十二月二十四日全く追討を終り帰る。平氏との抗争中も常に背後を衝かれる懸念に悩まされ、そのため自身出馬せず、義経、行家らをいて平氏を討たせた頼朝であったが、奥州藤原氏の全滅によって、この後は心置きなく京都へも出られるようになった。(佐藤春夫…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。