2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第3352話

「今夜一晩よく考えたうえで決めよう」「そんことをしていれば稲岡へもれる。やるならすぐやらなければだめだ。預所(あずかりしょ)で同意しないならおれたちが勝手にやる」 と、いい出されて定明もその場のはずみに是非もなく、「それでは今夜丑(うし)の…

木魚歳時記 第3351話

チンピラ連は諸国の武士団の私闘や国府への切り込みが流行している風聞を聞いて、彼らもやって見たくなったのであった。まだ二十にもならなかった定明は彼らの暴挙を未然に防ぐだけの分別も力もなく、それでも、一同の興奮をしずまるのを待とうと、(佐藤春…

木魚歳時記 第3350話

若者の言葉は村人の日ごろの鬱憤(うっぷん)の噴出だから同感の声が多かった。興奮した一座は最後に稲岡の北の庄(と彼らは漆の居館をそう呼びならわしていた)へ夜討ちをかけようといい出した若者があった。(佐藤春夫『極楽から来た』)56 戒名は独尊居士…

木魚歳時記 第3349話

稲岡の奴らがいつもいっていることをあのあまっちょろめ、つい口をすべらしたに違いない。おい、みんな我慢できるかよ、これが、稲岡では水をひとり占めして我々を干ぼしにしておいて気の毒ともすまないとも思わないで、こんなことをぬかすのが許せるかとい…

木魚歳時記 第3348話

「だがあの阿魔のいいぶんはこうだ。弓削へなんかへは行かないのはまだ我慢するが、そのあとが何とこうだ。聞けよ。弓削へなんか行けば干(ひ)ぼしになる、だとさ。これがおれには我慢ならない。村全体を侮辱したいい草だ。(佐藤春夫『極楽から来た』)54 …

木魚歳時記 第3347話

「別に思う人があるから弓削へ来ないと率直にいうならば話はわかる。おれだって腹は立てない」 と、ふられた男といわれた若者が最後に口を開き云いつづけた。(佐藤春夫『極楽から来た』)53 夾竹桃咲くころ柩かつぎたり 「ボクの細道]好きな俳句(1099) …

木魚歳時記 第3346話

けんかの原因は弓削の若者が稲岡の娘に求婚したが、娘には稲岡に愛人があったらしく、弓削への嫁入りを拒んだ。着飾ったその娘が愛人らしい若者と相前後してお参りの列内にあったのを見て、弓削のふられた男が稲岡の色男に飛びかかったというたわいもない話…

木魚歳時記 第3345話

彼らの口々にいうところによると、お祭りに参詣の一群が帰途を細いあぜ道を一列縦隊で来かかると、折から参詣にのぼる稲岡の一群と出合い、どちらも道を譲らず暫(しばら)くにらみ合ううち、弓削の若者のひとりが、いきなり列から飛び出して稲岡の若者と何…

木魚歳時記 第3344話

弓削では朝から老若の一群が参詣に出かけて、正午近くには妙に興奮して帰ったが午後には三々五々、預所(あずかりどころ)に定明を訪(おとな)うて何事か密談していた。(佐藤春夫『極楽から来た』)50 漆黒の空にきれいな流れ星 「ボクの細道]好きな俳句…

木魚歳時記 第3343話

これは稲岡の漆氏居館の東方にあった加茂神社の春の例祭の太鼓である。神社はいつのころ祭られたのか、いまは知る人もいないほど古く、この山峡一帯の神社として付近の村々から祭られて本社と同じく四月、中の酉(とり)の日に挙行される。春の名残と、まさ…

木魚歳時記 第3342話

(四)この日、山々には晩春のかすみがたなびき、空は低く垂れてうすぐもりした天地は、その心臓の鼓動のように、弓削稲岡一帯の新緑の山地に山彦して、にぶくとどろき波打っていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)48 炎熱のそこさきはわからない 「ボクの細…

木魚歳時記 第3341話

年を経ても夫人秦氏との間にはまだ一子の無いことであったが、これさえも岩間観音に祈願した末に、夫人が一夕かみそりをのむと夢みて生み得た一人の男児は年とともに心身が発育しすこやかにさかしく末頼もしい幼童と思われて、時国の幸せはいまこそ、藤原の…

木魚歳時記 第3340話

漆時国は父祖伝来の稲岡の庄を領し、また父祖伝来の好もしい笛吹山下の居館に安住し、二十 七歳に及んでは、国内で漆氏と並び称される旧来の名族秦氏(はたうじ)の姫を迎えて夫人とし、つづいて一身は押領使として地方武士の元締めと仰がれるほど、人のうら…

木魚歳時記 第3339話

押領使(おうりょうし)というのは令外(りょうげ)の官(かん)といって大宝令(たいほうりょう)に定めた以外の役人で、国衙(こくが)の下に兵を指揮して都内の狂暴の徒を鎮圧して治安を維持するために、原則的には郷土の名望ある豪族が任命される役目で…

木魚歳時記 第3338話

漆氏(うるまうじ)は時国(ときくに)の代になって押領使(おうりょうし)に任じられるとともに、もとから三棟あった居館にまた一棟を増築する勢いであった。武士としてまた稲岡の領主として、漆氏は二百年足らずのうちにこの富と勢力と社会的栄誉とを順次…

木魚歳時記 第3337話

自然の地勢によって弓削(ゆげ)は稲岡(いなおか)のあまり水を田に引き入れ不足を嘆息して稲岡をうらやみ、自家専用の池を設けようとして水源の発見に苦しんでいた。 まず門田(もんでん)のある要害の地の相として門口に馬屋を設けてそのうしろに廊下つづ…

木魚歳時記 第3336話

西北は山、西南は水をめぐらして自然の防備とし、東方は打ち開け、屋敷の南方には低い丘越に広々とした田園が見られる。 屋敷をとりめぐる清流は領国の居館に近い庄民の家々の用水としてその軒下の小溝に分かれ流れた末はやがて北の庄から南流して耕地の上方…

木魚歳時記 第3335話

(三) 作州久米郡の押領使(おうりょうし)漆時国(うるまのときくに)の祖先からのこされた申し分のない居館と笛吹き山の頂上との中間の山腹の森には、いつのころからか、祖先とわき水とを祭ってさくらの老樹のかげに大きからず小さからぬ氏神神社の祠(ほ…

木魚歳時記 第3334話

居館は(弓削の庄の)明石定国が好んでこの山上で笛を吹いたという笛吹山の山すそが細長い丘陵となって、たとえば、太くたくましい腕を北に突き出し更に西へ抱え込むような地勢のところに構えられた。 この丘陵の腕の尖端はあたかも握りこぶし固めたような独…

木魚歳時記 第3333話

ところで漆氏がこの稲岡に荘的支配権を持つに至ったのは、この押領使時国から二百年とさかのぼるものではなかった。それでもこの山間の藪沢久米郡の荘園としては草分けの部であったであろう。さればこそ優先的に、これほど有利な地域をも占め得たものである…

木魚歳時記 第3332話

漆(うるま)氏はもと源氏の一門であるが、美作(みまさか)に出て以来、漆氏を姓とすると伝えられているのは、八幡太郎義家の祖父頼信が美作守(みまさかのかみ)となって津山に来任したことに由るとも考えられる。頼信がこの国に任にあったあいだに、この…

木魚歳時記 第3331話

山中によい泉を見出し、その流域を見積って四至(しいし)すなわち開墾予定標を立てて開墾を企てて荘園としてついにめでたい稲岡の地に南北二つの庄の領主となったのは、源氏の分れといわれて津山出身の国内切っての旧家で名族とされる漆(うるま)氏{また…

木魚歳時記 第3330話

最初、北の庄に近い笛吹き山中腹の一角に、ほとばしる泉があったのを掘りひろげてわき水の量を加えたこの半人工の天然泉を谷間に落とした渓流によって北の庄がまず開かれたが、水量が見込み以上に豊富なのを見て更に南の庄も開いたものであった。ここではい…

木魚歳時記 第3329話

(二) このように弓削の庄から恨みを買っている稲岡の庄というのは、弓削の千メートルばかりの北方に弓削と隣して山ぎはの西寄りの地点にあった。地域は弓削よりはやや広大で南北二つの庄に分かれている。 二つの庄とも東方に南向きにゆるやかな斜面を縦横…

木魚歳時記 第3328話

そうして定国が弓削の預所となって再び美作に帰ると預所の成績を上げるためにいままで捨てて置いたやや高いあたりに鋤(すき)を入れてもう一度稲岡に水の分配を交渉し、自分で新しい池を設けようともいったが、稲岡でも今度は応じなかったため、弓削の新田…

木魚歳時記 第3327話

弓削はもと最も平野に近く面積も広かったから早く開墾されていたが、水上の稲岡で水田を開いてここが水不足となったため、一時は不堪佃田(ふたんでんでん)としてしばらく荒廃に委ねられていたのを、明石定国(あかしのさだくに)が着目し遠い昔の他人のこ…

木魚歳時記 第3326話

地味(ちみ)は決して悪くはなかったが、盆地というものの、百五十メートル平均の高地で川には遠く、その上雨量に乏しい地方ときているから、一帯の水不足のため、せっかくの沃土(よくど)も平地のような収穫は望むこともできないで、もともと狭い土地のみ…

木魚歳時記 第3325話

弓削も稲岡もわずか二十戸かそこらの小さな家々が、あちらの山すそ、こちらの森かげというふうにちりぢりばらばらである。このころの一戸は人数が多かったとはいえ、二十戸でせいぜい四、五百人であった。 それがすりばちの底のネコの額(ひたい)ほどのやせ…