木魚歳時記第4936話

前扁(17)  易行往生(いぎょう往生)

  念仏は多くの意味を伴うが、
  南無阿弥陀仏と称える中に
  すべてこもっている。
  努めて心を清くして念仏せよ。

 念仏の行は口に名号を称え、手には数珠(じゅず)繰(く)るだけです。これで極楽往生が叶(かな)うこの上ない行(ぎょう)であります。他の人にもそのようにお勧め下さい。勅伝第25巻 (青色 法然上人のお言葉) 月曜日up予定

        ルミナリエ父の面影見つけたり

 

木魚歳時記第4935話

前扁(16)  他力念仏(たりきねんぶつ)

  他力念仏・自力念仏の分かれは
  回数のよらず、
  本願他力によるか
  頼らないかによる。

 千遍万遍を称(とな)え、百日千日、昼夜に励み努めても、ひたすら(阿弥陀仏の)願力を頼(たの)みとし、他力を尊ぶ人の念仏は、一声一声が、全部、他力の念仏であるとすべきです。ですからブロブで先に触れた、三心(さんじん)を起こした人の念仏は、他力を頼みとするわけですから、自力の念仏とはいえません。勅伝第25巻 (青色 法然上人のお言葉) 月曜up予定

      短日を三度寝したる安本丹  安本丹(あんぽんたん)



木魚歳時記第4934話

前扁(15)  信行双修(しんぎょうそうしゅう)

  念仏は一遍でも
  往生できると信じつつ
  一生涯勤めよ。  

 信心については「一念で往生できる」と信じ行については、生涯続けて励むべきです。「一念では(往生が)不確かだ」と思うならば、一声一声の念仏が、不振の念仏となります。そのわけは、阿弥陀仏の(の本願)は、一念にあてがわれた願なので、」念仏するたびにそれが往生のための行いとなるからです。勅伝第21巻 (青色 法然上人のお言葉) 月曜日up予定

         老僧は二度寝をしたり松七日

 

木魚歳時記第4933話

前扁(14)専修念仏(せんじゅねんぶつ)

  念仏は
  生まれつきのままに
  修めればよいが、
  努めて悪を
  改めるよい。

 善人は善人のままで念仏して、生まれつきのままで念仏する人は、阿弥陀仏の御心(みこころ)適うということでしょう。「ああだろう、こうだろう」と心配して」必ず往生できるという思いの起きない人は、往生の確実でない人なのです。勅伝第21巻 (青色 法然上人のお言葉) 月曜日up予定

        老僧は狗日生れの風来坊  狗日(くじつ)

 

 

木魚歳時記第4932話 

前扁(13)二行得失(にぎょうとくしゅつ)

  念仏すれば
  すべての人が往生するのに
  他の修行では
  稀にしか往生できないのは
  弥陀・釈迦の御心に
  随わないからである。

(中国の善導大師さまは、往生を得るための修行の方法を「念仏」つまり「ナムアミダブツ」とそれ以外の雑業の二つに分けられました。善導大師さまは、『往生礼賛』という書物の中に、「念仏を続けた人が命を終えることをできた人は、十人がいれば十人が、百人百人いれば百人が往生できる。」とあります。

勅伝第25巻 (青色 法然上人のお言葉)

       煤逃げを成敗したり僧の妻   成敗(せいばい)

 

木魚歳時記第4931話 

前扁(12)正雑二行(しょうぞうにぎょう)

  速やかに苦しみの境涯を超えるに
  浄土門に入って念仏を専念せよ。
  阿弥陀仏の本願によって
  必ず往生できる。

 正雑二行の教えの中で、速やかに迷いの境涯を離れたいと願うならば、まずは聖道門をさしおいて、選んで浄土門に入りなさい。浄土門に入ろうと願うならば、正行と雑行の二行の中で、まずはもろもろの雑行を投げうって、選んで正行を拠りどころとしなさい。正行とは「正定業」((しょうじょうごう)「ナムアミダブツ」のことであります。勅伝第18巻 (青色 法然上人のお言葉)

         妻と来て寓居8年ポインセチア

 

木魚歳時記第4930話 

 前扁(11)深心(じんしん)

  深心とは「いかなる 自分んであろうとも、
  念仏すれば阿弥陀仏の本願の力で
  往生できる」という確信である。

 心に往生したいと願って、口に「南無阿弥陀仏」と称えて、声にあわせて必ず往生できる」という思いを抱きなさい。往生は不確かだと思えば、そのまま不確かです。確かだと思えば確実なものとなるのです。深く信じるという心は、「南無阿弥陀仏」を称えれば、阿弥陀仏の誓いにより(どのような罪の身でも)お救いくださるのだと疑う心のないことを深く信じることです。
勅伝第22巻 (青色 法然上人のお言葉)

          西方に極楽とあり年の暮