2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記第4592話

「もったいない仰せでございます。重源とても播磨を賜い、周防をいただいたからでございます。」「それを耕したのは重源だ。阿弥陀仏の力で重源はそれをしたのだ。それなら、これも法然房、そちの力ではないか」 「そのような仰せは源空を恥じ入らせるばかり…

木魚歳時記第4591話

「すべての衆生には阿弥陀仏のお慈悲の力を知らせたいものでございます」「その願いも同じだ。さても、重源(ちょうげん)の大仏勧進で、多くの民が阿弥陀仏の本願を知ったであろう。大仏殿再建がこの乱世にいち早く完成して行くのも、ひとへに阿弥陀仏のお…

木魚歳時記第4590話

「阿育はまた法を刻むために山を開き、石柱を立て、塔を築いた。王は仏を礼せねば法を知ったとはいえない。孔孟百家(こうもうひゃっか)の説では、まだ至れりというには足らない」(佐藤春夫『極楽から来た』)1231 乱読の『乱歩全集』秋の夜 「ボクの細道…

木魚歳時記第4589話

「・・・朕はわが室でそなたを常に礼(らい)しているぞ。阿育王(あそか)が世尊を礼したごとくにだ。阿育王も無限無数に人畜は傷め殺したが、仏を礼し、道を知らないではなかった。慈は獣畜にも及んで、牛馬のために影をつくる行樹の列を植え、泉をうがっ…

木魚歳時記第4588話

(三)久しく悩みに閉ざされていた後白河院の御心もややくつろぎ給うたためであろうか。この日は、さながら熱に浮かされたこのように、あとへあとへと語りつがせた。信仰の御一念が恋慕の思いに似てたぎり流れるのをそのままお言葉にしたようであらせた。(…

木魚歳時記第4587話

「この身に何程の力がございましょうか。源空が身に現れる程のすべては阿弥陀の本願力の催しによるものでございます。一事とて源空が力によるものでございませぬ」「そういう覚えの御房なればこそ、朕には喜ばしく尊いのだ」(佐藤春夫『極楽から来た』)122…

木魚歳時記第4586話

「そちと時を同じくして生まれたのは朕の幸福だ。御房は法のまことを朕に知らせた。あだには思いおらぬ。お身の瞳に見守られて朕は安泰を覚える。お身の絵姿の瞳は日夜に朕を見つめ、見守り、慰めているわ。それをどうして酬いずにおられようぞ」(佐藤春夫…

木魚歳時記第4585話

「もったいない仕儀にございます。山に住みし日から只今まで、院御所よりの賜わりものはまことに法然を発奮させていただいた随一の力でございます。これもひとえに恩師のたもものでございます。源空の力で院のお覚えを催すだけの何ものがこの身に起こったと…

木魚歳時記第4584話

御房も同じ心から、人々が御房に捧げる資材を、四天王寺の念仏堂へ朕を介して進ぜられるのであろうが、院が法然房に布施する当然としても院が法然房からものを贈られるのは有無相通じるとは申せ、思えば少し風変りでもあろうか」(佐藤春夫『極楽から来た』…

木魚歳時記第4583話

源氏とてもわが遠い血つながり、恩怨はともにかりそめんものだ。血は皆一つ、国土は唯一区、何で心から相憎もうか。すべては風雲のなす業(ごう)だ、朕(わ)が天王寺の鳥羽の勅による念仏講に名を二位とともにつらねて、度々、参籠(さんろう)するのも、…

木魚歳時記第4582話

朕(わ)が血を交えた平家も平家も亡びた。この国土で神器とともに海に入った天子はだれあろう、わが孫。朕(われ)も悲しい祖父であり、父である。罪根深き院であると思う。さらばだ、朕(わ)が、今、世に現れたたしるしには、いかにしてまことの道の行わ…

木魚歳時記第4581話

「どうにも朕(わ)が力の及び難い事ばかり、せめては朕が知らず国土に道のあることを示して、国民にこの末法の世にも望みを持たせたいのが、わが唯一のこの土の願い、この後とても御房の法力の頼みだ、思えばだれも彼も懸命の生き方をして来た。平家も源氏…

木魚歳時記第4580話

「迂愚(うぐ)この身のごときは、ただ王法と仏法とに催されて生きるばかりのものにしか過ぎませぬ。その身に何ほどの力がございましょうか。力のかぎり何を致しましてでも院のお覚えの万分の一をも報じまつることになれば望外の喜びと存じ上げます。第一座…

木魚歳時記第4579話

「如法写経は朕(われ)がこの世で不幸であった男女老若へのせめてもの心やりであったが、あの場のお身の威儀は平素にも一きわまさって見事であった。あの法会の第一座をお身に立ってもらったのは、人々の心に法を一段と頼みあるものと思わせもしたし、また…

木魚歳時記第4578話

源平の争乱も漸(ようや)く押し詰った文治四年八月十四日、盂蘭盆(うらぼん)に当たって、両党の戦争犠牲者の追悼追福のために、御写経の大法会がとどこおりなく終了した後、院はその法会の首座を命じて置いた法然を召して、その労をねぎらわれ、また涼風…

木魚歳時記第4577話

そこでその日の夕刻、念仏信心の他にわが身の中にたよりのできる何ものもないと述べ終わると、顕真は柄香炉(えごうろ)をを取って法然を拝し、 姿を見れば法然房、まことは阿弥陀如来の化現(けげん) と本尊と法然とを囲繞(いにょう)して行進しはじめた…

木魚歳時記第4576話

「さようでした。華厳専門の明恵(みょうえ)なども法然の華厳には推服したげに見えました。ところが、第三日の劈頭(へきとう)に、凡夫劣悪の法然には何れの宗も及び難く、修し難きが故に、阿弥陀仏の本眼力の儘(まま)に乗じて往生得脱を期するばかりと…

木魚歳時記第4575話

「面白い。そちの見た大原問答は面白いぞ。顕真からもその時の話なら何回ととなく聞いたが、自分の感心したことばかりを申すだけでな。そちは親譲りの語り手で、情景が躍如とする。法然の話が進むにつれて法然の深さ広さが、おいおいと諸宗の先達にわかった…

木魚歳時記第4574話

まことに智顗の学解、行証が如実修行そのもので驚異讃嘆のほかはないと、法然師が答えた時には、山の人も寺の人も、思わず発した声を聞いた時の驚きは五年を経た今も心に深く刻まれて居ります」(佐藤春夫『極楽から来た』)1215 モナリザの画より抜けたる良…

木魚歳時記第4573話

「静かにやや高潮した調子で華厳の十地をよどみなく説き去り説き進める法然師にみなかたずを呑んで耳を傾けていましたが、湛?(たんごう)が天台智顗(ちぎ)の真意についての疑いを質しました時、智顗は文々句々では答えていないが、後に別の行(体験)によ…

木魚歳時記第4572話

「二日間は緒宗の相貌についてのむずかしい専門的な問答がございました。御室(おむろ)の法親王(後白河院おん弟君)もご参会でございました。」(佐藤春夫『極楽から来た』)1213 寓居さて7年目とや金木犀 「ボクの細道]好きな俳句(2311) 伊丹三樹彦さ…

木魚歳時記第4571話

「それはやはり会合を発議した顕真僧都(けんしんそうず)ではなかったかと存じます。しかしだれがどうとも申せません。叔父明遍僧都(みょうへんそうず)がくぼい眼を法然御房の黄色の瞳に注ぎながら一語も洩らさ児ときき耳を立てやせ肩をそびやかしていた…

木魚歳時記第4570話

このころ法然の門に入って、後年はその高足として師匠の代作『登山状』の筆者であるが、この時はまだ二十五歳の弱年で五年前父に伴われて大原龍禅寺に師法然の談義を聴いたたと語り出した聖覚に院は語を挟み給う。「それは世にいう大原問答の時のことだな。…

木魚歳時記第4569話

第二十六章 清水説法(一)この日、六条院に、法皇のお相手を承っているのは聖覚(せいかく)といって信西の妻、紀の二位の子澄憲(ちょうけん)の子で、先年、太秦の牛祭りの日、下山したばかりの法然を父とともに西山のほとりに訪れた童子であるが、院の乳…

木魚歳時記第4568話

田越川は鎌倉と伊豆との中間、川越里にあり、この六代のここで斬られた後は後最後川と呼ばれていた。明治のころまでは蘆萩(ろてき)の間にまだ川の形を見えていたらしく、当年の文人蘆花(ろか)や樗牛(ちょぎゅう)がこのあたりを逍遥(しょうよう)の懐…

木魚歳時記第4567話

重衡の覚悟は最も立派であった。既に法然の説法で救われていたからであろう。『平家物語』で最も哀れなのは維盛の愛子の六代の命である。十二歳で捕らわれ、失われんとして文覚(もんがく)の命乞いで頼朝の許しを得たが、十八年を経て、頼朝は己が死の前年…

木魚歳時記第4566話

宗盛と清宗(かって院のおひざで眠っていた可憐の子幼児である)とは、義経が京に追い返された時、再び伴われて上がり、京に近づいて近江篠原で斬られたが、義経は情け深く、あらかじめ人を走らせて宗盛父子のために大原の湛豪(彼も法然の朋輩である)を最…

木魚歳時記第4565話

門院へは後白河院からの保護の手があったのは疑うべくもないし、阿性坊は法然の朋輩(ぼうはい)だから、法然の何ものかが門院の辺りにも及んでいたと考えてよかろう。当然、話題に上がったと考える理由がある。 宗盛が捕えらえてからの怯懦未練(きょうだみ…

木魚歳時記第4564話

門院は法然の高倉帝御授戒の時には簾中におわしたと思われるから、法然の風貌や声咳も御存知あらせられたろうし、当時、法然やお念仏について話題が及びそうなと思われるのに、この大原行幸にはそれが見られない。(佐藤春夫『極楽から来た』)1205 晩ごはん…

木魚歳時記第4563話

かくて文治(ぶんじ)二年も、春過ぎ夏来たりて北祭(鞍馬の?)も過ぎたころ、御白河院は徳大寺、花山院、土御門通親以下公卿上人に北面武者ら少々を供奉に、大原西山のふもと寂光院に門跡を訪ね慰め参らせ補信西の女(むすめ)安波の内侍、邦綱の養子惟実…