(四)京都から脱出し北陸を経て再び奥州藤原氏をたよった義経を、頼朝を、頼朝は藤原泰衡(やすひら)をして討たせた。義経は文治五年(一一八九)四月三十日、泰衡に攻められ、三十一歳の有為の身を衣川で自殺した。(佐藤春夫『極楽から来た』)1239 午後…
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