2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記第4920話 

はじめに。このたび、不思議なご縁を頂戴し、総本山知恩院布教師会(TEL075・531・2157)より初版(平成22年4月25日刊)の 法然上人のお言葉ー元祖大師御法語ー の冊子を知りました。そこで、転載認可を頂戴し、冊子の一部をアップ(月曜…

木魚歳時記第4919話 

全く無思想なただ温和に容易な修行とだけ見えた教えの底に、この畏怖すべき法力が秘められていたとは、その初め、法然以外誰が知っていただろうか。 徳川家康がこれを借りて国内統一を企てたのは、法の真意を知らない全くの逆用で、ために法の真意はいささか…

木魚歳時記第4918話 

法然はとどまり給わず」わずか半世紀の間に早くも、都鄙(とひ)に伝播し、衆生の心奥に浸透して血肉化し、今や衆生の生活指針とも実行能力ともなって、あらゆる人為的な統制力や権威をも、おもむろにしかし確実に崩壊せしむるきざいを現わし、庶民のすべて…

木魚歳時記第4917話 

その三十年ばかり以前にも鎌倉幕府が念仏僧を途にに要して捕え、その黒衣や袈裟を奪って焼いた。また叡山抱きは己が黒谷の僧、法然の著書『選択本願念仏集』(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)の版木を、山上大講堂前で焼いたこともあった。(佐藤春夫 付…

木魚歳時記第4916話 

上野国の学僧で、叡山並榎(なみえ)の堅者(りつしゃ)定照(じょうしょう)は、上野の叡山領を管していたが、荘園内の念仏興隆に抗し切れず、えせ忠義立に本山の僧兵を扇動して迫害に乗り出し、「すべからく専修念仏を停廃せしめべし、但しその根本により…

木魚歳時記第4915話 

滅後十五年、嘉禄(かろく)三年六月、叡山の僧兵らが無残にも、法然の廟を破り墓をあばいて屍を鴨川に遺棄しようとした事があった。遺弟信空らが集まってこれを防ぎ、その夜遺骸を西山に移し、翌年粟生野(あおうの)に荼毘(だび)した。(佐藤春夫 付録章…

木魚歳時記第4914話 

住房の上方に地を相して埋葬し、墳墓に廟(びょう)を設けた。地は狭く廟はささやかだが、参詣の人々は日夜あとを絶たない。法然は死しても、法は止まらず、念仏の教えはいよいよ盛んであった。(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』) 月天心月に焦れし求道僧 「…

木魚歳時記第4913話 

正月二日から食欲不振になったが、両三年来衰えていた目と耳はとは、逆に以前の聡と明とにかえり、念仏もいつもより盛んになっていた。十一日には極楽の聖衆の来迎(らいこう)、二十日には阿弥陀仏の顕現(けんげん)があったらしい。二十四日の宵から二十…

木魚歳時記第4912話   

(三)要はただ、つべこべ申さず理屈なしに信じさえすればよい、というのだとわたくしは「一枚起請文」(いちまいきしょうもん)を読む。理屈は信を築かず、かえって迷いを生じ人を不幸にするからであろう。(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』) フェレ肉に濃い…

木魚歳時記第4911話 

「但し、三心四修(さんじんししゅう)など申す事の候は決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う中(うち)に籠(こもり)り候なり、此外(このほか)に奥深き事と存ぜば二尊のあわれみにはずれ本願に洩れ候うべし、念仏を信ぜん人はたて一…

木魚歳時記第4910話 

頭をもたげ、力のない手に筆を執り先ず・・・「もろこし我朝(わがちょう)にもろもろの」 と書き起こしつづいて一気に書き流した・・・「智者たちの沙汰し申さるる観念の念にもあらず、又学問をして念仏の心を悟りなどして申す念仏にもあらず、ただ往生極楽…

木魚歳時記第4909話 

「もったいない父とも母とも慕い参らす師を、極楽へお送り申すのは心もとのうございますが。せめてはお教えの奥義をお書き残しいただいてお形見、生涯の身の守りとも致しとうございます」 げに寄るべもない彼である。父師盛も他からは実子かとまで疑われなが…

木魚歳時記第4908話 

建暦元年十一月二十日,五年振りで都に還り入京の日よりももっと盛んな人垣の念仏で迎えられた法然は「されどここの法は人止めんとすれども法はとどまり給わず」と喜んだが、その翌年の新春早々から病床に就いた。五年間にさらされた潮風や谷の嵐が老躯にし…

木魚歳時記第4907話  

建暦元年十一月二十日,五年振りで都に還り入京の日よりももっと盛んな人垣の念仏で迎えられた法然は「されどここの法は人止めんとすれども法はとどまり給わず」と喜んだが、その翌年の新春早々から病床に就いた。五年間にさらされた潮風や谷の嵐が老躯にし…

木魚歳時記第4906話  

こ の策を知るや知らずや、高足鎮西(ちんぜい)の聖光(しょうこう)、西山の証空(しょうくう)さえ各自の伽藍(がらん)を興して寺を号して出身の天台に自ら還宗し勢い叡山の配下に接収されてされてしまうなかで、断乎、敢然とこれに抵抗し関東平野の農民…

木魚歳時記第4905話  

流謫(りゅうちゃく)五年の無住に吉水の僧坊は見るかげもなく荒廃したのを奇貨(きか)として、慈円はその伝領していた青蓮院内の大谷を修復して再び法然を迎い入れた。彼を天台の管する寺内に入れて天台僧として遇するのは親切に似た奸策(かんさく)で、…

木魚歳時記第4904話 

察するに、上皇は先年一時の逆鱗から若年の二僧を斬らせたのみか、累(るい)を老師に及ぼしたのを、年を経てさすがに御後悔あらせてこのおん夢に十一月七日、中納言光親を奉行として、源空の入京の御聴許の宣旨となった。(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』) …

木魚歳時記第4903話 

(二)法然は荒廃した勝尾寺の僧侶たちのために一同に法服を、また一切経なくなった寺のためにには自身のものを、京から取り寄せて寄進した。 建暦(けんにゃく)元年の夏、後鳥羽上皇は石清水への行幸で一人の巫女(みこ)から法然房赦免の宣託があったとお…

木魚歳時記第4902話 

柴の戸にあけくれかかる白雲をいつ紫の雲に見なさんと、日夕去来する雲煙の美を見るにつけても浄土に入る日を待ちわびながら、山中の幽棲は四年間にも及んだ。(佐藤春夫 付録章『一枚起請文』) あのころは空白のままサングラス 「サングラス」は夏季となり…

木魚歳時記第4901話 

勝尾寺は箕面(みのお)山の北方にある山中の大寺で大和長谷寺と同年の建立という由緒もあり、その平安朝の全盛期には高野山にも劣らなかったいわれるが、源平の戦時に平家方がここに隠れたため焼き払われたのを熊谷直実らが再建に努力したともいうから、上…

木魚歳時記第4900話 

流刑の勅免はあった。しかし法然は直ちに都に入るを許されなかった。これもやはり南都北嶺への朝廷への思わくであったかも知れない。 法然は押部(今の神戸)で船を捨てると、しばらく滞在して摂津の勝尾寺(かつおうじ)に隠棲の地を定めた。(佐藤春夫 付…

木魚歳時記第4899話 

しかし疑えば良経の旧領にまだ九条家の勢力が残っていたのではあるまいか。さもないと親鸞が越後に流されている事実は理解しにくい。すると法然も讃岐ではないといい切れまい。何れにせよ、法然の流刑は、流された同じ年の十一月に十七日、最勝四天王院の供…

木魚歳時記第4898話 

流刑の地やその日時まどにも諸説がある。しかし流刑の地に関しては、辻善之助教授の『日本仏教史』には「・・・事実は土佐に流されたのであろう。その故は、讃岐は兼実の子良経の領であったが、良経の薨後(こうご)遺領讃岐と越後とを以て土佐に代えた事が…

木魚歳時記第4897話 

しかし親鸞には多くの自らを語ったものがあり、法然にはその門下の師を伝えたものが多い。非常に多い。むしろ多すぎる。門弟たちはその師をわが仏尊く、さまざまに書き立てて多くは伝説化し、またそれが当然に同一でないためそのどれを信じてよいのか迷う。…

木魚歳時記第4896話 

一たい、法然に関する公の記録はほとんど無い。彼が官僧でなかったためであろうが、また、彼を抹殺しようとsた形跡がないでもない。それでも『玉葉』(ぎょくよう)や『三長記』(さんちょうき)など公卿の日記には残っているが、親鸞に至ってはそれもない…

木魚歳時記第4895話 

いわれて見れば、蛇に足を描くそしりは免れないと知りながらも、それではと、書き足りないうちでも特に足りないかと思われる二、三の素材に、ノート代わりに付録として書きつけて置こう。亦(また)、一種の窯変(ようへん)と見られたい。 法然が僧籍から削…

木魚歳時記第4894話 

付録章 一枚起請文 (一)「拙作は前章、第三十三章百七十回でめでたく完結したつもりである。錯雑不備は承知であるが、そのうちに自らな余韻を託し、あとは読者の自由な読み方に委ねて、あれで擱筆(かくひつ)したいのが、作者の本意である。」しかし、編…

木魚歳時記第4893話 

上人は弟子どもを叱って、わしらを無事に逃がしてくれた。おかげで思い出しても身震いの出る怖ろしい一夜であった」「さもあろう、おれは話に聞いただけでも怖ろしい」と定明も力なく答えた。 法然の流罪は申しわけの僅か半年ばかりで、それも塩飽の兼実の荘…