2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第3505話

「極楽世界は七重の欄干(らんかん)を取りめぐらし、また、根、茎、枝、小枝、葉、花、実をそろえた木々が整然と立ち並んで七重に空におおいかぶさり、(佐藤春夫『極楽から来た』)208 炎昼の京人形やのつぺらぼう 「ボクの細道]好きな俳句(1256) 田川…

木魚歳時記 第3504話

それ故、人々はこの事を思い違いして極楽というのを死後の世界のことのように思っているらしいが、これは大ちがい、極楽世界は現世における生き方の問題で、とぎすまされた感覚と濁りのない智恵の喜びに生きるということであるらしい。こう思ってみると、極…

木魚歳時記 第3503話

話があまりウマすぎるのでこれはまゆツバモノであると首をかしげる人も多かろうが、この浄土の楽しみというのは、人間世俗の楽しみとは全く本質的に事かわって、世俗の享楽を全く忘れ果て、初めて享受できる次元の違ったものなのかも知れない。(佐藤春夫『…

木魚歳時記 第3502話

「この国土を何故に極楽というか。この国の衆生の生活には何らの苦労もあることなく、ただあらゆる楽しみだけを受けている。それ故に極楽と名づけたのである」(佐藤春夫『極楽から来た』)205 雷鳴や東寺秘伝の風信帖 「ボクの細道]好きな俳句(1253) 田…

木魚歳時記 第3501話

すなわち、遠い未来をという意味に解釈していいのかも知れない。将来の理想国ではなく現在に実在する観念的国土であるという書き方のようでもある。それはともかく、(佐藤春夫『極楽から来た』)204 霾ぐもる羅城門址四ッ塚町 「ボクの細道]好きな俳句(12…

木魚歳時記 第3500話

と、こう書き出したこの『阿弥陀経』(あみだきょう)というのはすべて象徴的な説き方であるが、ここに「西方十万億の仏国土を過ぎて、とある西方というのも空間的な方向を指すものか、それとも日の落ちる方向を指して時間的な距離、(佐藤春夫『極楽から来…

木魚歳時記 第3499話

「これより西方十万億(さいほうじゅうまんのく)の仏国土(ぶっこくど)を過ぎて、一つの仏の世界がある。その国を極楽世界といい、ここに居られる仏を阿弥陀仏(あみだぶつ)と申して、今日も現にこの浄土に居られて真理を宣伝していらっしゃる」(佐藤春…

木魚歳時記 第3498話

(二)ある時、シャカムニ仏がコウサラ国にある舎衛城(しゃえいじょう)祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)で、千二百五十人の仏弟子たちの集まっているところで、その代表者シャリホツに呼びかけて、次のような事どもを説かれたという。(佐藤春夫『極楽から来…

木魚歳時記 第3497話

「仏教の修行ができ上がると、このいやなことばかりの娑婆(しゃば)、穢土(えど)までも極楽のように思えて来ることなのである。わしも早くそうなりたいものだ」(佐藤春夫『極楽から来た』)200 大海に入るや雀の小蛤 「ボクの細道]好きな俳句(1248) …

木魚歳時記 第3496話

「極楽をこういろいろな言葉で申すほか別に『じゃっこうど』というのがある。寂光土、さびしいひかりののつちと書くが、決してさびしいのではない。しずかに落ちついた真理の光がものみなを照らしている静かに楽しい国という意味なのだ」 (佐藤春夫『極楽か…

木魚歳時記 第3495話

「ただ聞きかじり読みかじったところでは、極楽のことを安養土(あんにょうど)とか安楽国(あんらくこく)とかいうのは心安らかに生きられる国というのであろう。」(佐藤春夫『極楽から来た』)197 涅槃図に五十六種とあと一匹 「ボクの細道]好きな俳句(…

木魚歳時記 第3494話

「それ故、それを有りと認めるにも少々の修行しなければならないのかも知れない。それが今もいういうとおり、わしはまだ修行が足りないので極楽浄土もまだはっきりとは見えないでいる。」(佐藤春夫『極楽から来た』)196 側溝をころげまはりて鳥交む 「ボク…

木魚歳時記 第3493話

「それで先ず極楽を有りと思おう。極楽は報身報土(ほうしんほうど)と申して、三世の諸仏がそれぞれの修行の結果でその報いにできあがった真理の国土なのだ。」(佐藤春夫『極楽から来た』)195 三椏の花咲き人体解剖図 「ボクの細道]好きな俳句(1243) …

木魚歳時記 第3492話

「それをただ、わしもそなたも有ると思っているばかりのことにすぎないのかも知れぬ。一たい何がほんとうに有るか無いか。それが問題だ」 と、唯識(ゆいしき)の得業(とくごう)、観覚は十二歳になったばかりの弟子に先(ま)ずそんなことを話しだし、それ…

木魚歳時記 第3491話

「目の前の何でもかでもみなそれだ。有りと思うから有るのだ。もしかしたら夢を見てゐるのかも知れない。何もかも、いいか、そなたが現在、生きていると思っているのも、またわしがそなたにこんな話をしているのも、本当は夢かまぼろしかも知れたものではな…

木魚歳時記 第3490話

と、観覚は考えをまとめようとするかのごとく、しばらくつぶっていた眼をひらくと話しだした。「極楽は有りと思えば有り、無しと思えば無いふしぎなところ。いや何の不思議もない。それは極楽とばかりも限ったことではない。」(佐藤春夫『極楽から来た』)1…

木魚歳時記 第3489話

「仏典はわしやそなたが今まで見たのはほんの九牛の一毛だ。極楽のことをくわしく書いたものも幾つもある。そなた今にゆっくりとひとりで勉強してみるがよいが、せっかく今日そなたがそういうならば、わしの少しばかり知っているところをおおまかに話して進…

木魚歳時記 第3488話

「そうであったか。さもあろう」 と、観覚はうなずいてから、「その極楽のことだが、正直に申せば、わしはまだ人間の名聞に迷って極楽のことも、ほんとうは知らないでいる。そなたに聞かしてもらいたいと思っているほどである。(佐藤春夫『極楽から来た』)…

木魚歳時記 第3487話

「実はわたくしお師匠さまがお前は極楽から来たとおっしゃった時から、 極楽とはどんな所か、それが知りたくて、今にもお経文で極楽のことを もっとよくわかるようになるものと、毎日たのしみに待っていたのでご ざいますけれど」 (佐藤春夫『極楽から来た…

木魚歳時記 第3486話

第四章 極楽談義 (一)「お師匠さま」 と一日、童子は言葉を改めかたちを正していい出した。 「だいぶんたくさんのお経文を読んでいただきましたが、どれにも極楽のことはあまり くわしくは出てまいりませんね。」 (佐藤春夫『極楽から来た』)188 (平成2…

木魚歳時記 第3485話

自分が夜毎に襲われたあの切ない悪夢でさえも思えば清浄無垢にはつらつたるものであった。 自分は極楽から来たのではなかったのかも知れない。しかし一度は小聖衆として極楽に住んでいたのは確かであると、当年を回想するのであった。 (佐藤春夫『極楽から…

木魚歳時記 第3484話

朝霧をわけて色あざやかな花を野山に探り歩き、耳にする鳥の声はすべて生き生きとひびき、空気も水もすべてがかけひの氷柱(つらら)に似て清らかにすみ透り、何一つけがれたものやくたびれた生き物はあたりに見あたらなかった。 (佐藤春夫『極楽から来た』…

木魚歳時記 第3483話

それでも叔父であったあのあの師匠や、その門下にあった先輩のまじめな仏弟子たちと暮らしたあの小さな山寺の日々こそ、ほんとうに極楽のようであったと思い出した。 (佐藤春夫『極楽から来た』)185 村の子の走りながらに嫁叩き 「ボクの細道]好きな俳句…

木魚歳時記 第3482話

後年、彼はすべての人々と同じく、少年時代を楽しく回想して思うよう、自分が極楽から来たと師匠がいったのは、父の横死を極楽から来た者に人間生活の悲惨を味わはせるための一試練だと慰め、また自分に自信を与え励ます方便の言葉だと思うようになった。 (…

木魚歳時記 第3481話

眠りの足らぬ身も、また生きる新しい力がわき出すのを感じた。一度いちばん切なかった夜明けにこのことをおぼえて以来、これが童子の習慣となったのである。 (佐藤春夫『極楽から来た』)183 雪婆つれて日暮の匂ひかな 「ボクの細道]好きな俳句(1231) 波…

木魚歳時記 第3480話

童子は明かり障子の白むのを待ちかね、だれよりも早く、かけひの氷もまだとけぬころ寝床を力なくはい出し、ひとり本堂に入って本尊の観音像に額ずき祈って、夜来のさびしさは不思議と落ちつき、 (佐藤春夫『極楽から来た』)182 春寒やいまだ届かぬ内定書 …

木魚歳時記 第3479話

これらの疑問はすべて、いかに聡明であったとはいえ、十一や十二の童子に解答の得られるものではなく、みなその生涯をかけて解決すべきものの萌芽なのであった。 寒さは身にしみわたるし、さびしさは山犬の牙のように心をかみ、童子の眼には涙がにじむ。(佐…

木魚歳時記 第3478話

眠られぬ夜の童子の思いはあやしげな唐草模様になって闇のなかにひろがるなかで、童子は自分の世界をあくまでも凝視しつづけ、つづいて人間全体というものを考える種をつちかい、疑問は疑問を生み出していった。(佐藤春夫『極楽から来た』)180 涯もなく限…

木魚歳時記 第3477話

あの時、父に向って刀をふり上げて立っていたあの敵の顔つき、それが小矢を射かけた自分の心、やさしい父のやさしい遺言。お互いに殺し合わなければ生きられないまでに追いつめられた人間同士の生活。(佐藤春夫『極楽から来た』)179 冬蝶につきまとはれて…

木魚歳時記 第3476話

こういう寒い山上の寺に、こうしてひとりさびしく眠りのない夜々を明かさなければならない身の因果、別れて来た母のこと、自分の今の身の上に追い立てた父の死、あんないい父がどうしてあんなむざんな死を死ななければならなかったのか、(佐藤春夫『極楽か…