源平の争乱も漸(ようや)く押し詰った文治四年八月十四日、盂蘭盆(うらぼん)に当たって、両党の戦争犠牲者の追悼追福のために、御写経の大法会がとどこおりなく終了した後、院はその法会の首座を命じて置いた法然を召して、その労をねぎらわれ、また涼風…
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