木魚歳時記第4863話

 (二)承元元年(1207)三月十六日、いつも早起きの法然は、前夜来招かれて泊まっいた九条兼実の法性寺第、小御堂の未明に目ざめた。今日がいよいよ流刑の日で、特に早朝人々の目のつかないうちに、都門から出るようにとその筋の達しがあったからである。(佐藤春夫『極楽から来た』)

       大唐を出で天竺へ蟻の道  天竺(てんじく)

 「蟻の道」は夏季となります。玄奘三蔵の『西域記』を引くまでもなく、経典を求めて大唐(シーアン)から天竺(インド)へ「蟻の道」はつづいたでしょう。ぼくも、昔、型組住居(パオ)の点在する天山北路をバスツアーする機会に恵まれました!