2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記第4368話

法皇のこのご信任に報いて彼はその後も院の打倒平氏の計画に参与して重きをなしたが、治承三年十一月、清盛のクーデターに際して解官され、更に遠流(おんる)に処せられたのを、追使の検非違使中原重成の手から脱走して仁和寺辺に潜伏中を、清水寺で捕えら…

木魚歳時記第4367話

業房は越前守成度(まさのり)の玄孫であるが、鹿谷の陰謀に連座して捕えられたのを法皇の懇請によって釈放された一人であったが、その翌々年春の除目(じもく)には正五位下左衛門に取り立てられ世人の耳目を聳(そばだ)てしめた。(佐藤春夫『極楽から来…

木魚歳時記第4366話

法皇は生まれながらの享楽者(エピキュリアン)でおわした。されば御身辺落莫(らくばく)の折から巧みに持ちかけた才女丹後局の誘いにもお気軽に応じさせ給うた。 丹後局というのは山の妖僧澄雲の女で、高階栄子(たかしなえいし)といい、(佐藤春夫『極楽…

木魚歳時記第4365話

鳥羽殿にはおん祖父白河院以来の林泉(りんせん)が美を極めたなかを逍遥(しょうよう)あらせられ、池畔に来て蓮の枯葉をご覧あっては、 蓮華陸地に生ひずとは 暫く弾呵の詞なり 泥水掘り得て後よりぞ 妙法蓮華開きたる と今様を一首思い浮かべて歌い出せば…

木魚歳時記第4364話

そういう世情や天皇が宸襟(しんきん)を悩まし給うのをよそに、物に動ぜぬ法皇は神経が太いのか鈍いのか超越してか、思いのほかに悠々たる明け暮れを楽しませ給うのであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1014 婆さんを遊びに行かせ煤ごもり 「ボクの細道…

木魚歳時記第4363話

(五)万民は清盛の専横を憤り、それにつけても清盛のために無残な最期をとげた為義や為朝への同情を新たにし、文覚(もんがく)のごときは源氏の奮起を促し頼朝に見せるために義朝の髑髏(どくろ)を東国に運んだとのうわさもあった。(佐藤春夫『極楽から…

木魚歳時記第4362話

時に高倉天皇は宝算十九歳であらせられたが御孝心の深い君で、おん父が鳥羽殿に入らせられて以来は寝食も遊ばさぬ御憂慮であらせられたと承る。(佐藤春夫『極楽から来た』)1012 秋蝶は風の流れを知っている 「ボクの細道]好きな俳句(2102) 波多野爽波さ…

木魚歳時記第4361話

清盛の軍事的独裁政権は、しかし一旦倉天皇御親政の仮面化にかくれ、つづいて高倉天皇の御譲位による安徳天皇の外敵たる清盛の下に親院(高倉上皇)の院政という形で樹立し、この間、従来は平氏一家の事業であった兵庫港改修も今は国家事業として貿易の発展…

木魚歳時記第4360話

清盛のクーデターは一滴の流血だになく、ほんの一週間で、後白河法皇の院政を完全に停止し、叡山は奪還し、藤原氏は斥け反平氏色彩の公卿はきれいに一掃し尽くして、器用に成功した。(佐藤春夫『極楽から来た』)1010 鐘凍る念仏踊りや空也寺 念仏(ねぶつ…

木魚歳時記第4359話

さて二十日には、いよいよ後白河法皇を鳥羽院に幽閉し奉り、武士に命じて門を閉めさせた。側近に侍する者は僧琅慶(ろうけい)と上皇お気に入りの丹後の局のふたりだけである。 門の出入も一切許されない厳しさであった。ふたたび鹿谷の陰謀のようなことが出…

木魚歳時記第4358話

十七日には太政大臣師長以下三十九名の官を解き、基房を太宰相権師に、師長を尾張国に流すなど、流罪、解官の処分を発表した。なかには、右衛門督頼盛(清盛の弟)や右中弁親宗(時忠の弟、清盛の妻の兄)なぢ、一族の幾人かもまじっていた。平素、清盛に不…

木魚歳時記第4357話

十六日には、覚快法親王を天台座主からあっさり退かせて、再び明雲をここに据え直した。先に流罪は取り消されたもののまだ山には帰さず山下に隠棲させていた明雲を山にかえして叡山を平氏の勢力下にしたのである。(佐藤春夫『極楽から来た』)1007 日短し薬…

木魚歳時記第4356話

清盛はさればとばかり、十五日にはさっそく関白基房を廃して孫の基通を関白、氏の長者とし、基房の子の師家の権中納言中将の地位を取り上げた。これは平氏を抑えて藤原氏を用いようとした院の方針に対する反撃である。(佐藤春夫『極楽から来た』)1006 足も…

木魚歳時記第4355話

兵力を持たない院側では、強盗に押し込まれたも同然、清盛のなすがままを黙って見ているほかはなく、法皇は静賢法印を使者に立てて、「自分は以後、万機御口入(ごくちにゅう)アルベカラズ趣」 を伝達させた。つまり今日かぎり一切の政権は放棄し無条件降伏…

木魚歳時記第4354話

しかし、誰かは知ろう、清盛の決意は中宮を連れ戻しに来たというような、そんなナマやさしいものではなく、天下の政権を掌中に収めようというのであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)1004 爺さんに貢ぐ癖あり三十三才 三十三才(みそさざい) 「ボクの細道…

木魚歳時記第4353話

保元以来の市街戦におびえ切っていいる都民たちは、またかとギョとなり、騒然として資材をあちらこちらに運び、逃げまどいつつも、「入道大相国、天下ヲ怨ミ、中宮ヲ迎エ取リ奉ラレ、福原ニ下向セラルベシ」 など取り沙汰がやかましかった。(佐藤春夫『極楽…

木魚歳時記第4352話

(四)清盛はこの時も福原の別荘に閑居していたが、十一月四日、武士数千騎をひきいて、都門に入り、折から厳島詣での途中にあった宗盛をも呼びかえした。(佐藤春夫『極楽から来た』)1002 空つ風どどうどうと吹いて来る 「ボクの細道]好きな俳句(2092) …

木魚歳時記第4351話

これらの波状攻撃のうえ、さらに宋銭の流通が経済界の混乱を来しているのを理由にして、宋銭の流通を禁止し、その使用者を贋金(にせがね)造り並みの重大犯とする法令を発したのは、日宋貿易でおびただしい宋銭を輸入していた清盛には一大痛恨であった。 清…

木魚歳時記第4350話

そのうち間もなく基房の息子師家が僅かに八歳で正三位中納言に任じられた。古今無類の任命である。ために清盛の外孫で年長の基通は、従弟師家より官が下になる。(佐藤春夫『極楽から来た』)1000 冬めくや北山通り海尻町 「ボクの細道]好きな俳句(2090) …

木魚歳時記第4349話

その中に白河殿が死んでしまい、領地は基通へ行くべきはずであるが、法皇はこれを没収して基房へ渡された。 こいう問題のあるところへ、重盛が死に、その功田たる所領が備前にあったのを法皇はこれをも没収された。(佐藤春夫『極楽から来た』)999 婆さんは…

木魚歳時記第4348話

そこで長者の所領が基房の手に渡ろうとするのを清盛小衛は抑えて、これを基実の後家(即ち自分の女・白河殿)と基房とに分け与えた。この事から基房と白河殿との関係が険悪となっていたので、法皇はこれを調停し給おうと、白河殿を基房に再婚させようと取り…

木魚歳時記第4347話

側近を殺されて全くのひとりぼっちに手足をもがれてように見えた法皇が、今は別途から出て平氏の勢力を削(そ)ぐ方法を講じた。清盛の女婿関白藤原基実が死んで、その子基通が幼少のため、法皇は基実の弟基房を摂政に任じ氏長者とされた。(佐藤春夫『極楽…

木魚歳時記第4346話

その翌年の六月二十一日には、三月熊野詣でから帰って以来、永年の胃病がどっと悪くなって枕の上がらなくなった重盛を小松原に見舞い、慶弔ともに隔意なく見えたが、これも単に儀礼でご内心は別であったらしい。鬼界ヶ島の流人たちも建礼門院のお産で大部分…

木魚歳時記第4345話

上皇の方でもまた、その翌年の十一月十二日、高倉天皇の中宮(清盛の女徳子・後の建礼門院)の安産の、上皇にとっては孫であり験者の群れ伍し中宮の枕頭に安産の祈祷をして、還御に当たっては沙金二千両、富士の錦(駿河富士郡産出のもの)二千両を謝礼に出…

木魚歳時記第4344話

事実はかえって、人々が内裏や六波羅へばかり集まり、清盛を憚(はばか)って院に行く人のないのにを苦にしたほどであった。清盛はこのころまではまだ案外に弱気で、院と正面からは敵対することはなるべく避けていたものであった。(佐藤春夫『極楽から来た…

木魚歳時記第4343話

清盛が法衣の下に武装して兵を発して上皇を鳥羽殿に幽し奉ろうとして、重盛りをして、「忠ナラント欲スレバ孝ナラズ、孝ナラント欲スレバ忠ナラズ」 と苦衷(くちゅう)を歎じさせたというのは『平家物語』の詩的創作で史実ではない。(佐藤春夫『極楽から来…

木魚歳時記第4342話

西光の二子師高、師経は改めて死罪とされ、反対に明雲の流罪は取り消されて、後に清盛にによって再び天台座主に直った。これらの処置は院と清盛との談合の結果で、この時、院と清盛とはまだ全面的に決裂していなかった。(佐藤春夫『極楽から来た』)992 神…

木魚歳時記第4341話

(三)密告者、行綱は恩賞どころか、かえって、一味から得たちう宇治布三十反を取り上げられて庭前で焼き捨てられた。それだけで罪にもされなかった。 三日深夜に捕えられた人々のうち、俊寛、康頼、成親の子の成経、三人は鬼界ヶ島流され、その他は院の懇望…

木魚歳時記第4340話

清盛は西光の調書を携えて院に行き左兵衛督光能(みつよし)を呼び出して調書を示し、「カカル次第ニテカクハ沙汰シ候イヌ。コレ偏エニ世ノタメ君ノタメニテ候、ワガ身ノタメニハ次ノ事ニテ候」 と報告すると、そのままさっさと馬首を福原に向けて駆け去った…

木魚歳時記第4339話

しかしきっと途中で殺されるだろうと取り沙汰されたが、果たして備前の配所に着くとすぐ鴆酒(ちんしゅ)のご馳走で悶死(もんし)した。折からご病床にいた重盛の気休めに流刑にはしたものの清盛には最初からの計画であったのであろう。残党は三日の夜更け…