木魚歳時記第4171話

f:id:mokugyo-sin:20200405060645j:plain

 彼が山を下ったと聞き知った旧友たち、例えば、彼とよく仁和寺に行った阿性房や、後年代彼に代って東大寺大仏殿の大勧進をした重源など、あるいは新居を見るためといい、あるいは法然の見出した道を聞こうと集まってきた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)832

       猫又の僧跨ぎたる花の昼  猫又(ねこまた)

 「ボクの細道]好きな俳句(1916) 鈴木六林男さん。「かなしきかな性病院の煙出」(六林男) 昔、差別と偏見に苦しんだ病院がいかに多くあったか! それが「煙出」の煙に凝縮されています。さて、志村けんさんが大往生されました。ご冥福を祈りつつ、お浄土に召されるにもこのような形があるのだ! と感動しました。「阿弥陀仏と十声唱えてまどろまむ永き眠りとなりもこそすれ」(法然上人)

  あなた、わたしに、なかまいり。
  わらしや、あなたに、なかまいり、
  ごをんうれしや、なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4170話

f:id:mokugyo-sin:20200404060854j:plain

 仮屋は法然の知らぬ間にできていた。仮屋はやがて草庵になり薪水のことも秦氏が適当な者をよこしてくれるという。法然は身軽にここにきて住んだ。
(佐藤春夫『極楽から来た』)831

        花明り仏吐きたる空也像

 「ボクの細道]好きな俳句(1915) 鈴木六林男さん。「向日葵に大学の留守つづきおり」(六林男) 作者は大学に勤務されておられたのでしょうか? 大学は、何かと休校日が多いものです。学生の居ない研究室で時を過ごすのは・・さて、読者は、真夜中の「花明り」とわかるでしょうか? 「仏吐く」(空也像が)の景が浮かぶでしょうか? 句作者(ボク)にしかわからない最低の俳句です(汗)。庶民救済の念仏を説かれた空也上人の尊像は「六波羅蜜寺」にあります。口から六体の仏(ほとけ)を吐いておられます。

  さいちや、しん正(身上)、かねもちよ。
  なむあみだぶの、かねをもろをて。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4169話

f:id:mokugyo-sin:20200403060453j:plain

 土地というのは、西山の山すそにあって、山の一部は庭にまでせり出して敷地を狭くしているが、それも一つの趣となって、草庵には広すぎるほどの土地に、法然は一目で気に入った。清涼寺の門とは呼応するほどの近さにある。西北に山を背負い、南に大堰川の水に臨み、川をへだてて嵐山に面していた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)830

       ひんがしに山山山や谷朧   朧(おぼろ)  

 「ボクの細道]好きな俳句(1914) 鈴木六林男さん。「はや不和の三日の土を耕せる」(六林男) 「はや」とあります。「不和」は三日目となる? 作者は畑作りにいそしむより外ありません。さて、ベランダから見る山々(三十六峰の一部)は、刻々とその模様を変えてゆきます。いくら眺めても見飽きることはありません。松ヶ崎に住ませて頂いたご縁に感謝しています。

  をのずから、わきでるぶつ(佛)つわ、
  ぶつのなかから、ぶつをもろをた。
  ぶつ(の)なかから。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4168話

f:id:mokugyo-sin:20200402060442j:plain

 山城から丹波にかけての川筋に多くの山林を持っていた秦氏は、このところ材木の商人となっていたが、保元以来兵火で焼失した民家の復興やまた造寺の興隆の機運を見て建築業も兼ねて巧みにそれぞれの筋にわたりをつけて、近来また巨万の富を蓄え、草庵はおろか寺の一つくらいは何でもない。建築も資材もみなお手のものであったから、ともかくもとさしあたって仮屋を設けた。
(佐藤春夫『極楽から来た』)829

        寺に生れ寺に育ちて葱坊主   

 「ボクの細道]好きな俳句(1913) 鈴木六林男さん。「旅人われに雨降り山口市の鴉」(六林男) 「山口市の鴉」? 病弱の作者自身を鴉に比喩したものか? 雨の中に実物の鴉が居たのか? さて、小学生、中学生の時のボクの渾名(あだな)は「坊主」でした。それはかまいませんが、毎週、日曜日にお寺はご法事があります。ボクは、お掃除など準備を手伝うよう「定め」られていました。ですから、日曜日、仲間と一緒に遊ぶことができません! これは辛かった。

  ひともかずある、そのなかで、
  わたしや、いちにん、て(手)をひかれ、
  ごをんうれしや、なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4167話

f:id:mokugyo-sin:20200401073245j:plain

 そうして住むに適当な家は目下のところ無いが、土地ならばある。閑静で山水の眺めもよく隠居所に思ったが少し狭い。上人おひとりの草庵なら手ごろと思う。釈迦堂のすぐそばだから、今に案内させる。一度見てそこでよいならば草庵の一棟ぐらい、彼岸すぎまでに新築して寄進するという親切な話であった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)828

       菜の花の中に居場所を見つけたり

 「ボクの細道]好きな俳句(1912) 鈴木六林男さん。「直立の夜越しの怒り桜の木」(六林男) 真夜中までの喧騒に耐えかね、さくらの(老木は?)は憮然とします。それにしても騒ぎすぎ! さて、採算が採れない私鉄(ローカル線)を廃線とさせない! 地元の高校生たちにできることは? 沿線に菜の花を育てる! 数年かけて! やがて、菜の花畑を電車が通り抜ける状況が放映されました。それを見たときは感激しました! 若者の善意と努力のエネルギーは底知れない!

  わたしや、あくにんなれど、
  てん(天)にもち(地)にもないことを、
  ゑさせてもろをた、なむあみだぶを。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4166話

f:id:mokugyo-sin:20200331051100j:plain

 それでも山には学侶がますます少なくなり、今では大衆の山になってしまったばかりか、法然の見つけた道は山の人々とは少し行き方の違うところもあり、法然は町の人々の間に住んで、釈迦堂あたりに集まる一般の人々と道を語りたいのだと説明するとやっとわかった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)827

     断崖のガンダーラ仏や蟇  蟇(ひきがえる)

 「ボクの細道]好きな俳句(1911) 鈴木六林男さん。「バレンタインの消えない死体途中の花」(六林男) 「途中の花」とは? まだ完全に咲ききっていない花。すなわち、若い男女を指しているのでしょうか? さて、ガンダーラ仏とは! 1世紀頃から3世紀頃に、古代インド・ガンダーラ地方で開花した仏教美術の仏像があります。いつか、大分を旅行したとき、断崖に瞑想する巨大な石仏の足元にぬっと坐る蟇(ひきがえる)を発見しました。

  なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。
  なむあみだぶわ、あえいがた(い)な。
  さいちゆ(を)たすける、をやのこころよ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)

 

木魚歳時記第4165話

f:id:mokugyo-sin:20200330060402j:plain

 彼は法然の久しぶりの訪問を喜び、道を見つけたと聞いてわが事のように喜んだ。しかし、それだのに山を下ってこのあたりに来て住みたいという法然のいい分は、はじめはよほど腑(ふ)に落ちないらしかった。。
(佐藤春夫『極楽から来た』)826

        モナリザの外に抜け出る春の宵

 「ボクの細道]好きな俳句(1910) 鈴木六林男さん。「脚冷えて立ちて見ていし孤児の野球」(六林男) 「おいら貧しいクツ磨き」。歌手で障害児の施設に生涯をささげられた宮城まり子さんが亡くなられました。ボクは、現役のころお願い事で「ねむの木学園」へ宮城まりこさんをお訪ねしたことがあります。その頃すでに車椅子をお召でしたが、お元気でポンポン話されたことを思い出します。おつかれさまでした、やすらかにお眠りください。
  ごをんうれしや、なむあみだぶつ、
     なむあみだぶつ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)