「そうであったか。よかった」と院はご満足げにうなずき、「巡り巡ってわが手にあるのも何かの因縁であろう。髭切と申して持ち込んだ者があったが真偽は知らず、とにかく確保した。真物とあらば今は、お身に返すまで」 と院はそのままこれを頼朝に賜うた。予め用意してあったかのように。(佐藤春夫『極楽から来た』)1248
別格の頑固和尚や秋深む
摂津幸彦さん。「父にしてむかし不良の木霊かな」(幸彦)「木霊(こだま)」は樹木に宿る精霊のことです。さてボクは、常々、マイホーム・パパではありませんでした。いくら「二足わらじ」で奮闘したとは云え、多くの方々につらい目に会わせたことと思います。申しわけないことでした。この「わがまま」さは灰になるまで治らないかも(笑)。
世を救う三世お仏の心にもになるまで
にたるは親のこころなりけり
(税所敦子)