木魚歳時記第4767話

 彼の父信西は平治の乱の張本人となって世を乱しはしたが、教養に富む高雅に有為(うい)な人物であったと見えて、澄憲をはじめその多くの子や孫たちもみなそれぞれ有為の人材で、父祖の才能を思わせる。
 信西はただ学芸ばかりでなく、趣味一般にも通じていたと見えて、白拍子(しらびょうし)磯禅師を指導して彼女をその道の第一人者に育てたが、義経の妾静は磯禅師の女で母に仕込まれた白拍子であったという。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1402

      11 空海の霞食らひて高野山

 空海は帰朝するや、真言宗を高野山を拠点に活動することになります。ぼくも、高野山へはたびたび伺いましたが、今、なお鬱蒼と茂る杉野の大樹に包まれて、朝夕と霞(かすみ)のたなびく中で、高野豆腐が作られる自然環境が保たれ、真言宗総本山・金剛峯寺(こんごうぶじ)が佇んでいます。