木魚歳時記第4771話

 法然には出国登叡このかた故郷美作(みまさか)をふり向きもしなかった。母亡き後は全く帰国の念もなく、道を追求して日も足らずとした。
 しかし、一身に思い煩う事も絶無の今は、父母や師の遺骨も心にかかったし、父方と母方との消息に矛盾があり、父方の報告に疑うべき節もあったが、好もしい問題でもないから立ち入らず、父母は阿弥陀仏のに渡し奉ったて安心している。
(佐藤春夫『極楽から来た』)1405

      15 山眠る万物すでに仏たり                           
                                  「沙門空海」(15句)おわり 

 「沙門空海」が「真言密教」の教えに育てられたのが、京都の東寺(とうじ)とするならば、和歌山県高野山は、「沙門空海」が入唐の功績により、下賜(816年)を受けた真言宗の総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)寺は「沙門空海」が「真言密教」を広められた聖地であります。この聖地(拠点)で「沙門空海」いや、万物は、大自然の中で「真言密教」を発信しつづけるのです。