2019-01-01から1年間の記事一覧

木魚歳時記第4078話

(五)法然は山上に在って、師範叡空のほかに天台密教の師相模(そうばく)アジャリ重宴や、後に大原問答の発起者になった顕真、その弟子で源平の戦いも知らなかったという珍しい学僧証真、さては右大弁藤原行隆の子で同じく叡空門下の後輩で、後年は法然の…

木魚歳時記第4077話

先哲の規定して置いたことではあるが、ここらにもまだ考えるべき余地が残っているように思える。 今まではただの学侶として学的な頭で考えることばかりしか気がつかなかったのだが、ここに思い至ったのも修法のおかげであると彼は喜んだ。 色恋は若気の性か…

木魚歳時記第4076話

こうできなことづくめでは、どんなすぐれた修法とて、万人にすすめるのには、不適当であろう。道場を持つこともできず、長く時間を費やすことのできない人や、病苦の人などこそ、最も念仏のような抜苦与楽(ばっくよらく)の行が必要なのだから。(佐藤春夫…

木魚歳時記第4075話

こういう修法もまた果たして万人にできることであろうか。第一に道場がなくてはできない。そうして時間がなくてはできない。また健康でなくてはできない。現に永観律師でさえ晩年にはできなくなっていたではないか。(佐藤春夫『極楽から来た』)742 縦横の…

木魚歳時記第4074話

と語って、壮年以前は日に一万遍、壮年以後は六万遍、晩年には舌がかわきのどが涸れるため、専ら瞑想を勉め、三時読経して一日も欠かさなかったといわれ 法然は修法しつつも、前人の徳行を思いこれを慕いながら、また少しく考えるところもあった。(佐藤春夫…

木魚歳時記第4073話

この律師は好んで獄舎をおとずれ、囚人の苦をあわれんで説法授戒した。また人に物を貸して返さぬものには念仏をさせたという。 律師はまた好学の人であったが生来の虚弱多病に悩みながらも、「病は人の善知識(ぜんちしき)である。われ病質の故を以て四大(…

木魚歳時記第4072話

そうして寺に住するに及んで、寺領の荘園の収入など悉く挙げて寺の修理その他の寺用にあてた。そのため永観が住するようになって寺の面目は一新するに至ったといわれる。思うままに寺を修理修造したあものか、彼は居ること二年あまりで職を辞して再び光明山…

木魚歳時記第4071話

永観も高徳で、山棲谷飲(さんせいこくいん)の生活十年、専念に修行していたが、その声名によって、南都の衆から迎えられて東大寺に住した。世人ははじめ永観の深く世俗をいとう心を知っていたから、よもや東大寺などへは行くまいと思っていたのに、別に思…

木魚歳時記第4070話

日中の修行としては、はじめ彼はまず九十日を期して法華三昧(ほっけざんまい)を修した。つづいて、常坐三昧(じょうざざんまい)に入り、次ぎに常行三昧(ぎょうぎょうざんまい)にと進んだ。何れも堂内の道場で十七とか九十とか日を限っての修行であった…

木魚歳時記第4069話

彼は山に帰って来たのを喜んだ。特に夏も盛んになるに及んでは、山上の清風がうれしく、夕ぐれ時になって日ぐらしぜみな音のさわやかに美しいのを愛した。 (佐藤春夫『極楽から来た』)736 洛中をナムナムと来る鉢叩 鉢叩(はちたたき) 「ボクの細道]好き…

木魚歳時記第4068話

(四)山に帰った二日目から、法然はさっそくに山の生活をはじめていた。 山の生活というのは朝は『法華経』を読み、夕は『阿弥陀経』を看、そうしてその間に種々の修行をするのである。この規則的な生活は粗食による生活力おその消耗との間に黄金律的な調和…

木魚歳時記第4067話

「ときに法然。そなた山に帰って来て今度は何をする気か」「やっぱり『要集』や『止観』の巻は手から離しませんが、博く読みあさる気はなくなりました。諸山お法蔵(文庫のこと)もおおかたは見ました。奈良で蔵俊などの学匠にも会って、学問というものの限…

木魚歳時記第4066話

「これは真言の賛美に似て、実は今そなたの話した独楽を遊んでいた子供の話同然の権威の否定ではなか。庶民も追々と目ざめて来たな。これでは今に世直しがはじまるだろう。山でも近ごろは学侶よりも大衆の方が強くなって来る様子だ」「山も下界も同じ法則で…

木魚歳時記第4065話

「やっぱり氾濫していますか」 叡空あ黙ってうなずいた。そうしていう。「法然房そなたは知るまいが、山法師どもは、このごろ酔っぱらうと、こんな今様を歌うと申すことだ。 真言教のめでたさは 宝塔宮殿へだてなし 君をも民をも押しなべて 大日如来と説いた…

木魚歳時記第4064話

「震旦(しんたん)などには夏(か)の桀王(けつおう)だの殷(いん)の紂王(ちゅうおう)などという、人殺しやそれもはらみ女の腹をたち割って見るような事を好むのも居たことに思い合わせば、お色好みはまことにみやびた風流と申しておかろうではないか…

木魚歳時記第4063話

「しかし、わしは摂関家の出で、臭い者身知らずか、白河院以来のお色好みに決して非を打つ気はない。 あれはむしろ健康でいい好みと思っている。そうでないか、独裁の君主ともなれば、どんな事でもし放題なのだから」(佐藤春夫『極楽から来た』)730 寒稽古…

木魚歳時記第4062話

『だってさ、あんなに牝ばかり追っかけているのじゃ』 などといっていたものでした。いずれも宮中から洩れて民間にひろがったことを、大人が何かというのを聞きかじってのことでしょうが。「なるほどこれは町へ行かなければ聞かれない話だ」と叡空も一応は面…

木魚歳時記第4061話

「しかし、下界にはそんな色や匂いより、もっと面白いものがありました」 と話に一段落ついたところで、今度は法然から語りかけ、語りつづけた。「町で十二、三ばかりの子供たちが独楽(こま)を合わして遊んでいるのを見ていましたら、そのうちのひとりが、…

木魚歳時記第4060話

(二) 後年「仏法ニ逢ヒテ身命ヲ捨ッ」という事を、 かりそめの色のゆかりの恋にだに逢ふには身をも惜しみやはする。と歌った法然は、その壮年時代、山上と下界とをしきりに往復している間には、これくらいの体験ならあったのである。彼もまた木石ではなく…

木魚歳時記第4059話

「それほどの勇気も執着もありませんでした」「よかろう。そなたも立派に一人前の男らしいわ。『一色一香中道二非ザル無シ』だ。さすがにそなたの眼は下界の風に吹かれてもいささかも狂わぬ」 あまり頻繁に山を下ったので叡空は観音像などを語り出して婉曲に…

木魚歳時記第4058話

「いいえ、奈良で一度、あれは何という町でしょうか、町かどで行きずりの若い娘はいい匂いがしましたので、ふりかえって見ると、髪かたち、えり首、そうして腰のあたりを美しいと思いました」習「少しはあとを追って見なかったか」(佐藤春夫『極楽から来た…

木魚歳時記第4057話

「はい、下界に行くと目につきます。太秦には母の妹になる者が居りますが、それの娘の目もとの色を美しいと思って見ました」「それはそなたの従妹だな。度々見ることはあったか」「いいえ、ただ一度」「その従妹のほかにはなかったか」(佐藤春夫『極楽から…

木魚歳時記第4056話

法然は師匠が何を云おうとしたかを、ほぼ察したころに、師匠はいい出した。「法然房、そなたも、もう壮年の男子になっている。不良ではあるまい。よもや、女人の色や香に無頓着ではあるまいがの?」 ほぼ察しはがついていたというものの、遠巻きから、一転し…

木魚歳時記第4055話

「観世音のご慈悲はそこまで及んで居りますか」「一たい仏教では人間の性の欲情を本来は絶対に禁じているわけではない。だから完全な肉体を具えない根欠の成仏はないことになっている。健康な欲情は仏法の認めているところだ。それを転じて昇華して精進にさ…

木魚歳時記第4054話

「そうだ。あれだけ大きいとやはり身に迫るものが違うな。あれほどの観音像の必要もないが、せめて等身ぐらいな観音像をそなたに拝ませてやりたかったな。知ってのとおり、ほかのみ仏は男女のいずれでもなく中性だが、観音さまは、そのお慈悲から、女体を現…

木魚歳時記第4053話

「観音さまですか」と法然はしばらく考えてから答えた。「観音像は法隆寺夢殿(ゆめどの)のご本尊は秘仏であすからこの前立ちだけをありがたく拝みました。しかし前立ちだけでは、ほんんとうのありがたさはわかりませんね。像もやはり、ある程度の大きさは…

木魚歳時記第4052話

(二)「釈尊像は別として観音像はどうか」 と叡空はなおも問いつづけた。彼は久しく談的敵に飢えていたのであろう、そうしてこの仲良しの弟子は、庭前に風もなくて花の散るこの永い日の小半日を、心きなく飽かずに語り暮らしたものであった。(佐藤春夫『極…

木魚歳時記第4051話

「高野も清盛から五大尊の血の曼陀羅を受けるようではいよいよ俗地です」「寺々のご本尊一番好きなのは何か」「みなそれぞれに有難く、一口に申すのももったいない。何れも『往生要集』や『止観』の教えるところを相形で見せてくれていますが、わたくしはや…

木魚歳時記第4050話

「はじめは生地のままの柱の木目美しい簡素な日本風なものが、やがて丹塗(にぬり)の柱、青い色の窓になり屋根も檜皮(ひわだ)ぶきのものが忽ち甍(いらか)に変り、平安以降寺も時代を経て漸くまた日本風の寝殿形式にかえるとともに奈良時代のように儒教…

木魚歳時記第4049話

「それは珍重、そなた十年の間、山を上がったり、下ったり、井戸つるべのようなことをして下界から何ものを汲み取ってきたのか、見たものは何だ?」「はい、推古以来のさまざまなお寺、そうしてその寺におわしますみ仏たち、その前にささげられた花の色香な…