と彼は行住坐臥、思いのまま気楽に就眠前にまた起床の前に、時には厠(かわや)上でも、弥陀のみ名を口称(くしょう)し、阿弥陀仏がこれを喜んで受け給う有様まで眼に浮かぶような気がしているのであった。今は六時礼賛を廃して時々刻々の礼讃をしているのである。
(佐藤春夫『極楽から来た』)809
ふらここや到達点は俺のもの 京鹿子(3)
「ボクの細道]好きな俳句(1890) 野見山朱鳥さん。「鶴を見る洟垂小僧馬車の上」(朱鳥) 飄々として、ローカル色の漂う好きな作品です。さて「俺のもの」の措辞は俳句になじまない! ですが、二束のワラジ(お寺と大学職員)で、無我夢中で奮闘したあの頃(40歳~65歳)を忘れることはできません! 心底から燃焼したあの頃のことです! あのころには、本当の自分(個性)が居ました! ですから、おの頃のことを「俺のもの」と叫んでしまいました!
だいひのをやわ、よいをやよ。
わしのこころと、ひとつになりて、
よいもわるいも、あなたにもたれ。
『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)