木魚歳時記第4838話

 慈円とて、弥陀信仰にいささかの異論ある道理はもとより無い。ただ、摂関家を媒体とする政治と庶民仏教とが撞着するのをひたすら憎むのが故の反対なのである。 慈円が教学的に法然と争って勝つ根拠も能力も無いのは慈円自身がだれよりもよう知ろう。さればこそ、これはずっと後年の事ではあるが、法然の流刑赦免後、還都に際しては、再び法然を青蓮院に迎え入れて、あくまで天台僧として遇することに努め、(佐藤春夫『極来から来た』)

        天の川さてさて登る梯子ない  梯子(はしご)

 「天の川」は秋季となります。もちろん、夜中に「天の川」を見るわけではありません。寝苦しい熱帯夜、夢の中で見た話であります。いつもの妄想です(笑)。ところで「天の川」とか「七夕」は、読者にそのイメージが定着しています。ですから、作者と読者のイメージの共有が求められます!