2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第2473話

(ヴァーセッタ) 師(ブッダ)は答えた「これらの生類には生まれにより特徴はいろいろと異なっているが、人類にはそのような生まれにもとづく特徴がいろいろと異なっているということはない。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(242) 橋本栄…

木魚歳時記 第2472話

(ヴァーセッタ) 師(ブッダ)は答えた「次に、翼(つばさ)を乗物として虚空を飛ぶ鳥どもにも(種類のあることを)知れ。かれらの特徴は生まれにもとづいているのである。かれらの生まれは、いろいろと異なっているのである。」(スッタニパータ) [ボク…

木魚歳時記 第2471話

(ヴァーセッタ) 師(ブッダ)は答えた「次に、水の中に生まれ水に棲む魚どもにも(種類の区別のあることを)知れ。かれらの特徴は生まれにもとづいているのである。かれらの生まれは、いろいろと異なっているのである。」(スッタニパータ) [ボクの細道…

木魚歳時記 第2470話

(ヴァーセッタ) 師(ブッダ)は答えた「腹を足として背の長い這(は)うものにも(種類の区別のあることを)知れ。かれらの特徴は生まれにもとづいているのである。かれらの生まれは、いろいろと異なっているのである。」(スッタニパータ) [ボクの細道…

木魚歳時記 第2469話

(ヴァーセッタ) 師(ブッダ)は答えた「小さなものでも、大きなものでも、四足獣にも(種類の区別のあることを)知れ。かれらの特徴は生まれにもとづいているのである。かれらの生まれは、いろいろと異なっているのである。」(スッタニパータ) [ボクの…

木魚歳時記 第2468話

(ヴァーセッタ) 師(ブッダ)は答えた「次に蛆虫(うじむし)や蟋蟀(こおろぎ)や、蟻類(ありるい)に至るまでのものにも(種類の)区別のあることを知れ。かれらの特徴は生まれにもとづいているのである。かれらの生まれは、いろいろと異なっているので…

木魚歳時記 第2467話

(ヴァーセッタ) 師(ブッダ)は答えた「草や木にも(種類の区別のあることを知れ)しかしかれらは(『われわれは草である』とか、『われわれは木である』とか、)言い張ることはない。かれらの特徴は生まれにもとづいている。かれらの生まれはいろいろと異…

木魚歳時記 第2466話

(ヴァーセッタ) 師(ブッダ)は答えた「ヴァーセッタよ。そなたたちのために、諸々の生物の生まれ(種類)の区別を、順次にあるがままに説明してあげよう。それらの生まれは、いろいろと異なっているからである。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好き…

木魚歳時記 第2465話

(ヴァーセッタ) ヴァーセッタは云う「世間の眼(まなこ)として出現したもうたゴータマ(ブッダ)に、われわれはおたずねします。生まれによってバラモンとなるのでしょうか。あるいは行為によってバラモンとなるのでしょうか。われわれは解りませんから、…

木魚歳時記 第2464話

(ヴァーセッタ) ヴァーセッタは云う「人々が満月に向かって近づいて合掌し礼拝して敬うように、他人はゴータマ(ブッダ)を礼拝し敬います。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(233) 岡田圭子さん。「一匹の蠅に五人の箸止まる」(圭子) わ…

木魚歳時記 第2463話

(ヴァーセッタ) ヴァーセッタは云う「われわれ両人(ヴァーセッタとヴァーラドヴァージャ)はお互いに相手を説得することができないのです。そこで目ざめた人(ブッダ)としてひろく知られているあなたさまにたずねるために、やってきました。」(スッタニ…

木魚歳時記 第2462話

(ヴァーセッタ) ヴァーセッタは云う「ゴータマ(ブッダ)よ。われわれは生まれの如何(いかん)を論議して、論争が起こりました。『生まれによってバラモンなのである』とヴァーラドヴァージャは語ります。わたし(ヴァーセッタ)は『行為によってバラモン…

木魚歳時記 第2461話

(ヴァーセッタ) ヴァーセッタは云う「ヴェーダに説かれていることがらを、われわれは完全に知っています。われわれはヴェーダの語句と文法に精通し、ヴェーダ読誦(どくじゅ)については師に等しいのです。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句…

木魚歳時記 第2460話

(ヴァーセッタ) ヴァーセッタは云う「われら両人はヴェーダの学者で あると(両名の師からも)認められ、自らも(三ヴェーダの学者であると)称しています。わたくしはボッカラサーティーの弟子であり、もう一人はタールカッカの弟子です。」(スッタニパ…

木魚歳時記 第2459話

(ブログ筆者より) 以上で(矢)の項を終わります。次は、ブッダ(釈尊)と、バラモン(修行者)のヴァーセッタ青年との間に交わされた問答(ヴァーセッタ)の項に移ります。 [ボクの細道]好きな俳句(228) 駒沢木楽さん。「斑猫と来て草庵の客となる」…

木魚歳時記 第2458話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「(煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき人となり、安らぎに帰する。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(227) 迷亭木魚さん。「孑孑の尺…

木魚歳時記 第2457話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「己が嘆(なげき)と憂いとを除け。己が楽しみを求める人は、己が(煩悩の)矢を抜くべし。(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(226) 原田青児さん。「落し文遠くて近きものに妻」(青児) ボクは職場結婚です。し…

木魚歳時記 第2456話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「たとえば家に火がついているのを水で消しとめるように、そのように智慧ある賢明な賢者、立派な人は、悲しみが起こったのを速やかに滅ぼしてしまいなさい。たとえば風が綿を吹き払うがように。」(スッタニパータ) [ボクの細…

木魚歳時記 第2455話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「だから(尊敬さるべき人)の教えを聞いて、人が死んで亡くなったの見ては、(かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ)とさとって、嘆き悲しむことを去れ。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(224) 辻 桃子さ…

木魚歳時記 第2454話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「たとい人が百年生きようとも、あるいはそれ以上生きようとも、終には親族の人々から離れて、この世の生命を捨てるに至る。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(223) 飯田蛇芴さん。「冥界へおつる音あり灯取虫…

木魚歳時記 第2453話

矢) 師(ブッダ)は説かれた「ひとびとがいろいろと考えてみても、結果は意図(いと)と違ったものとなる。壊(やぶ)れて消え去るのは、このとおりである。世の成りゆくさまを見よ。」。(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(223) 高野ムツオさ…

木魚歳時記 第2452話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「見よ。他の(生きている)人々は、また自分の業(ごう)に従って死んでゆく。かれら生あるものどもは死に捕えられて、この世で震(ふる)へおののいている。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(222) 古舘曹人…

木魚歳時記 第2451話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「人が悲しむのをやめなければ、ますます苦悩を受けることになる。亡くなった人のことを嘆くならば、悲しみに捕らわれてしまったのだ。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(221) 安部完市さん。「鮴(ごり)食べ…

木魚歳時記 第2450話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「人が悲しむのをやめないならば、ますます苦悩を受けることになる。亡くなった人のことを嘆くならば、悲しみに捕われてしまったのだ。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(220) 井上弘美さん。「六道の辻に金魚…

木魚歳時記 第2449話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「みずから自己を害(そこな)いながら、身は痩せて醜(みにく)くなる。そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。嘆き悲しむのは無益である。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(219) 安部完市さん。…

木魚歳時記 第2448話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「泣き悲しんで、心の安らぎを得られない。ただかれはますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(218) 由山滋子さん。「桶底の泥のごときが梅雨鯰」(滋子) 泥鰌(ど…

木魚歳時記 第2447話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「迷妄(めいもう)にとらわれ自己を害(そこな)っている人が、もしも泣き悲しんでなんらかの利を得ることがあるならば、賢者もそうするがよかろう。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(217) 金子兜太さん。「…

木魚歳時記 第2446話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「汝(子を失った親)は、来た人の道を知らず、また去った人の道を知らない。汝は(生と死の)両極を見きわめないで、いたずらに泣き悲しむ。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(216) 鈴木六林男さん。「つばめ…

木魚歳時記 第2445話

(矢) 師(ブッダ)は説かれた「このように世間の人々は死と老いとによって害(そこな)われる。それ故に賢者は、世のなりゆきを知って悲しまない。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(215) 石川美佐子さん。「うつぶせに寝る癖いまも青葉木…

木魚歳時記 第2444話

(矢)師(ブッダ)は説かれた「見よ。見まもっている親族が、とめどもなく悲嘆に暮れているのに、人は屠所(としょ)に引かれる牛のように、一人ずつ、つれ去られる。」(スッタニパータ) [ボクの細道]好きな俳句(214) 橋本多佳子さん。「夫恋へば吾に死…