思うに頼政は最初から南都に向かうべきであった。それを三井寺に高倉宮の弟宮の法親王が長吏(ちょうり)をしているのを力にしたの焼が、彼の失敗の第一であった。そうしてその第二歩は南都を信じて一刻も早く南都に向かわなかったことであった。(佐藤春夫…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。