、それに次のような歌を書いて渡させた。 かくまでも情つくさでおほかたの花と月とをただ見ましだに 少将はこの歌を、そば恥ずかしいほ…

木魚歳時記第4036話

折からそこへ隆房の少将(中宮の妹婿で藤原氏)が中宮から主上のお使いとしてお手紙を持って来た。それをそのまま呼び込んで来て、音でさまざまな遊びをし尽くした果は、昔や今の物語りなどをして明け方までぼんやりながめていたところ、花は散るも散らぬも…

木魚歳時記第4035話

ちょうど花はさかりに月の明るかった夜のこと、このように良夜をいたずらに明かし過ごしてはなるものかというので、権亮(ごんのすけ・維盛・これもり)が朗詠をして笛を吹き、経正が琵琶を弾き、み簾(す)のなかでも女房たちが琴をかき合わせなどして面白…

木魚歳時記第4034話

春のころ(というのは治承三年)中宮(徳子)が西八条(清盛の別宅)へおいでになtっていた間、これという職事もなく参入する人はいうまでも無いとして、ほかに中宮のg兄弟や甥御たちのなどが、みんな当番をきめて、二、三人がいつも中宮のおしばに侍して…

木魚歳時記第4033話

(五)しかしおごる平家の公達は一門の棟梁の抱くこんな雄大な夢の破片さえ持つこともなく、ただわが世の春に酔い痴(し)れていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)702 あめつちとそらやまかわや蜆舟 ボクの細道]好きな俳句(1779) 有馬朗人さん。「日向ぼ…

木魚歳時記第4032話

清盛は福原の別荘に上皇や天皇をはじめ貴顕の多くを招請して宋人らとの接近を企てたり、厳島の内侍(清盛は巫女たちをそう呼んだ)に宋人の装いで舞踏させるような事もした。 これらは単に清盛の急進的なハイカラ趣味の発露か、それともこういう方法で大いに…

木魚歳時記第4031話

宋船が福原に来り、たやすく外国に出さない秘籍、勅語の百科群典ともいうべき『太平御覧』三百六十巻を清盛に贈った。 清盛がその写本を手許に、原本は朝廷に進献したことや大宰府の興隆を事実などに鑑(かんが)み、天がもし清盛にかすに寿をもってしたなら…

木魚歳時記第4030話

清盛が福原に別荘を設けてのはその地の風光を愛したのも一原因に相違ないが、大輪田泊(おおわだのとまり・今の兵庫)が海隆の要衝であり、特に平家の地盤たる西国との連絡上、ここの築港や音戸の瀬戸の開鑿(かいさく)などに力をそそいだので、この事実を…

木魚歳時記第4029話

厳島の祭神は竜神の女であるが、清盛の祈願を受けて竜王を生ませようとしたため、安徳天皇はそのときから、すでに海中に入るべき御運命であったんどと当時の人々は本気でそんな事をもいったものであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)698 冬の夜は酒と『賢…

木魚歳時記第4028話

天皇ご降誕のに当たって御安産祈祷の法師たちに立ちまじって御白河院も御臨席あった。御安産の喜びに見さかいもなくなった清盛は諸法師と同様に御白河院にもお布施を出したので、人々は恐縮したが上皇はこれを受けて、傍人に、「我は修験者としても一人前に…

木魚歳時記第4027話

清盛は次女徳子を高倉天皇の中宮に入れて徳子の皇子降誕をしたのも厳島神社であった。そうして懐妊の兆を知るや安産の日まで月詣でを欠かさなかった。説をなす者は清盛は厳島神社の巫女を情人としていたから、御安産月詣でを口実に彼女に通ったのだと。とも…

木魚歳時記第4026話

この建築と、ここに清盛が一門の人々とともに金泥で『法華経』を書写して奉納したいわゆる平家納経の意匠を見る者は清盛の並々ならぬ文化的センスを疑わないであろう。(佐藤春夫『極楽から来た』)696 稲虫や悪人なほもて往生す 「ボクの細道]好きな俳句(…

木魚歳時記第4025話

彼は久安(きゅうあん)二年、安芸守となったとき以来、厳島神社を伊勢大廟と並ぶべきだという者の言を信じて異常に崇拝して、これを氏神の如くに祭り、奏して修理を加え、百二十間の回廊を造った。山にかかり海に臨んでよく自然と調和融合した名建築である…

木魚歳時記第4024話

(四)清盛は平治の乱の導火線となったように信西の姻戚として、当代日本一のこの学者との交際によって多方面の高い見識を養い、また法性寺関白忠通の嫡孫基実を女婿として、名実ともに最高の廷臣たるに足る身につけて置いてあった。彼はすくなくともその時…

木魚歳時記第4023話

木魚歳時記第4022話

翌年の崩御もその素因はこの時につくったものかも知れない。なにしろ、この女院が三十五歳の女盛りでの崩御は、日を経ても御膳さえお手も触れさせぬ上皇の御悲嘆はもとより、平家にも容易ならぬ損失であった。(佐藤春夫『極楽から来た』)693 小鳥来る葉と…

木魚歳時記第4021話

わらじをつけて徒歩四十日の後、折からの大雨の中を神前に、胡飲酒(こんしゅ)の舞を熊野本宮に奉納して、舞いおさめた時には、御衣装もしとどにぬれていた。その熱情的にまたすさまじいまでの意力のほどもしのばれる。(佐藤春夫『極楽から来た』)692 竜…

木魚歳時記第4020話

彼女は上皇の高野御幸にも厳島(いつくしま)神社御幸の海路のおん道行にもいつも必ず御同伴であったが、女院三十四歳の時、熊野詣での祈りの御様子が、この女院の並々ならぬ性格をあきらかに浮彫りしている。(佐藤春夫『極楽から来た』)691 「いいねっ!」…

木魚歳時記第4019話

こういう賢明な婦人であったから御白河院の複雑な気心もよく汲み取って仕え、人なっこいこの帝王の心をすっかりとらえて、二条天皇の御生母の懿子も、似仁王や式子内親王などの生母成子も、この滋子の殊寵(しゅちょう)にはとてもおよばなかった。(佐藤春…

木魚歳時記第4018話

ただ艶麗(えんれい)なだけではなくいかにも明朗闊達な新興武家の出にふさわしい女性であった。これを少女時代に発見した上皇は、さすがにお目が高いというものであろう。「女子はただ心の持ち方一つで幸せにも不幸にもなるものである」「身を慎んで品位を…