木魚歳時記第4146話

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 こうして命のある限りは、念仏を申しつづけてたのしく、やがて命終る日は浄土の聖衆(しょうじゅう)のお迎えを受けて浄土の荘厳(しょうごん)を見、そこに生きることをわが身かと思えば、今までは事のすべてを厭(いと)わしいものと思った穢土(えど)さええ、折ふしならず浄土に似たところも無いでは無いと思えて美しく、無智のわが身さえ弥陀の慈悲に浴して尊く、真に浄土から来た者のように覚えるようになった。
(佐藤春夫『極楽から来た』)810

      わき道に酸葉のやうな爺さんが  酸葉(すいば)

 「ボクの細道]好きな俳句(1891) 野見山朱鳥さん。「あたたかや四十路も果の影法師」(朱鳥) 作者はこの年齢(昔の)でこの心境とは驚きです。さて、ボクは、18歳~21歳のとき肺浸潤(結核)を患いました。そしてかなりの期間療養に努めました。そのとき思ったのは、強靭な身体であってほしい! ロストジェネレーション(空白の青春)はやはり辛いでした! なによりま両親に心配をかけました。ありがたいことでした。ともあれ、今は、すかんぽのような爺さんとなり、日々、ナムナムと暮らしています(笑)。

  このこころ、
  ほとけのこころにしてもらい、
  ほとけのこころ、ここでたのしむ。
  『定本 妙好人 才一の歌』(楠恭編)