2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

木魚歳時記 第3324話

福渡までの山間部には幾つかの小盆地が点在している。盆地というものの三百メートル内外の山に囲まれてそのふもとにある百五、六十メ-トルほどの高地にあるわずかな平地なのである。 津山から福渡までの街道は、これら幾つかの高原的小盆地を北から南に貫く…

木魚歳時記 第3323話

中国山脈の山なみが南へあふれ出て、ほぼ並行する二つの小高い山のしわのつくる小山脈の山峡を利用してできたのがこの枝路である。 この枝の幹に近い北の半分、津山から福渡までの二十キロの間は西南に傾斜した地形で、その底部に当る旭川の一支流が南して福…

木魚歳時記 第3322話

第一章 山村の悲劇(一) 播磨(はりま)の姫路からおいおいと美作(みまさか)へ向かえば、山地にかかり、中国山脈の外山のすそを縫って国府の所在地たる津山の南から那岐山(なぎさん)のふもとを西南に歩みつづけた末は、奥美作の高原地帯、真庭郡から四…

木魚歳時記 第3321話

ともあれ、この手紙一つあればと思った定明の夢は空しく、彼はいつまでも都の武士にはとり立てられそうにはない。しびれをきらして宗輔から頼長にも頼んでもらったが、それでもらちがあかない。 定明は額(ひたい)に押されたカインの烙印(らくいん)のため…

木魚歳時記 第3320話

宗輔の家人になった定明は、待てど暮らせどいつまでも主人から何の沙汰もなかった。 ほんのしばらくの間に時代は定国の時とは一変しはじめて、いまではもはや、武士にも派閥系統ができはじめ、権大納言をもってしても藤原氏では、ポッと出の若い田舎武者をを…

木魚歳時記 第3319話

しかし定明は父が家出の前に一心に書いていたものがこの手紙や『法華経』であったと思いあたり、そうして去年の二百十日の風は旭川ぞいを、那岐(なぎ)の南を真庭から日野へ街道ぞいに吹き荒れて通り抜け出雲の大風になったと人々が語り伝えたのを思い起し…

木魚歳時記 第3318話

「しばらく機会を待つがよい。よきに取り計らおう。それまでは家人(けにん)として当家に居るがよい」といわせた。定明は日ごろ思っていた父の手紙を見たいと頼むと宗輔は、「子の情として父の最後の手紙はさぞ見たかろう。差支えない。ゆるす。」と、侍女…

木魚歳時記 第3317話

定国の手紙には、まず一夜の明け方の霊夢の事細かに記して、いまは亡きみかどのお召しにより、二百十日の好機に乗じ、手写しの『法華経』を積みこみ、用意の竜頭(りゅうず)の舟で、満帆(まんぱん)の南風を受けて出雲の津から喜び勇んで北海へ赴くむねを…

木魚歳時記 第3316話

(五) 定明は父の失踪から半年あまり後になって、思いがけない出来事から、父祖の地でやさしい叔父のいる美作の故郷を脱出しなければならないことになってしまった。この事情はいまに説明する。 故郷を去るに当って定明は父が彼のために権大納言藤原宗輔に…

木魚歳時記 第3315話

「北の庄では今まで通り水をくれている。水の不足は、こちらであまり田を広げすぎたせいだ」「だからこちらはこちらの池を設けるというのを北の庄では承知しない」「水上に新池ができれば北の庄の池が困るわ」「でもこちらの田は高い所だから池は水上でなく…

木魚歳時記 第3314話

定明も叔父の言葉には同感できないで、却って口にせぬその肚(はら)を感じ取り、「夢の中のそんな途方もない話のために飛び出すなんておやじさまもおかしいではありませんか。田地がものにならないのにがっかりして、もう一度世の中に出たいという一念でそ…

木魚歳時記 第3313話

「やっぱり少しはおかしいが、それで少しは話もわかって来た。鷲や天狗にさらわれたの違って、それならばそれでいい。お前のおやじさまという人は一本気な思いつめるお人で、以前から天子さまのことといえば夢中であったが、自分の思うところを遂げて、天子…

木魚歳時記 第3312話

「きのう云うのを忘れていたが、手紙のほかに金子(きんす)もいくらか預かっている。必要ができたらいつでもいいなさい。そのほか何の相談にも乗ろう。預所のことでもわしで間に合うことなら、いくらでも手つだいからね」 とまずやさしく慰めた。そうして暗…

木魚歳時記 第3311話

(四) 昨日の叔父の言葉をまたもはっきりと思い出した定明は、それにつけ加えて、「そうしてそれっきり帰らないのか」と、ひとり言をいった。叔父から聞かされたあの思いがけない話に、この生別が死別であることを感じ取ったのである。 折から声もかけない…

木魚歳時記 第3310話

『お召しだから、おれはもう一度、天子さまにお仕えする。いいや、今日の北面(ほくめん)や院の武者所ではない。もとの天子さまが、北海で龍王になってござっしゃるのだ。そのお召しだからわしは是が非でも波を押し渡って行かなければならない。お前、定明…

木魚歳時記 第3309話

ただ定明の顔を見た叔父は、最初しばらく考えていたが、ついにいい出した。「実はおれも少々心配になって、お前のところに行ってみようと思っているところであった。この間来た時の、兄さまのいうところはちとふに落ちないふしがあった。(佐藤春夫『極楽か…

木魚歳時記 第3308話

定明の母は定明を産み落とすとすぐ産後のわずらいで死んでしまったが、母方には母の弟がまだ健在で家を継いでいた。家が少し遠いせいで、平素はあまり往き来もなかったが、父は義弟を頼もしい人物として実弟同様に時々ものを相談していたのを思い出して、自…

木魚歳時記 第3307話

山では場所によって、大小の木があるいは根こそぎになり、あるいは枝や幹が折れ傷つき倒れていた。しかし人間や鳥獣の倒れているのは一つも見かけなかった。定明は念のために山の洞へも行ってみた。 どこにももう父をたずねる所が無いような気がした時、定明…

木魚歳時記 第3306話

戸のすき間から夜が明けそめて来た。朝になると帰るかと思った父は午(うま)の刻になっても帰らなかった。定明は海のようにはげしく揺れ動きながら低く垂れさがった雲の下を先ず田の面に出て風害を見たが、稲はあまり倒れていなかった。しかし作の悪いこと…

木魚歳時記 第3305話

(三) それでなくてさえ父の行方を案じて眠れない定明を、二百十日の風は夜もすがら家や周囲の木々をゆるがして悩ました。 風を避けた地勢を選び建てられたこの家にこれほどの風が騒ぐのだから、風当たりのひどい山中などでは、どんなにかすさまじかろうか。…

木魚歳時記 第3304話

こうして幾日を経たろうか、一朝、山の木々がすさまじくざわめく風音に目ざえた定明は、起き出でて朝の支度をすまして父を待ったが、いつまでも起きてこない父を怪しみ、行ってみると父の臥所(ふしど)はもぬけのからであった。山の木々はこの日一日中、定…

木魚歳時記 第3303話

父からこの話を聞いた若者の定明はもとより、分別ざかりの定国もこの夢を霊夢と信じて少しも疑わなかった。そうして彼は、一人のさぶらひつく者もない主上のお側に早く行かなかった夢の中の自分の、波を押し渡る勇気のなかったのを恥じ悔いていた。 そのため…

木魚歳時記 第3302話

当時は、蛇体を、多分そのねけがらのためであろうか同じ形で生き変わり死に変わりして無限の生命を保つものと一般に信じられていた。それ故、解脱(げだつ)の困難に絶望した末に池の主の蛇体を志して弥勒菩薩の出現まで寿命を求めるため自ら池水に身を投げ…

木魚歳時記 第3301話

定国は御座に近く伺候(しこう)しようとあせりながらも波の上をわたる工夫をしているうちにお姿は消えてしまった。 しかし定国、定国とお召しのお声ばかりはいつまでも聞こえている。しかもそれは主上の在(おわ)した日のお声をさながらなのである。定国は…

木魚歳時記 第3300話

(二) 定国のある夜の夢は不思議であった。いつもおように内裏(だいり)や御所の滝口などにお出ましの主上ではなく、波がしらの立ち騒ぐ洋上にゆっくりと玉座(ぎょくざ)を構えた上に御座あらせた青い束帯(そくたい)のお姿で、天機うるわしく、「われは…

木魚歳時記 第3299話

定国は美作に帰って来て都大路よりも草深い田舎の少年のころから歩みなれた道の方をなつかしく歩みやすいものに思って、都の生活は日々にうとんじ忘れつつ、定明に農事を教え、利鎌(とがま)を与えて山沢を切り拓(ひら)かせていたが、恩顧をこうむった亡…

木魚歳時記 第3298話

しかし定国がまだ壮年で亡くなられた主君を追慕し追慕し奉る至誠のかげにも、一片の私心がないわけではない。彼の立身の途がこれで全く閉され栄達の夢が暗黒に葬られ去った絶望感をもたらせているのであろうと宗輔は宗輔らしくこれを聞いて定国に同情した。 …

木魚歳時記 第3297話

堀川天皇は末代の賢君といわれた方で、白川上皇のむつかしい院政の下にありながらも、ご自身の政務は決しておろそかにはなさらず上奏文なども一々お取り上げあって、夜中にご自身でお目を通され、ところどころには下げ紙をつけて「此の事尋ぬべし」とか「此…

木魚歳時記 第3296話

定国はまた手先の器用な人で、当年宮廷や上流社会で琵琶(びわ)とともに流行していた朝鮮笛や笙(しょう)の修造や細工などに巧みであったため、左大臣頼長の一門でその一味の権大納言藤原宗輔(ごんなごんふじわらのむねすけ)に召されてお出入りになって…

木魚歳時記 第3295話

序章 夢を追う人々(一) 明石定明(あかしのさだあきら)は定国(さだくに)の一子で、美作国(みまさかのくに)(現在の岡山県)久米郡南条稲岡の庄(現在の久米南町)に隣接した弓削(ゆげ)の庄の預所(あずかりどころ)であった。 その父定国は、もとこ…