2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第3688話 

夜が更けるにしたがって帰る者は帰り、参籠する者はそれぞれに参籠の場をえらんだ。人々はみな平等のなかに差別を知り、自由のなかに自然の律があって、男女、貴賤は争うこともなく類をもって集り、分によって場所を譲り合い分かち合っておのずからの秩序が…

木魚歳時記 第3687話 

板の間や置畳の上にそれぞれ座を占めた人々は、互いに寒暑のあいさつや世間話さては信心ばなしを取り交し、何やら高らかに物語るのもあり、あたりをはばかる小声もあり、知るも知らぬもうちとけて親しげに、彼らは夕飯後をここに集まって心のなごむ一種の社…

木魚歳時記 第3686話 

お堂は夜に入っても人は散ぜず、灯明に照らし出されてほのかな瑞像の前に昼間と同じように去来して礼拝するさなざまな姿は、法然の眼には、さながらわが心中の過去、現在、未来のさまざまの悲しみそのものの映像かと見えた。(佐藤春夫『極楽から来た』)383…

木魚歳時記 第3685話 

昼間のうららかな空は、夕方に入ってうす雲がひろがったところへ、この山かげの地は日のくれが早いのか、それとも宿坊ではほんの小時間と思ったのが案外長かったものか、暮れなずむはずの晩春首夏の一日は、早たそがれのやみが濃く、七,八日ごろの片破れ月…

木魚歳時記 第3684話 

格別美しくもなかったのに、法然は何やら不思議と心ひかれる思いがあった。久しぶりに山を下りて異性がめずらしかったのかも知れないが、それならば太秦の秦家でも見かけた幾人かの若い婦人に対しては何ら心も動かなかったのに、この老女になつかしみおぼえ…

木魚歳時記 第3683話 

(三)ここに在ってわが心のなごむのをおぼえて法然は一夜の参籠をきめて清涼寺の宿坊に行き、お灯明代の寄進をした。参籠者が志によって灯明を上げるのはここの慣例であったから。 宿坊には、年のころ四十ばかり、あたかも美作で別れた母ほどの年配の婦人が…

木魚歳時記 第3682話 

法然は人々の拝すのを待って瑞像の台下に身を伏せて、心中に、「わたくしは戒も定も慧も身にかなわぬ下根のお弟子でございます。成道の門を示させ給え」と念じつつ法然は拝み終わってもなおもこの場を立ち去りがたい思いがあって、ここに一夜の参籠を考えた…

木魚歳時記 第3681話 

瑞像は低い台座の上に如来の現すという五尺二寸の立姿が大きな唐草風の華麗な光背を負うて、交々(こもごも)に台座の下にぬかずく人々を少しく憂色を帯びた面ざしで慈眼に見おろしていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)380 山峡に凛とかがやく樹氷かな 凛(…

木魚歳時記 第3680話 

今日も老若、男女,貴賤(きせん)を問わずここに群衆していた。藤原定家は群衆の煩わしさ避けてここに参詣したというが、法然はこれらの群衆の姿をこそ見たかったのである。そうしてこの群衆の一人となってここに求道の祈願をしたかったのである。(佐藤春…

木魚歳時記 第3679話 

この日よりやや後年のことであるが、高倉天皇に寵(ちょう)せられた小督局(こごうのつぼね)真西(しんぜい)の孫女、が清盛の圧迫のため嵯峨野に出奔(しゅっぽん)したのを院宣(いんせん)によって仲国がこれを求めた時も、釈迦堂にもそれらしき人の影は…

木魚歳時記 第3678話 

当時、宮廷は多事で用度が欠乏のため、最勝講や仁王会など吉例の仏事も延引がちとなっていたし、法勝寺などの貴族寺院も衰退の一途をたどっている反面、市の聖(ひじり)の寺院や、由緒ある民間の仏閣が庶民結縁(けちえん)の霊場となる傾向が著しかった。…

木魚歳時記 第3677話 

天竺から西域を経て唐に入り宋の朝廷から奝然の手でわが国に渡って来た。それ故に唐、天竺、わが朝と三国渡来の称もある。わが国入って以来も幾多の奇瑞を伝えられ、いみじくも尊いものである。(佐藤春夫『極楽から来た』)376 凍鶴や捨て色めきし日本海 「…

木魚歳時記 第3676話 

センダン瑞像と呼ばれているものは、三国伝来ともつたえられ、釈迦如来が在世中に造られてその神聖なおもかげをよく写しているといわれるほど、古代の様式をもそなえ、またわが滅後は我に代って衆生を救済せよ、とこの寿像(じゅぞう)は如来自身が開眼した…

木魚歳時記 第3675話 

しかし奝然のさかんな夢はむなしく、ついにその志を果たさず寂した後、師の志をついだ僧盛算が、山頂ならぬ愛宕山麓の棲霞寺の境内に一宇を設けて師が招来の瑞像を安置して釈迦堂とし、さらに棲霞寺を五台山清涼寺と改称していささか先師の志を慰めたのは、…

木魚歳時記 第3674話 

東大寺の僧奝然(ちょうねん)は愛宕山頂に叡山に対抗する五台山(ごだいさん)のような道場を開こうと夢見て、その清涼寺のご本尊にとセンダンの釈迦如来瑞像をわざわざ宋から将来したものであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)373 冬夕焼ナムナムをがむ…

木魚歳時記 第3673話 

(二)嵯峨の清涼寺というのはもと、左大臣源融(みなもとのとおる)の山荘で、道教の道場であった棲霞観(せいかかん)が、その死後藤原道長の有となり仏寺となったもので、はじめは棲霞寺といって、丈六(じょうろく)の阿弥陀如来を本尊としていた。(佐…

木魚歳時記 第3672話 

仰げば霞のなかの愛宕山(あたごやま)が法然のうるんだ眼界のなかにあった。法然はふもとに老いを鳴きしきるうぐいすに耳をかたむけながら、そぞろに清涼寺の門内に歩み入った。(佐藤春夫『極楽から来た』)372 寺の子の恐る恐るに嫁叩き 嫁叩き=新婦の尻…

木魚歳時記 第3671話 

道のところどころに、こぼれるばかりに咲き残る八重ざくらも、ところどころのかげろうも、あたり一面、野に満ちた春光さえも目に入らばこそ、ただうち垂れた足もとに濃い影ばかり見つめて歩きつづけていた彼は、いつしか嵯峨野の奥に踏み入り、人の行き交い…

木魚歳時記 第3670話 

出離の道はついぞ見つかりそうにもない。これでは安養国の父母に再び相まみえることはおぼつかない。太秦(うずまさ)で秦氏の主人に、「いよいよご修行で・・」 といわれ顔から火の出る思いをしたのも、お釈迦さまを直接に拝みたいというのもみなこのためで…

木魚歳時記 第3669話

法然はその手紙の、呈上から不悉(ふしつ)までの一言片句を今も忘れないのを、そぞろに心中で暗誦し、母の遺訓をくり返し繰りかえし口ずさむにつけても、この十年の間に、この身は、よき師に恵まれ三大部も読み、いたずらに智慧第一の虚名をうたわれながら…

木魚歳時記 第3668話

「したはしき人求め行かな今はただ安養国に汝を待たん母」 と遺し置かれた。この一歌をよく味わい、尽きせぬ愛とはげましとを掬(くみ)し候へ、不悉(ふしつ)と観覚得業の手紙は結ばれていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)368 しんがりの僧やられたり鎌鼬…

木魚歳時記 第3667話

父の遺訓(ゆいくん)によって出家し、母の供養のために道を成就すれば孝子の本望、これがお身の今後の勤めである。姉上は病中もお身のことばかり申し暮らして、いよいよの病あつしというに当たっては、さらば後の日に伝えてよと、わが身に託してお身のため…

木魚歳時記 第3666話

観覚得業の手紙は、遠遊の子に代ってわが身が及ばずながら看病を心残りなく尽くしたつもりだが、定命(じょうみょう)であったか姉上は薬石(やくせき)もついに効かなかった。しかし姉上は何ら苦悶の状とてもなくめでたく往生された。そなたは悲嘆に代えて…

木魚歳時記 第3665話

常に欠かさずに寄せていた消息が、しばらくとだえているのを、さびしく不安に思っていたやさきに、めずらしく千年の菩提寺の僧兵頭が山に登って来て、観額得業(とくごう)からの手紙というものを手にして胸をさわがせたが、果たして母の死を伝えて来たもの…

木魚歳時記 第3664話

途(みち)すがら、彼は都に上った第一日に通った太秦(うずまさ)あたりの道にさしかかって秦氏にも立ち寄って無沙汰ののわびをすると、思いは自然と母のことにつながって行った。彼の母はそのころすでに亡き人に入っていたのである。 (佐藤春夫『極楽から…

木魚歳時記 第3663話

第七章 南都にて(一)二十四歳の法然房源空が、つき物にひかれ行くかのように、ふらふらときらら坂を下って、目ざしたのは嵯峨の清凉寺(せいりょうじ)釈迦堂であつた。 彼は思い屈し、思いあまった末、思い立って、直接にお釈迦さまに会いたくなったので…

木魚歳時記 第3662話

単に一個の独善的道楽であってはならない。自分は万人に弘く通用する解脱(げだつ)の道を求め実践しているのだから。 こんな不安に襲われた法然房は、何を感じていずくに向かうのか、一日、ぶらりとひとりで山を下った。(佐藤春夫『極楽から来た』)363 山…

木魚歳時記 第3661話

こういう感想の生活は誠にわが性に適っている。しかしこれが果たして天下万人の誰もが一様に修行できる成仏の道であろうか。さもない限り、これは自他平等の利益をはかる大乗積極の受戒者の業ではない。(佐藤春夫『極楽から来た』)362 妻が居て子と孫が居…

木魚歳時記 第3660話

この地とこの師とによって、法然房はまことに楽しい毎日で、月日の経つのも忘れるほどであったのに、彼の心の一隅には、また一抹の黒雲が起こってそれが刻々にひろがって行くように見えた。(佐藤春夫『極楽から来た』)361 死ぬによき八十五歳シネラリア 「…

木魚歳時記 第3659話

「娑婆(しゃば)と極楽との相違は知水の深浅に基づき、穢土(えど)と浄土との差異も慧灯の明暗よる」と極楽と現世とを同一次元に置く見解をうれしいものに思って、その澄み渡った智慧の心境を夢み憧れつつ修行する日々であった。(佐藤春夫『極楽から来た…