2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧
(釈尊は答えた)「道による勝者とは、疑いを超え、苦悩を離れ、安らぎを楽しみ、貪(むさぼ)る執念をもたず、神々と世間とを導く人。そのような人を<道による勝者><目ざめた人々>と説く。」(スッタニパータ) ここで後期仏教(「大乗仏教」)に影響を…
(チュンダは問う)「道による勝者とは、道を説く者とは、道によって生きる人とは、また、道を汚す者とは、(その違いを)わたしに説き明かしてください。」(スッタニパータ) 修行者の四種類とは何でしょうか。ヒンドウー教の時代(BC13世紀頃)からある古…
(釈尊は答えた)「チュンダよ、四種の修行者があり第五の者はありません。それらをあなたに明かしましょう。それは、道による勝者と、道を説く者と、道において生活する者と、道を汚す者のことです。」(スッタニパータ) チュンダの問いかけ「修行者とは?…
(鍛冶工チュンダは問う)「目ざめた人(釈尊)にわたくし(チュンダ)はおたずねします。世間には、どのような修行者がおられるのでしょうか? どうかお説きください。」(スッタニパータ) 鍛冶工チュンダの問いは、BC13世紀頃のヒンドウー教におけるカー…
(バーラドヴァージャは問う)「暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマ(釈尊)さまは種々の方法で真理を明らかにされました。故にわたし(バーラドヴァージャ)は、ここにゴータマ(釈尊)さまに帰依(きえ)し、ゴータマさまのもとで戒律をうけましょ…
(釈尊はいった)「バラモンよ、神々・人間、道の人(修行者)・バラモン(僧侶)を含む生きものの中で、乳粥を食してすっかり消化し得る人を見ない。だから、バラモンよ、その乳粥を若草の少ないところに捨てよ。」(スッタニパータ) 「乳粥を食してすっか…
「詩を唱えて(報酬として)得たものをわたし(釈尊)は食してはならない。バラモンよ(食を得ることは)目ざめた人々のならわしではない。これが、目ざめた人の生活法なのである。」(スッタニパータ) バラモン教の僧侶たちが、ヴェーダの詩を唱えることで…
「詩を唱えて(報酬として)得たものを、わたし(釈尊)は食してはならない。バーラドヴァージャよ、これが目ざめた人(釈尊)の生活法なのだ。」(スッタニパータ) これは、バーラドヴァージャが、大きな青銅の鉢(はち)にヨーグルト(乳粥)を盛って釈尊…
(釈尊は答えた)「この耕作はこのようになされ、甘露(かんろ)の果実をもたらす。この耕作を行ったならば、あらゆる苦悩から解(と)き放たれる。」(スッタニパータ) 釈尊の説かれる「この耕作」とは、すなわち<心の田>を耕すことであります。生きるた…
(釈尊は答えた)「努力が、わが軛(くびき)をかけた牛であり、安穏(あんのん)の境地に運んでくれる。退(しりぞ)くことなく進みそこに至ったならば、憂(うれ)えることがない。」(スッタニパータ) 安穏(あんのん)とは、ニルバーナつまり悟りの境地…
(釈尊は答えた)「身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食をしない。わたしは真実をまもることで草刈りとしている。柔和(にゅうわ)が、わたしにとって(牛の)軛(くびき)を離すことになる。」(スッタニパータ) バーラドヴァージャの「あな…
(釈尊は答えた)「わたしにとっては、信仰が種子(たね)である。苦行が雨である。智慧(ちえ)がわが軛(くびき)と鋤(すき)である。心が縛(しば)る縄(なわ)である。気を落ちつけることがわが鋤(すき)先と突棒とである。(スッタニパータ) バーラ…
(バーラドヴァージャは問う)「あなた(釈尊)は耕して種を播(ま)いたあとで食う。と、そのように称しておられるが、われらは、あなた(釈尊)が耕作するのを見たことがない。あなたが耕作なさるなら、われわれにわかるように示してください。」(スッタ…
貪欲(とんよく)と嫌悪(けんお)と迷妄(めいもう)を捨て、結び目を破り、命を失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) 宗教の特色と地域(環境)との関係は密接です。大きく分けると、草原の宗教と森の宗教の二つに分か…
歯牙(しが)強く獣(けもの)どもの王である獅子(しし)が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥(ざが)に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) スッタニパータの記述(原始仏教)において、修行の方法として「犀の角の…
音声に驚かない獅子(しし)のように、網にとらえられない風のように、水に汚(けが)されない蓮(はす)のように、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) いくら修行のためとはいえ、食欲を始め、種の保存にかかわるさまざまな本能的な欲望につい…
独坐(どくざ)と禅定(ぜんじょう)を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には患(うれ)いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) 「禅定」とは、身を遠ざけて奥まったところで瞑…
(妻子、地位、財宝などを捨てることができない)「これは、執着(しゅうちゃく)である。ここには楽しみは少なく、快い味わいも少なくて、苦しみが多い。これ(執着)は魚を釣る釣り針である」と知って、賢者は犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパー…
貪(むさぼ)ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇望(かつぼう)することなく、(見せかけて)覆(おお)ことなく、濁(にご)りと迷妄(めいもう)とを除き去り、全世界において妄執(もうしゅう)のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。(…
寒さと暑さと、飢(う)えと、渇(かつ)えと、風と太陽の熱と、虻(あぶ)と蛇と、これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。 (スッタニパータ) BC5~6世紀頃の古代インド。ヒマラヤ山麓では小部族がひしめきあい、侵略にしのぎを…
実に欲望は色とりどりで甘美(かんび)であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱(かくらん)する。欲望の対象にはこの患(うれ)いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) 繰り返し触れてきたように、さまざまな欲望に執着…
金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金(おうごん)の腕輪を、一つの腕にはめれば、たがいにぶつかりあう。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) 高価な腕輪を身につける習慣は、インドないし南アジアの女性の特徴的な装身具で…
四方のどこにでも赴(おもむ)き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪(た)えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) 欲望→執着→煩悩(苦)。これが、原始仏教が説く煩悩の生まれる構図となります。そ…
出家者(しゅっけしゃ)でありながらなお不満の念をいだいている人々がいる。また家に住まう在家者(ざいけしゃ)も同様である。だから他人の子女にかかわること少なく、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) 自分の子女も含め、他人に対して抱く…
仲間の中におれば、遊戯(ゆうぎ)と歓楽(かんらく)とがある。また子らに対する情愛は甚(はなはだ)大である。愛(いと)しき者と別れることを厭(いと)いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) 「犀の角のようにただ独り歩め」とく…
仲間の中におれば、休むにも,立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自在をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) 釈尊は、お生まれになるや七歩あゆまれ、天地を指さし「天上天下唯我独尊…
林の中で、縛(しば)られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴(おもむ)くように、聡明(そうめい)な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) 修行の目的とは何でしょうか? それは「独立自由」をめざすことである…
子や妻に対する愛着(あいちゃく)は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡(から)むようなものである。筍(たけのこ)が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) さきにも述べたように、シッタルタ王子…
朋友(ほうゆう)・親友に憐(あわれ)みをかけ、心がほだされるとおのが利を失う。親しみはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) ここでいう「利」とは、大切なものという意味でありましょう。独りでいれば、最も…
交(まじ)わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがって苦しみが起る。愛情から禍(わざわ)いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。(スッタニパータ) ここでいう「交わり」とは、会うこと、声を聞くこと、身体に触れること、しゃべる…