2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第3383話

得業(とくごう)の叔父さんというのは母の弟が出家して観学(かんがく)といい北嶺叡山(ほくれいえいざん)や南都に学んで得業の僧位を得て、現に津山の東北三十キロばかりにある那岐山(なぎさん)、中腹の菩提寺(ぼだいじ)に住んでいた。(佐藤春夫『…

木魚歳時記 第3382話

「そういう勉強もあるの?」「神さまや仏さまにお仕えする人のする勉強です」「では得業(とくごう)の叔父さんに聞けばよくわかるでしょう」子は目をかがやかし母を見上げて問うのに対して、「そうね、いいところに気がつきました」と、母は答えた。(佐藤…

木魚歳時記 第3381話

「お父さんのお言葉は深いわけがあるので、本当のところは、お母さんにもよくわからない程むずかしいのです。だからそなた早く大きくなってよく勉強し、その本当のところをお母さんに教えてください」(佐藤春夫『極楽から来た』)85 あのころは空白のままゆ…

木魚歳時記 第3380話

母は決してそういう意味を父がいったのではないというと、では何故に復讐してはいけないのかと、子の質問はねちっこく、どこまでも追求してきて、きりもないのに最後は母も根負けして、(佐藤春夫『極楽から来た』)84 春深し休業とある喫茶店 「ボクの細道…

木魚歳時記 第3379話

わけても子は父の遺言を忘れかね、また理解しかねて不思議なものに思ったらしい。そしていつもそれをいい出しては、定明に小矢を射かけてことが悪かったのではないか、どうかを問うのであった。(佐藤春夫『極楽から来た』)84 少年は水母さかさに砂に描く …

木魚歳時記 第3378話

稲岡の地を離れた母子は、居を転じて幾分かは落ちつき気は安らいだものの、悲嘆は容易に消えるべくもなく、それぞれに亡き時国を慕う心を語り交わすことを日々の暮らしにしていた。母は夫時国の忘れ難さをいえば、子は父時国の思い出を語った。(佐藤春夫『…

木魚歳時記 第3377話

しかし元来、気のやさしいこの女人は、あの理由の知れない夜討やその結果の良人の死以来、無理もないことノイローゼ気味で、小矢児の名が評判されるにつけても、定明の一味がいつ何時、再び小矢児を襲うかも知れないという不安に耐えないで、母はひしと子を…

木魚歳時記 第3376話

夫人がまだ三十一の女盛りであったから、こんなうわさも出たのではあろうが、今までの夫人の日常を知る人々にとってはこんな口さがないうわさなどは信じなかったが、それにしても少々腑(ふ)に落ちないと思わないでもなかった。(佐藤春夫『極楽から来た』…

木魚歳時記 第3375話

(二)良人(おっと)時国と死別した夫人秦氏は、その弔いがすむのを待ちかねたかのように、稲岡の居館を捨て、あわただしく実家に帰って行った。心ない婦女たちは夫人に再婚の心があって実家へ急ぎ帰ったのだといっていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)80 …

木魚歳時記 第3374話

しかし夫人秦氏にはよく理解されたものか、夫人は夫の一語々々を一々にうなずき、感銘を受けながらもこういう遺言をする良人を有難く尊く思うにつけてもこの別れが悲しまれた。 時国はこの遺言をした数時間後の夜半、一門の慟哭(どうこく)のうちに世を去っ…

木魚歳時記 第3373話

しずかにしかし息ぜわしくこう語った時国の言葉のなかには、当時の知識人の教養たる仏教の精神が深く根ざしていたのは、さかしいとはいえ、まだ九歳の小矢児にはその真意はわかるはずもなかった。(佐藤春夫『極楽から来た』)78 新緑の遠近法をはみだせり …

木魚歳時記 第3372話

「仇を返し合っていれば恨みは怨みを生んで尽きるときはあるまい。わしのためには仇を討つよりも妄念を去ってわしの菩提を弔ってくれ。それが今生の頼みである」(佐藤春夫『極楽から来た』)77 春来ると池の鯉など話しをり 「ボクの細道]好きな俳句(1121…

木魚歳時記 第3371話

ただ相手はまだ若いのにわしは年取って寿命が尽き、傷がなおらないだけの話である。間違って相手を仇と思い、恨みを晴らしあだを討とうなどとは決して思うまいぞ。恨みはすみやかに消すべきもので、決してそれを返し晴らすべきものではない。(佐藤春夫『極…

木魚歳時記 第3370話

わしが今死ぬのは決して敵に討たれたせいではない。これが寿命というものである。敵を恨むでない。敵はわしを傷つけはしたが、敵もまた額にいたでをこうむった。これは相討ちの怨みっこ無しでもう何もかもすんでいる。(佐藤春夫『極楽から来た』)75 青梅の…

木魚歳時記 第3369話

「いつまでも別れたくないお身たちだのに、会者定離(えしゃじょうり)の掟(おきて)きびしく、これが今生(こんじょう)の別れのように思われるこころぼそさに、言いの遺すをよくおぼえておいてくれ。(佐藤春夫『極楽から来た』)74 分校のなまけ時計や遠…

木魚歳時記 第3368話

病人は定明らが夜襲の日以来、数日寝ついたまま、ついには枕もあがらぬ重体になった時、夫人秦氏と小矢児とを枕べに呼び寄せてしめやかに語り出した。(佐藤春夫『極楽から来た』)73 釣人に仏心とかや蓴生ふ 「ボクの細道]好きな俳句(1117) 飯田蛇笏さん…

木魚歳時記 第3367話

ほんの少々深いかすり傷ぐらいに見えた長い傷口は容易に癒着せず、その手当をあやまったものか化膿し、日々に悪化して行った。(佐藤春夫『極楽から来た』)72 山姥も二つ食ひたる桜餅 「ボクの細道]好きな俳句(1116) 飯田蛇笏さん。「冬山に僧も狩られし…

木魚歳時記 第3366話

小矢児の機転は父を危地から救い、よく敵将を手負いにしてひるませたが、敵定明から受けた傷は、小矢児の手柄で、さしたる深手でなくすんだと一門の人々が喜んだのも空(むな)しかった。(佐藤春夫『極楽から来た』)71 爛漫を一山買ひて花見酒 「ボクの細…

木魚歳時記 第3365話

皇子やうさぎでなく、武家漆氏の童子が日ごろから小弓を好んで遊んでいたのはあたりまえであるが、それが実戦に持ち出されて功のあったのが珍しかったのである。(佐藤春夫『極楽から来た』)70 中空を踏み外したる恋の猫 「ボクの細道]好きな俳句(1114) …

木魚歳時記 第3364話

小矢というのは十二束に足らぬ短い矢で、それをふさわしい小弓で用いたものであるが、武士の勢力を得ようとする時代の好みに合ったので、上下一般の小児に喜びもてあそばれたのは、堀河天皇の皇長子で、おん父の温厚には似ないきかぬ気の宗仁(むねひと)親…

木魚歳時記 第3363話

第二章 小矢児山に入る(一)弓削の稲岡襲撃のうわさは山峡一帯にひろがり、その時の童子の沈着勇敢な行為が人々を感心させた。「さすがは八幡殿と同じ血の流れている家のお子だ」と武士擡頭(たいとう)時代らしい賛美に漆氏の童子は小矢児(こやちご)小矢…

木魚歳時記 第3362話

不意の矢に驚いた定明は、打ちおろす刀の手も力なく、相手の肩先から太腕を傷つけただけで、刀を投げ出し、額からしたたる血を押えたまま、二、三人の仲間に援(たす)けられつつ二の矢を怖れて逃げ出すと、浮足立っていた一味もみなわれ勝ちに引き上げて行…

木魚歳時記 第3361話

抜き身をひっさげて立った父のぐるりを鎌や山刀の五、六人が取り囲んだ前にただ一人胴丸をつけたのが刀をふり上げて父に向かっていたのが父の肩越しに真向に見えるのをにらみつけていた童子は、そのにくらしい男の目を物かげから小弓を張り小矢をつがえて射…

木魚歳時記 第3360話

母親のひざで夢見心地に見えた童子は、不意にガバと起き上がると片すみから小弓と小矢をとを取り出して人々のとめるすきもなく飛出し、廊下づたいにのぞき入ると、父は危地に立っていた。(佐藤春夫『極楽から来た』)65 遠山の烟ると見えてぐらり春 「ボク…

木魚歳時記 第3359話

すわ事と知った時国は、沈着に夫人と子供とを納戸(なんど)へ押しやって人々にこれを守らせ、自身はわずかに三、四人を従えて座敷の寝室に帰って闖入者(ちんにゅうしゃ)を追っ払った。烏合の一団は本当の武者三、四人のために難なく蹴散らされたのである…

木魚歳時記 第3358話

振り立てるたいまつを見て街道を駆けだした別働隊は山からなだれ入る本隊のときの声を聞いて後、居館の表庭へ踏み込んだ。 奇襲の驚かされた漆氏では、折からの手薄に防御の方法もなく、乱入にまかし、はじめは物取りの押し込みとばかり思っていた。(佐藤春…

木魚歳時記 第3357話

たいまつの火は山地からの組が、山づたいを漆氏居館をわきの山こぶに来て、のろし台を占拠し、今まさに居館の西から突入の態勢にある合図であった。 彼らが裏手から討ち入って漆家の人々の注意が裏手に集まっている間に、水流のない東側の丘を越えて別働隊が…

木魚歳時記 第3356話

彼ら一同はがやがやと騒ぎ立てて、まるでお祭り気分で、特に別働隊ではほら貝を持ち出して吹き立てるなど、一かどの出陣気取りであった。しかし、しばらくして南の庄に来かかってほらの音もやみいよいよ北の庄に近づき、縦横に振りかざすたいまつが見えはじ…

木魚歳時記 第3355話

得物といっても本式の物の具を持っているのは定明のほかはわずかに五人有る無しで、多くは鎌や山刀(やまがたな)の烏合(うごうの)の農民たちであった。その人数はおおよそ五、六十人、それが二手に分かれて、一隊四十人あまりは先発し、たいまつをかざし…

木魚歳時記 第3354話

得物といっても本式の物の具を持っているのは定明のほかはわずかに五人有る無しで、多くは鎌や山刀(やまがたな)の烏合(うごうの)の農民たちであった。 その人数はおおよそ五、六十人、それが二手に分かれて、一隊四十人あまりは先発し、たいまつをかざし…