木魚歳時記第4140話

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 後に重源(ちょうげん)の将来した浄土五祖像の善導が善導が夢に見た高僧と同じであったのを法然は奇異とした。
(佐藤春夫『極楽から来た』)804

        陽炎の中よりぬつと僧の出る

 「ボクの細道]好きな俳句(1887) 野見山朱鳥さん。「いちまいの皮の包める熟柿かな」(朱鳥) なるほど。したたかな包皮に護られて、熟柿は熟柿になることを運命づけられるのです。さて、京都には禅宗の御本山があります。その周辺では、行脚(あんぎゃ)修行する雲水(うんすい)と出会う機会があります。雲水の「放つ」(ホーホー)の発声は、「行雲流水」(こううんりゅうすい)の心境をめざす? 我が身から万物を解き放つ? つまり「知足」(足ることを知る)の心境をめざす? 

  ひとすじの、なむあみだぶを、いただけば、
  ひとすじみちに、まぎれなし。
  なむあみだぶを、みちずれに。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)