と法然はさも愉快げに短く笑った。彼は本来そういう気さくな性分なのである。今日は最初の布教に好成績をあげてうれしいのであろう。
清涼寺からの帰路を最初から考えていたとおり太秦(うずまさ)の秦氏(はたうじ)へ立ち寄った。
(佐藤春夫『極楽から来た』)824
学校に行かない子ども落第す
「ボクの細道]好きな俳句(1910) 鈴木六林男さん。「わが死後の乗換駅の潦」(六林男) 通勤の途中で見かけた「潦」(にわたずみ)・「水たまり」はもう見かけないでしょう! さて、児童が学校へ「行く」「行かない」「行けない」は、当事者個々に問題があり、一概にはいえない(と思います)。でも、俳句に「落第」の季語があるくらいです。昔から「落第」はめずらしくなかった? ボクも、小3のとき「行かない」で落第(進級できない)をしました(笑)。今、ようやく「学びのイノベーション」が脚光を浴びようしています。
だいひのをやわ、じひばかり、
ごをんうれしや、なむあみだぶつ。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)