2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記第4531話  

一門を見捨て給うた院を恨み参らす心も起こらず、祇園、六波羅密寺、白川、東山の寺々の鐘の音を、この世の哀れを告げる声とうつつに聞き入りながら、けさほど未明に、天子のご所在を此処と知らす錦の御旗を、少し聞きみて、金糸まぶしい御紋章の燦然たる菊…

木魚歳時記第4530話  

摂政基通ははじめ鳳輦(ほうれん)に供奉したが、不意に北山かけて走り逃げた事や、池殿に火をかけて行幸を追ってきた頼盛が、急にくびすねをめぐらし引き返したと聞いても、火をかけて家を捨てた半時の後に変わる人ごころの目まぐるしさを、宗盛は今さら驚…

木魚歳時記第4529話  

「六代はなぜ抱いて来なかったか」問う。 「幸先のよい輿(こし)ある旅と思えないので」 と維盛は答えた。(佐藤春夫『極楽から来た』)1171 突然に寝言始まる夜の秋 「ボクの細道]好きな俳句(2268) 川崎展宏さん。「オメデタウレイコヘサクラホクジヤウ…

木魚歳時記第4528話  

灯籠大臣(とうろうおとど)、小松の重盛の嫡男中将維盛は、成親の女で美貌の聞こえ高く優しい妻といたいけない盛りの男女二人の子との別れを時を移したのを、騎馬で駆け付けた兄弟四人が促し立てるので、弓で簾(すだれ)を掲げて、泣きくずれる妻子の姿を…

木魚歳時記第4527話  

近江、奈良路の敵が、追わないともかぎらない。安元太郎と呼ばれる京の大火が流人宿の火が飛んで大極殿まで焼き尽くしたように、足もの明りを求めて放った兵の火が、大極殿、興福寺の炎上に及んだので、すべては明らかに人意を超えて全くの劫火(こうか)と…

木魚歳時記第4526話  

都門を離れて見かえれば、白川東山のあたり、一族のたれかれの家屋敷とおぼしいかなたこなたに、もうもうと白い煙の立ち昇るのが見えた。(佐藤春夫『極楽から来た』)1168 汗だくの肌着ともかく洗濯機 「ボクの細道]好きな俳句(2265)川崎展宏さん「自転…

木魚歳時記第4525話  

前後には、車や騎馬の群れが人目が立たないように断続していた。宗盛は後白河院が夜中にいず方へか去り隠れさせ給うたのを、一門が前途不詳の兆しとわびしく覚えるのを色にも出さず、ひとり心に押し隠しつつ、一族があらかた立ち退いたという知らせを受けて…

木魚歳時記第4524話  

第二十五章 『平家物語』(一)寿永(じゅえい)二年七月二十五日の卯の刻(午前六時)宗盛の沙汰として、行幸の御神輿を参らすと、主上はおん母儀建礼門院と何心なく御同輿(ごどうよ)あらせたのを時忠が下知して供奉(ぐぶ)もさびしく、七条から朱雀を南…

木魚歳時記第4523話  

実は頼朝のいう日本第一の大天狗たる法皇の寵臣丹後局(たんごのつぼね)の邸や、み子仁和寺の法親王の方丈(ほうじょう)など法皇の御庇護の下に転々と身をひそめていたのである、安宅(あたか)の関に現れるまでは。(佐藤春夫『極楽から来た』)1165 巣穴…

木魚歳時記第4522話  

その生母の仁和寺の石蔵にいたのに問えばその許から逐電した後で、その後は杳(よう)として姿をどこにも見せなかった。人々は義経の少年時代の武芸の師、鞍馬の天狗から隠れ蓑(みの)を授かったとうわさしたが、いづくんぞ知らん、(佐藤春夫『極楽から来…

木魚歳時記第4521話  

しかし天王寺から落ちた義経は吉野、多武峰(とうのみね)、南都北嶺など神出鬼没の振舞に頼朝の兵を愚弄(ぐろう)して、頼朝の代官でそのむこの一条能保(よしやす)の手をさんざんに焼かせた。能保は検非遺使に交渉して夜中京都市内の通行人を一々訊問(…

木魚歳時記第4520話  

院のお情けが仇となって追われる身の義経は、十一月三日、静かに退京した。義仲らの退京に当たっての狼藉に比しての平穏を義士の態度と賛美する人さえあった。 同じく六日、義経、行家は大物浦(おおものうら)を解?(かいらん)して風浪に遭い天王寺に漂着…

木魚歳時記第4519話  

法皇も頼朝追討の宣旨を発せられたのを天魔の所業と弁疏されたのを、頼朝は天魔とは仏法においては法を妨ぐる者、人界にあっては煩いを呼ぶ者を指す。行家、義経の徒を召し取らずんば、国衰え民滅ぶべし、日本一の大天狗とは余人ではございますまいと、暗に…

木魚歳時記第4518話  

近畿の兵は飽くまでも頼朝の臣として義経のためには起たなかったため、義経の挙兵は成功せず、かえって頼朝から謀反の臣として追討される身の義経となった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1162 あ。蛇や消えたあたりに石を投げ 「ボクの細道]好きな俳句(225…

木魚歳時記第4517話  

それで義経が「頼朝追討の宣旨を賜りたい。もし勅許なくんば身に暇をいただいて鎮西に向かう所存」と懇願し奉るに及んで、法皇は頼朝と相結んでいた九条兼実の反対を押し切って頼朝追討を宣下されたのが、お生憎(あいにく)であった。(佐藤春夫『極楽から…

木魚歳時記第4516話  

しかし法皇は頼朝をまだどんな人物ともご存じなく、最初からそんな計画的なご意向であったとも思われない。義経の才幹と人がらとにすっかり打ち込んで、前後のお考えもなくこの任官を遊ばされたやに拝察される。法皇はそういう御性格の方と拝せられるから。…

木魚歳時記第4515話  

法皇も頼朝が全軍に与えている訓令をご存じないわけではなかったが、義経が頼朝の弟であるだけを思って、その家臣であることは失念遊ばしていたのかも知れないし、悪意の策略とのみも云えまいが彼の薦奏を無視し、敢て義経を任官し給うことは、結果的に見て…

木魚歳時記第4514話  

頼朝が家臣一同に訓令して頼朝の薦奏以外の任官叙位を受けてはならないという訓令にそむいて、義経が法皇から直接に検非遺使に任じられたことが軍の統率を紊(みだ)るものと頼朝の忌諱(きい)に触れて、法皇や義経の申し開きも腰越からの哀訴も頼朝を動か…

木魚歳時記第4513話  

(五)一般には、頼朝は猜疑心(さいぎしん)の強い気の毒な人で、義経の偉勲が当時朝野から仰がれるのに対する嫉視圧迫(しっしあっぱく)で義経を疎んじたと思われているらしいが、実は、平氏の専横に懲りた後白河法皇が、天皇親政の朝家のおん理想実現の…

木魚歳時記第4512話  

はじめ富士川から凱旋の途上、駿河黄瀬川の宿で奥羽州から駆けつけた義経を「先君を見るが如し」と喜んだ頼朝が掌をひるがえすように義経に対するこの態度の変化は何 に原因するのか。(佐藤春夫『極楽から来た』)1156 西瓜食むあまりの赤さその甘さ 「ボク…

木魚歳時記第4511話  

ここに奇怪なのは、このじん神速果敢な義経の勲功に対して頼朝は何らの報償をも与えないばかりか、さきに頼朝の奏請によって法皇が授与したものをさえ没収し去り、さらに後には土佐守昌俊という者を義経の堀川の第に遣わして、これを暗殺しょうという事件な…

木魚歳時記第4510話  

もと海神の意志でお出ましの安徳天皇が海に帰られた、と時人はこれを神異と歎じつつ弔い奉リ、武者の世となって神剣はもはや必要もなしと5を消したという識者もあった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1154ー2 お坊さまここよここよと墨とんぼ 墨(すみ) 「ボ…

木魚歳時記第4509話  

平氏一門の全滅と同時にその泰安していた神器も海中に沈んだか、急流に洗われ去った神剣のほかの二種は見出された。 平氏二十年の奢(おご)りは、かくして寿永四年三月二十四の正午には全く終わった。咲き出すには二代、散るには半日の栄華であった。(佐藤…

木魚歳時記第4508話  

一門の末路を察知した二位尼(清盛の妻時子)は八歳の幼帝安徳を抱き奉って潮流のなかに身を投ずると、幼帝の御生母建礼門院をはじめ、知盛、教盛、経盛らの諸将も相ついで海中に没したなかで、宗盛、清宗の父子は生きて捕えられ、門院は海中から半死で救い…

木魚歳時記第4507話

義経はやや劣勢の水軍をもって、干満による潮流の変化の利用や、また武装不備な漕者を多く射て機動力を麻痺させるなどの知略で大敵に当たり、午前六時に始めた攻撃を交戦三時間後で大勢を決し、合戦の一切は一日ですんだ。(佐藤春夫『極楽から来た』)1152…

木魚歳時記第4506話

宗盛は九州に落ちようとして、範頼に先回りされたため、是非なく長門赤間関(下の関のこと)の海べに大船団を布陣したものである。(佐藤春夫『極楽から来た』)1152 紫陽花の葉の真ん中に雨蛙 「ボクの細道]好きな俳句(2245) 飴山 實さん。「除夜の月機…

木魚歳時記第4505話

旗艦につづくもの僅かに四艘、将兵五十余の短兵急に敵の本拠を奇襲してこれを壇ノ浦に追いやった。後続の軍船団は壇ノ浦でやっと役立った。(佐藤春夫『極楽から来た』)1151 山端の平八茶屋のとゝろ汁 「ボクの細道]好きな俳句(2244) 飴山 實さん。「丞…

木魚歳時記第4504話

二月十五日の一の谷戦では、敵陣の背後を衝いて、平氏の諸将を多く討ち取った。宗盛はまだ輪田の岬につなぎ置いた御座船に居らせられた安徳天皇おん母子を奉じ、脱出して海に浮かんだ。(佐藤春夫『極楽から来た』)1149 滴りてなほしたゝりて菩薩道 「ボク…