この宮の平氏に対する日ごろの鬱憤(うっぷん)が、父法皇の鳥羽殿幽閉によって一段と昂(たか)まっているのを見た頼政は、事成就の暁は王を天皇として推戴し奉ると誘うて、平氏討伐の事を王に謀(はか)った。皇族を戴いて大儀名分を立てたのである。令旨…
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