木魚歳時記第4769話

 法然は平素、
「浄土の法門と遊蓮房とに逢ったことこそ人界に生をうけた思い出である」
 といっていたものであったが、円照(遊蓮房)の最後も師法然にとっては必ずや大満足であったろう。法然はおのれが阿弥陀仏に対するように、すべて自己を滅して従順無我な、それでいて決して囚われない自由な態度を弟子たちに望んで、その典型を遊蓮房に見たのであろう。(佐藤春夫『極楽から来た』)1403-2

      13 山粧ふ空海すでに生き仏

 いいわけがましいようですが・・「沙門空海」は、「捨聖」になる以前から、すなわち、すでに中国に渡ることを決意された時から、「生き仏」であらせられた! ぼくはそう感じています! 仏教の出発点と伝えられる、四苦、つまり「生・老・病・死」のことが、脳裏の根底に・・これはあくまでもぼくの想像にかぎることですが(汗)。