木魚歳時記第4761話

 式子内新王は身分柄とて、もちろん吉水のどの房にも住んだことはなかった。ただ法然の胸に住んだだけである。そうして死後は吉水の西の房の裏手、中の房の西に葬られて墓は朝夕、法然の眼にふれるところに置かれ、命日毎に香華が捧げられ、法然の読経の供養もあった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1396

       5 灼熱のタントラ仏にある渇き

 タントラとは、6世紀頃から、ヒンドゥー教の伝えるシヴァ神のシャクティー(性力)を称える教えが盛んとなるようです。これらのインドの後期密教の聖典群を「タントラ」と称するようです。行く末は、高野山に「真言秘密」の聖地に築くことになる「沙門空海」の目(まなこ)に、「タントラ」が、どのように映ったのか? はなはだ興味のあるところです。読者のご想像もさまざまあっていい。