2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記第4771話

法然には出国登叡このかた故郷美作(みまさか)をふり向きもしなかった。母亡き後は全く帰国の念もなく、道を追求して日も足らずとした。 しかし、一身に思い煩う事も絶無の今は、父母や師の遺骨も心にかかったし、父方と母方との消息に矛盾があり、父方の報…

木魚歳時記第4770話

山上こそ女人禁制が厳に制せられたが、叡山僧でも、山下では里房に公然妻帯生活をする澄憲のごとき子持ちの名僧大徳も多いが、だれも非難する人もないこの時勢に、念仏の草庵で新しく女人を忌避したり、戒律を誇ったりするのを法然は好しとせず、むしろ自家…

木魚歳時記第4769話

法然は平素、「浄土の法門と遊蓮房とに逢ったことこそ人界に生をうけた思い出である」 といっていたものであったが、円照(遊蓮房)の最後も師法然にとっては必ずや大満足であったろう。法然はおのれが阿弥陀仏に対するように、すべて自己を滅して従順無我な…

木魚歳時記第4768話

(四)吉水僧庵では、不善の者の到来に促されてその以前から底流していた戒律風の色調がいよいよ勢いを加えて来て、それが念仏者として何か特別な意義があるかの考えが動いて来ているのを見た法然は、今さら改めて念仏のほか異事ありと思うべからずち一同に…

木魚歳時記第4767話

彼の父信西は平治の乱の張本人となって世を乱しはしたが、教養に富む高雅に有為(うい)な人物であったと見えて、澄憲をはじめその多くの子や孫たちもみなそれぞれ有為の人材で、父祖の才能を思わせる。 信西はただ学芸ばかりでなく、趣味一般にも通じていた…

木魚歳時記第4766話

法然は平素、「浄土の法門と遊蓮房とに逢ったことこそ人界に生をうけた思い出である」 といっていたものであったが、円照(遊蓮房)の最後も師法然にとっては必ずや大満足であったろう。法然はおのれが阿弥陀仏に対するように、すべて自己を滅して従順無我な…

木魚歳時記第4765話

彼は道心堅固で、穢土(えど)を厭(いと)う心が深く、常に涙ぐんで物思いに沈んでいる様子であった。悲しい身の上でまた病弱な体質であったのではあるまいか。西山の善峰で病死したが、その臨終に、名号を唱えること九へん、上人は枕べで、「もう一ぺん」 …

木魚歳時記第4764話

吉水の学問部屋にいた遊蓮房円照というのは入道信西少納言通憲の子、少納言是憲であるが、平治元年、父信西の謀反の罪に連座して佐渡に流されて後、二十一歳の時発心出家し、はじめは『法華経』を読んでいたが、後には、上人の弟子になって一向に念仏してい…

木魚歳時記第4763話

「極楽に待たんと思し召せ」とその死にの床に告げやったその人の今おわすその地のもの音を、法然はその我を待つのおもかげとともに、はじめて聞いたのである。 法然には極楽も、今は遙かな彼(か)の岸ではない。声さえ聞けるあたりの地のつづきであり、もと…

木魚歳時記第4762話

法然は式子内新王の亡ぜられた翌月、はじめて極楽の衆鳥、霊笛(れいてき)などの妙音を聞いた。 それまでは念仏六万べんのひまひまに極楽の宮殿、宝樹の列などの様が眼を閉じれば現れ、後には眼を開いても消えないようになっていたが、極楽の妙音を耳にした…

木魚歳時記第4761話

式子内新王は身分柄とて、もちろん吉水のどの房にも住んだことはなかった。ただ法然の胸に住んだだけである。そうして死後は吉水の西の房の裏手、中の房の西に葬られて墓は朝夕、法然の眼にふれるところに置かれ、命日毎に香華が捧げられ、法然の読経の供養…

木魚歳時記第4760話

(三)式子内親王が内にこもって燃焼するのとちょうど反対に、熊谷はその直情を直ちに外に流露させなければおかない。それは男女の差か、それとも境遇の別か、熊谷の一挙一動を見ても、法然は式子内新王を思い出して、人柄の差別を考え、しかも差別のある二…

木魚歳時記第4759話

「救われるぞ、蓮生。そなたはきっと救われるぞ。わしと同じように」法然は再び云って行き過ぎた。熊谷の目に涙が湧いた。法然は熊谷が常日ごろ、学問部屋の聖光らが彼の知らない多くを知っているのを見て身の無学を恥じ、彼らをうらやみ、わが身を不安とし…

木魚歳時記第4758 話

ある日、並木の下で晩春の草を引いていた熊谷を見かえった法然は、熊谷に近づき、頭をなでるかのようにいとしげにいった。「蓮生よ、往生のほかに異事は求むまいぞ」 熊谷は師ののじきじきの言葉に身うちを雷のようなものが通り抜けて彼の邪念を打ち砕いたの…

木魚歳時記第4757話

熊谷は並木の下を並木と平行に、わき目もふらず、一歩一歩直進し、往復する師の姿を、ある時は同じ庭の片隅に草を引きつつ、または落葉を拾い掃目を入れながら、ある時は部屋の障子のかげに蹲(うずくま)って見守っては、あたかも聖光から聞いた釈尊の樹下…

木魚歳時記第4756話

法然は朝の勤行の後は部屋にこもり、学問部屋の弟子たちが質問に来るのに会い、いつも変わらず親切に説きまた反問を加えるなどする。彼らが去ると、法然は前庭に下りて、西側の部屋の日除けかねてここに移った直後に植えてもう可なりに太った梧桐の緑葉の下…

木魚歳時記第4755話

はじめは、耳に痛いほど甲高い咲こう鉦鼓も慣れるに従い、海の沈鐘のように、心の奥の願心を引き出す冴え冴えとした響きとなって聞く者の心を慰めはげました。(佐藤春夫『極楽から来た』)1390 仏典を食らひて紙魚の太りだす 古本に紙魚(しみ)はつきモノ…

木魚歳時記第4754話

仏間の隣室、南面の八畳に法然は住んだ。 仏間での朝のお念仏には、学問部屋の聖光らも集まった。今の浄土宗が用いる木魚であはなく、伏せ鉦(かね)と磬(けい)と割笏(かいしゃく)とだけが、此処の勤行(ごんぎょう)に使われた。激しい蝉時雨のような鉦…

木魚歳時記第4753話

信空の白川の房で、法然をねらった教阿弥のような名代の強盗であすら、一たび法然の声を聞けば,害意も失せて直ちに帰依の念を生ずるのだから法然その人自身が無上の自衛力で、ほんとうは用心棒も何も用はなかったのだが。 師の影をも踏むをを怖れる慎み深い…

木魚歳時記第4752話

(二)建久四年その入室以来、師にその性格の美を認められて、親近に侍することを許された熊谷蓮生(れんせい)があり、法然の身辺には今や整然たる秩序もあり、たてどんな強盗や不善の輩の侵入も、もはやおそれる要はなかった。(佐藤春夫『極楽から来た』…

木魚歳時記第4751話

この境域の建物の一室においてであり、はじめは清閑無為の住まいの二つの岩の幽処が、六十六歳『選択集』選述の数年前ごろから、既に、無智不善の輩の到来を見るような盛況(?)を呈するに至っていたのである。しかし建久(けんきゅう)四年以来、事態は一…

木魚歳時記第4750話

元久(げんきゅう)元年に法然が「一分(部)ノ教文ヲ学スル弟子等頗(すこぶ)ル旨趣ヲ知リ、年来ノ間、念仏ヲ修スト雖(いえど)モ、聖教ニ従順シ、敢(あ)エテ人心ニ逆(さから)ワズ、世ノ聴キヲ驚カス無シ。茲(ここ)ニ因リテ、今二三十箇年、無為ニ…

木魚歳時記第4749話

樹間のしじま、風のおとずれにまじるせせらぎ、華頂山上からの朝日のかげ、さては木立のない草原のの上を西にひらけた空のひろがり、その果ての落日のたたずまいなど、今は巷の物の音がかまびすしく、草原の可やその裾のせせらぎこそは変われ、上人在世の往…

木魚歳時記第4748話

華頂山(かちょうざん)と峰つづきでその南方に相対峙する将軍塚の間が大谷といわれ、その底に現在知恩院のある台地のもとは草原の丘陵の裾をめぐって当時あった清流が吉水なのである。(佐藤春夫『極楽から来た』)1384 剃刀の喉もとあたり鱧の皮 、 理髪店…

木魚歳時記第4747話

この御影堂のあとに建てられたのが、今の勢至堂(せいしどう)で、この二つの岩の崖辺に法然廟(びょう)が現在おごそかに地を占めているあたりこそ、往年嵯峨野の庵室を移して法然が住んだ中の房の故地として、往時をそのままの地形を保ち存している。(佐…

木魚歳時記第4746話

『勅伝』(ちょくでん)と称する知恩院の祖師が『四十八巻伝』には、「大谷は、上人往生の地なり。かの跡いまにあり、東西三丈余り、南北十丈ばかり、このうちにたてられけん坊舎、いくほどのかまえにあらんかと見えたり。その節倹のほどもおもいやられて、…

木魚歳時記第4745話

しかし、幾ほどもなく、桃李言はねども、下自らに蹊(みち)を成して、東山吉水の地は、その上の天に星辰は特別にかがやき、地上には心ある人々が木枯らしに吹き寄せられた落葉のようにここに集まり、法然は嵯峨から移り住む中の房を起て増したほかに、東西…

木魚歳時記第4744話

此処ではじめのほどは、法然上人とも黒谷上人とも呼ばれていないのを見ると、東山に移ったころでも、まだ単に一部に知られた学解の高僧にしか過ぎず、市井一般の人々にはゆゆしい念仏の祖師として、あまねくは知られていなかったらしい。(佐藤春夫『極楽か…

木魚歳時記第4743話

第三十章 吉水につどう人々 (一)法然は覚快が青蓮院を管していた治承(じしょう)のころに、青蓮院領の大谷の地に、嵯峨から移り住んだが、西山のほとりで、その前住の地によって黒谷の上人と呼ばれていた法然は、ここに移ってしばらくの間は、青蓮院の法…

木魚歳時記第4742話

法然にとっては愛することだけで十分なので、その願いに愛されようなどとそんなさもしいことは夢にも望まない。彼は阿弥陀仏の愛を彼女に取り次ぐだけだから、その願いは阿弥陀仏に捧げてもらいたかったのであろう。(佐藤春夫『極楽から来た』)1379 はじっ…